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自著を語る『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』

*『CROSSOVER』47(九州大学大学院地球社会統合科学府、2022年3月)の「自著を語る」というコーナーに、昨年12月に出た拙書『形と形が出合うとき』をめぐる文章を寄稿しました。大学の広報誌という、やや手に入れにくい媒体ですので、多くの方々に読んでいただけるよう、noteにも貼り付けておきます:

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 2021年12月、九州大学出版会より『形と形が出合うとき――現代韓国語の形態音韻論的研究――』を上梓した。第12回九州大学出版会学術図書刊行助成対象作である。
 本書は、私の初の著書ではあるが、完全な書き下ろしではなく、これまでに私が学術雑誌に発表してきた論考群のうち、とりわけ韓国語(朝鮮語)の形態音韻論に関わるものを選択的に集めて編集した、いわばコンピレーションとでも言うべき著作である。もちろん、書物として編み直すにあたって、諸々の鈇鉞を加えてあり、初出論文と異なる点も少なくない。
 周知の通り、現代韓国語は形態音韻論的な変容が著しく、その激しさは、日本語や中国語などとは比較にもならない。音の変化の激しいロシア語でさえ後塵を拝するほどである。本書の帯にもあるように、韓国語の面白さの真髄は形態音韻論にあると言ってよい。しかしながら、これまで日本語で読める韓国語形態音韻論の研究書はほとんどなかった。そもそも日本語では「形態音韻論」という単語自体が一般にはなじみがなく、書名に「形態音韻論」を標榜した図書も僅有絶無である。高校の国語(韓国語)の教科書にまで「形態音韻論」という術語が登場する韓国のありようとは対蹠的である。本書は、入門書や概論書ではなく、主に言語学徒を読者に想定した研究書であるため、広く開かれた書物とは言い難いが、韓国語学の専門家は固より、他の言語の専門家の方々にもぜひご高覧いただき、形態音韻論をめぐる談論が風発することを心から望むものである。
 音素、音節、形態素、単語――形と形――がおのおの接合すると、いかなる現象が生起し、その背後にはいかなる原理が伏流しているのか。これまで存在自体は知られていても、十分には考検されてこなかった現象群を具に剖析することによって、韓国語の興味深い様々な言語事実を精緻に焙り出すところに本書の目的はある。具体的には、アクセント、〈n挿入〉、濃音化(喉頭音化)、混成語形成などといった主題を扱っており、いずれも通言語的な視座から眺望することが可能である。この点において、本書は、韓国語学に閉じていない。
 本書の「おわりに」にも書いたが、言語現象は、一瞥するだけでは個別的に見えるものであっても、データを能う限り多く集め、多価的に諦視することで、一定の規則性や傾向を見出すことができる。これは記述的言語研究の醍醐味である。一般的に言って、言語学は言語現象を例外なく悉皆的に説明し尽くすことはできない。これは、たったひとつの例外が「反例」となり、全体のホメオスタシスを侵襲的に破壊するような、数学の潔癖なるありようとは大きく異なる。そもそも言語とは人為であって、共時態とは雖も、個人差や過去の遺物が攙入した混質的なアマルガムであり、そこには本態性の例外が不可避的に随伴する。しかしながら、フィールドワークによって自ら収集した資料を帰納的な方法で丁寧に閲していくことにより、その根柢に横たわる堅緻な体系を朧気ながらも浮かび上がらせることができる。本書においても、そうした営みが一定程度奏功したものと自負している。
 後発の諸論考にもなるべく目を通すように心がけたが、生来の懈怠癖によって、最新の研究動向を十分に反映できておらず、内容的には必ずしも満足のいくものではない。また、やや弁疏めいてしまうが、入院を要する体調不良と筆舌に尽くし難い多忙のために校正が遅々として進まず、出版が予定よりもやや遅れてしまった。このように反省点もなくはないが、ひとまず、かくして無事に拙書を世に送り出すことができ、愁眉を開いているところである。身体的不調を抱えた状態の中、日々遝至する他の仕事に鞅掌しながらも、刊行までどうにか辿り着けたことが何よりも嬉しい。偏にこれまで私を支えてくださった多くの方々のおかげである。とりわけ、東京大学の福井玲先生をはじめとする恩師の先生方、九州大学の同僚の先生方、言語調査に協力してくださったインフォーマントの方々や先生方、九州大学出版会の皆さま、本書の原稿を査読してくださった2名の匿名査読者の先生方、いつも刺激を与えてくれる友人知人たち、そして両親に、この場を借りて、改めて衷心より感謝申し上げたい。

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