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【5分で恋愛もの】憧れの先輩と私の恋物語

「今日、朝まで一緒にいたい」

深夜1時。誰もいない、駅から少し離れた裏道の一角で健太先輩は確かにそう言った。
その言葉を受けて、私が視線を彷徨わせている間に、健太先輩の両手がいつの間にか自分の頬に添えられているのを感じる。

うちのダンスサークルで、一番キレがあって華のあるパフォーマンスをする健太先輩の手のひらは、少しかさついていた。

こんな手のひらだったんだ、と私は感動すら覚える。ずっと触っていて欲しいと思うぐらい。

頬から伝わる体温を辿るように、健太先輩と視線を合わせる。少しでも可愛く映っていたらいいのに。そんな打算を隠しながら、やや上目遣いになるように、私はほんの少し、顎を上向けた。

これから何が起こるか想像ができていない、とでも言いたげな仕草で、健太先輩の次の動きを、息を潜めて待つ。

2次会で皆に煽られて、ハイペースで飲んでいたせいか、健太先輩の目はと
ろんとしていて、いつもよりも顔がむくんでいるように見えた。

本当はもっとかっこいいのに。

そう思いながら、こんなにも近距離で憧れの人に触れられているという高揚感を、全身で浴びるようにして浸る。

この日のために買った、スナイデルのとろみのあるブラウス。少しでも可愛いと思ってもらいたくて買った。髪の巻き方、男の子が好きそうな上品なピンクのネイル、新しい下着。

全部、全部、全部、今日のこの日のために私が用意したもの。

「麻耶、かわいすぎ」

ねじ込まれるように私の中に侵入してきた健太先輩の舌から、ジントニックのライムが香った。

***************

「麻耶、1限さぼったでしょ」

香織の呆れたような声に、んー、と私は気のない声をだした。

「単位落としても知らないからね」
「…がんばりまぁす」

本当にもう、と香織はため息をつく。同い年とは思えないほど、香織はしっかりしている。いや、私が歳不相応にしっかりしていないだけか。

「大丈夫だった?」
「何が」
「健太先輩」
「…何もないよ」

本当に?と訝しむ香織を黙らせるために、私は手元にあったポッキーの袋をほい、と手渡した。健太先輩は女の子に手を出すのが早い。それはうちのサークルの共通認識というか、一種の鉄板ネタと化している。

健太先輩が飲み会で女の子の隣に座る度に、狙ってんじゃねえぞ、と別の先輩が必ずからかうのが、一つのお決まりの流れだ。

「ばーかお前、そういう人聞きの悪いこと言うなって」

ともすれば下品な会話も、結局のところ、抜群にダンスが上手くて一目置かれている健太先輩が言うと、皆何となく笑って流してしまう。ああいう人がプロになるんだろうね、と私たちは囁きあう。

年に数回ある、うちのサークルのイベントでも、健太先輩のソロの後には一際大きい歓声が上がる。かっこいい、と男女問わず呟いてしまうような、人を惹きつける色気にも似たものが健太先輩のダンスにはあった。

「まあそうだよね。健太先輩、彼女できたって言ってたし」

え?

思わず目を見開いた私に、香織はあれ、と小首を傾げた。

「え、知らなかった?」
「知らない」

昨日の飲み会ではそんな話出なかった。いや、出たかもしれないけれど、私はその場にいなかった。

朝までずっと一緒にいたい。

そう言われたのは、日付が変わった今日の話だ。

「年上だって。ダンサーの。超美人だよね~絶対」

インスタとかやってないかなあ。そんな呑気な声をあげながら、香織はスマホの画面の上で親指を滑らせる。きっと、健太先輩の彼女とやらのSNSを検索しているのだろう。

「いつから付き合ってるって?」
「えー?知らないけど、最近らしいよ」

香織が私のあげたポッキーを口の中に運ぶ。昨日、ベッドの上で煙草を咥えた健太先輩の横顔を思い出した。

*************

きゅ、きゅ、きゅ。
健太先輩がステップを踏むたびに、レッスン用のスタジオの床が声をあげる。動と静。一つ一つの動きが美しい。

スマホのカメラで記録したいという気持ちにもなるけれど、健太先輩のダンスは肉眼で見るからこそ価値があるのだと思っている。

目の前で踊る健太先輩から想起される私の感情全てを、一身に受け止めたいから。

1曲踊り終えた健太先輩の荒い息遣いが聞こえる。どうぞ、とペットボトルの水を手渡した。

「ありがと」

はぁ、と少しでも肺に空気を入れ込もうとするように呼吸を荒くしながら、健太先輩はペットボトルに口づける。上下に動く喉仏が、躍動的に動く。私にはないそれの動きを目で追ってしまう。

「そろそろ帰るか」

健太先輩の自主練に、半ば強引に付き合うようになってからどのくらいだろう。最初は一人でやりたいんだよね、と健太先輩は嫌そうだった。それがいつの間にやらしょうがないな、とスタジオの隅っこにいることを許してくれるようになったのだ。

それが余りにも嬉しくて、この時間を何よりも楽しみにしていること、この人は分かっているんだろうか。

分かっている訳ないよねえ、と思いながら私はタオルで汗をぬぐう健太先輩のよれたTシャツをひっぱる。

「健太先輩、この後何か予定あります?」
「いやー、ないけど」
「ご飯、一緒食べましょ」
「飯?・・・あー、まあ、いいけど」

どこ行きたい?と尋ねる先輩の視線に、躊躇うような、探るようなものが混ざっているように感じるのは、私の考え過ぎだろうか。
それに気付かないふりをして、私はお手本のような笑顔を作りながら言い放った。

「家です、私の」


油の染みたピザの箱や飲みかけの缶チューハイをテーブルに残したまま、私たちはベッドの上にいた。

ちゃんとけしかけるように、ここに至るまでちゃんと健太先輩の身体に触
れ、可愛いこぶるような仕草を見せた。

そんなことしなくても、元々ここに終着していたかもしれない。けれど、そうしなければ不安だったのだ。

この人が持っているスイッチを、ちゃんと自分の手で入れてやりたかった。

健太先輩の指が、私の上着のボタンを外しにかかる。今日のキスはライムの香りじゃない。缶ビールの苦さを絡めた舌で擦り合わせるようにして、潰す。

今日はあんまり飲んでいないから、健太先輩の顔はむくんでいない。いつもの、私がどの芸能人よりもカッコいいいと思っている人の顔をしている。

「…シャワー、浴びてなかった」
臭いよな、と体を離そうとする先輩の背中に手を回す。
「いいですよ、そんなの」

気にしません。そう言って先輩に自分からもう一度口づける。先輩の瞳の奥に見える色が、うんと濃くなったような気がした。制汗剤に混じった健太先輩の汗の匂い。

私がつけているボディークリームの香りも、健太先輩に届いていればいいのに。どうせ、最後にはお互いの匂いなんて分からなくなってくる。

私に覆いかぶさるようにして、先輩の指や舌の先が動く。与えられた刺激を追いかけるように、そのやや強すぎて乱暴な刺激から自分が逃げないように、私は健太先輩の身体にしがみつく。

私を気持ちよくしようとするよりも、自分が早く気持ちよくなりたい。そんな健太先輩の気持ちが、動きの一つ一つから透けて見えるようだった。

指の動きが早急すぎて痛い。けれど、それを止めて欲しくない。この人に向けられたものは全部与えられたいし、全部受け止めたい。

これって完全に愛だよね、と私は呆けた頭の片隅で考える。先輩の眼前に晒された自分の身体が少しでも綺麗で美しく見えたらいいのに。そんなことを思いながら、私は部屋の照明を暗くした。


「ごめんな」
Tシャツに頭を通しながら、先輩はぽつり、とごちた。
「ごめんって?」
「俺…彼女、いるんだ」

申し訳程度に気まずそうな顔をする先輩に、私はああ、と頷く。

「ダンサーのMAOさんですよね」
「えっ?」
「ミュージシャンのライブのバックダンサーとかもされているんですよね。本当にかっこいい!どこで出会ったんですか?」
「…何で?」

困惑しきった表情の先輩は初めて見た。先輩の表情とは裏腹に、私は何だか嬉しくなってしまう。

「俺、付き合っている人の名前、誰にも言ってないんだけど」
「言ってなくても分かりますよ。健太先輩のことなら」

そう言って、健太先輩の右手を握る。さっきまで私に触れていた肌。強張るように固まっている健太先輩を宥めるように、私は自分の指をゆっくりと絡めた。

「SNSって、無防備な人には向いてないですよね」

健太先輩のSNSの投稿や、お気に入りにした他人の投稿を全てチェックした。やり取りの様子も全て。その中から、健太先輩が好きそうな女性を全て確認する。健太先輩は綺麗で、少し気の強そうな女の人が好きだ。そして、自分と同じぐらいストイックな。

甘ったれていて、「可愛い」と思われることに全ステータスを振り切ったような戦略しかとれない私とは真逆のタイプの女の人が、先輩の好きな人だ。

大体の見当をつけた後は健太先輩の行動を探ればいい。デートしている二人の様子も確認した。渋谷のカフェで楽しそうに談笑する二人は、美男美女でお似合いだった。新宿の居酒屋で、無邪気に健太先輩に寄り掛かるようにして酔っぱらう彼女は、とても幸せそうだった。

「あの焼き鳥屋さん、よく行くんですか?今度私とも一緒に行きましょうよ」
「麻耶」

おぞましいものでも見るような顔をしている健太先輩を離さないように、私は握る手に力を込めた。

「私いいんです、全然。浮気相手でも」

私にとってはここに感じる熱が全てだ。ステージで踊る先輩の姿を自分の目でずっと見つめていたいと思うのと同じぐらい、私は健太先輩にまつわるもの全てを受け入れる。彼女がいても構わない。私の目の前にいてくれる時間が、彼の身体があればそれでいい。

「私、今日は朝までずっと健太先輩と一緒にいたいです」

私を狂わせたあの日と同じ言葉を健太先輩に告げる。
目の前の男を逃がさないように、私は彼の首筋に、噛みつくようにキスをした。

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