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【至高の文章表現・日常の中に潜む私たちの気持ちの揺らぎ】鷺沢 萠著『海の鳥・空の魚』

あなたにとっての「小説の面白さ」って何ですか?

人によって答えは様々でしょう。私にとっては、見過ごしていた・言葉にならないけれど確かに感じていた気持ちに言葉を与えてくれるところ。

今回ご紹介する鷺沢萠さんの「海の鳥・空の魚」は、で正にそんな日常に潜む気持ちの揺らぎに、言葉という肉体を与えてくれるような作品です。

20編の短編から構成された小説集なのですが、日常の些細な描写や、人生の一部分を鮮やかに切り取り、静かな余韻を残してくれる物語がぎゅぎゅっと詰まっています。

全作品レビューしたいぐらいの作品なのですが、特に私がびびっときたものを中心にご紹介していきます!

1.繊細で美しく、細やかな文章表現が味わえる


ストーリーも勿論素敵なのですが、文章表現が…もう…!

特に私があまりの秀逸さに「うぁー!(オタク的表現)」となった作品を挙げていきます。

タイトル:月の砂漠

主人公の省介が、中学生の集団とぶつかったときのシーン。

小さく舌打ちして彼らを見送った省介だが、彼らのまわりに飛び跳ねているような、何とも言えないひとつの空気が見えてくると、怒る気もしなくなった。(中略)きっと省介もあの年齢のころは、こそばゆいような光る空気を、自分の身体から発散させていたに違いない。

タイトル:柿の木坂の雨傘

職業不詳の男と結婚したことで、父から勘当されたヨイが、父と会う日を考えて揺れる心境を描いたシーン

半年ぶりで見る家族の顔を思い浮かべると、ヨイの心は期待と不安でごちゃまでになる。
冬の朝の住宅街をゆっくり歩いていると、これと似たような思いをしたことがあることにヨイは気づいた。歩きながら長いこと考えて、やっと思い出した。これはまだ小学生の頃、終業式の日に通信簿をもらって帰るときの感じに似ている。

タイトル:星降る夜に

仕事から疲れて帰る真一が、自分の子ども時代を振り返るシーン

あのころはそんなことを考えることもできた。そうなのだ。あのころは何にでもなれた。自分が望むだけで、自分自身が真一の手に握られていた。
けれど時間は経つにつれどんどん速度をあげていった。それは下り坂を転げていくのに似ていた。今年は去年より確実に短かったし、来年はもっと短いだろう。

怒涛の3連発を載せてしまいましたが、すごくないですか…?

特に最初の「月の砂漠」。『思春期の学生たち(しかも集団で固まって帰っているとき)の、あの何とも言えない楽しさで満ちているときを、こんな風に表現できるんだ・・・!!』と興奮してしまいました。

だって、「こそばゆいような光る空気」ですよ・・・?

正に青春時代の煌めき(そしてその空気感)をこんなに的確に、しかもその時代を過ぎた読者にもはっきりと思い出させるその表現力。

この本には、こういった読者が昔忘れかけていたけれど確かにその時感じていた感情を想起させてくれます。しかも、さりげなく、おしつけがましくない形で。

少し疲れてしまったとき、何だか最近何をしても味気ないな、と思うような毎日を送っている方には是非読んでもらいたいです。

2.最後まで読みきった後の読後感が至高


この小説を読み進める中で、私は何だか毛糸でできた編み物とか、沢山の柄で構成されたパッチワークが頭の中に出てきました

一つひとつの短編の登場人物たちに、繋がりがあるわけではありません。けれど、その根底には共通して、人と人との触れ合いの中で生まれる、切なさや優しさが備わっています。

恋人との些細なやりとり、友人との会話。肉親の愛情を感じた瞬間。

きっとそれが、私の中で蓄積され、大きな物語の渦のように構成していったのでしょう。

だからこそ、全部読み切った後の鷺沢さんが書かれた<あとがきにかえて>が最高に良い…!

本当は引用してこの私の興奮をお伝えしたいのですが、こればっかりは全部読み切ってから読んで欲しいので、あえて載せません。

登場人物の心に触れながらも、きっといつの間にかあなた自身を投影し、自分自身を見つめ直すきっかけになる本作。

年度末の忙しい時期を迎える前に、あなた自身の自然な気持ちを取り戻し、豊かな時間を過ごすために是非読んで欲しい一冊です。


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