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あんもち雑煮は愛と涙の味がした

ぶうんという音で目覚めた朝、あったかい甘い匂いが立ち込める。お餅だ!と慌ててベッドを飛び出す。台所へ行くと、あんこがたっぷり入った鍋をせっせとかき回しながら、おばあちゃんが「おはよう」と笑ってくれる。「今頃起きたんかあ」と半分呆れながら、おじいちゃんはせっせと蒸した餅米を運んでいる。餅米が機械の中でどんどん丸くなってゆくのを眺めながら、「ねえ、お餅いつできるん!?」せっつくように言うわたし。家族みんなが顔を合わせて笑い合う。

元旦の朝、昨日ついたばかりのお餅がお雑煮になって目の前に現れる。白味噌のお出汁がきらきら輝いていて、真ん中に鎮座するのは大きいお餅。細く切ったにんじんと大根、鰹節と青のりがたっぷりのった朱色のお椀。「明けましておめでとうございます!」大きな声で言ってから、お餅に急いで箸を入れる。中からこぼれ出す大きな粒あん。甘くて思わずほっぺが落ちそう。白味噌のお出汁を飲んで、その甘じょっぱさに「新年だあ」と心の底から感じる。

大晦日のお餅をお雑煮で食べるのが、実家のお決まりだ。お雑煮は、地域によって味が違うと言う。その中でも、とびっきり変わっているのが香川県のお雑煮だ。香川のお雑煮は「あんもち雑煮」。香川県で生まれ育ったわたしにとっては、これがいつもの味だ。

毎年、あんもち雑煮を食べなきゃ始まらない!と思うくらい、わたしはあんもち信者。香川県ではメジャーだけど、最近は作らない家も多いらしい。田舎のまるでサマーウォーズみたいな実家は、おじいちゃんもおばあちゃんも生粋の香川県民だ。普段から伝統的な食べ物がよく出る実家が、疎ましいと思っていた思春期。今では懐かしく、ただ恋しく思う。



東京に引っ越してきてから、もう3年目。あの味が恋しくて、高い飛行機を取るはめになってもお正月は必ず帰っていた。だって、やっぱりおじいちゃんが作ったもちと、おばあちゃんのあんこがなきゃはじまらないもん。(そんなことを言いながら、本当は実家が恋しいだけだったり)

でも、今年は東京で過ごすと決めていた。わたしは実家が好きだ。おじいちゃんもおばあちゃんも大好きで、顔を見れば嬉しくって抱きついてしまう。けれど、やっぱり嫌なこともある。お正月につきものな、親戚の集まり。親戚のみんなも大好きだし、会いたい気持ちだって人一倍ある。けれど、帰るということは、一瞬で心が冷えてしまう一言にも会わなければいけないということ。

「子ども、まだなんか?」

たったその一言で、この地に帰ってきたことを後悔する日。みんなが大嫌いになってしまう日。それはもう、悲しいくらいに。

古い家柄の、田舎の家族。あんもち雑煮が出てくる限り、きっとその一言も永遠に。伝統的な我が家は、アップデートされない価値観で永遠に生きている。

だから、これ以上みんなを嫌いになりたくなくて。そしてそれ以上に、自分を嫌いになりたくなくて。わたしは今年、東京でお正月を過ごすと決めていた。



元旦の朝、部屋中に昆布だしのいい匂いが立ち込める。ぐつぐつと音を立てる鍋、透き通った黄金色。ほうれん草を慌てて茹でる。お湯に入れた瞬間、新緑のように鮮やかに色づく緑。昨日のうちに桜の形に切り抜いていた人参と、小さく切った鶏肉。真っ白なお餅がぷくうっと膨れて、甲高いチーンという音がする。朝からバタバタしながら、朱色のお椀に盛り付ける。

「さて、エセ関東風お雑煮だ」

えへんと宣言しながら食べたお雑煮は、美味しかったけれどやっぱりどこか物足りなかった。



おじいちゃんやおばあちゃんは、きっと今年もあんもち雑煮を作ったのだろう。夜になればみんながやってきて、ワイワイすき焼きをしたのだろう。そして、きっと、今年も誰かが傷ついたのだろう。

ぼんやり考えながらタバコに火をつける、東京。実家の人は、誰もわたしが喫煙者だと知らない。わたしがどんなことを考え、どんな仕事をしているかも知らない。それは寂しく、それでいて分かってもらえる訳がないことも知っている。

だけど、やっぱり、いつまで経ってもわたしはみんなが大好きだ。心の底から愛している彼らを、どうしようもなく恋しく思う。

だからこそ、わたしは今年も東京で生きてゆく。胸を張って「わたしは大丈夫だよ」と宣言できるようになるまで。

子どもがいることも、結婚していることも、彼氏がいることも、彼女がいることも。すべて、幸せの基準ではないのだ。この時代、何が幸せかなんて分からない。戦争も終わらない、災害も事件も止まらない。

だから、わたしは今日もただ文字を綴る。この世界に一つでも素晴らしいものを残せるように、美しい言葉と愛で誰かを慰められるように。そして、いつ死ぬか分からない日々に、後悔がないように。精一杯生きていけるように。

わたしの幸せも、あなたの幸せも自分自身で決めること。だからね、きっと大丈夫。今年をいい年にするのは自分だから。わたしたちでいい年にしていけるから。



もう少し強くなったら、実家でまたお正月を迎えよう。そして、あんもち雑煮を食べよう。あの甘じょっぱい味はきっと、涙と幸せの味だから。そして、わたしの家族の味だから。

今年も生きてゆこうね、精一杯。生き抜こうね、一生懸命。

いい年になりますように。そして、いい年にできますように。

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