学校を休んだ日にだけ観るドラえもんのビデオ
"学校"というシステムに、ぼくはまったく馴染めなかった。もうテンでダメ。学校には苦手なことがたくさん詰まっていた。
宿題をしなさい。置き勉はダメです。みんなと仲良く。自由に表現して。規則は守って。早寝早起きしなさい。名札をつけてきなさい。もみあげは耳の半分まで。靴下は白。二人組を作って。
これを難なくこなす同級生たちは一体なにものなのだ……。
小学生だったある日、「音楽を聞いて、それを絵にしてみましょう」という図工の授業があった。カセットテープ(時代を感じる響きだ……)でなんだったかオーケストラの曲を流し、そのイメージで自由に絵を書こうという内容だ。音楽に対する視点を養い、表現力を高める目的があるのだろうけど、ぼくにはこれがまったくできなかった。
聞き慣れない音楽を聞いたところで情景なんてまったく湧かず、途方に暮れ果ててしまった。音楽は数回繰り返されるも、目の前にはまっさらな白紙。焦りつつも音楽を聞いていると、同じフレーズが何度も繰り返される部分があることに気づいたので、画用紙のすみっこに緑の小さなグルグルを書いた。
その間にも周囲の同級生は自由に、画用紙いっぱいに絵を書いていて(いったい今の音楽からなんの着想を得てその満面の笑みを浮かべる女の子を書いたのだ……)、先生がそれをひとつひとつ褒めて回っていた。
ぼくのところに回ってきた先生は、小さなグルグルが書かれているだけの画用紙を見て心底呆れていた。その後は授業をまともに受けず騒いでいた男の子たちと一緒に「不真面目な子」とひとまとめにされて、「教科書のお手本の絵を写しなさい」と言われた。
中学生のときには、修学旅行でどこだかの湖にあるペンションに泊まることになった。女子と先生は別のペンションに泊まるため先にバスから降りていき、その瞬間、「わっ!!!」と騒ぎ出すクラスメイトの男子たち。「男子しかいない」という非日常に大はしゃぎするみんなついていけないぼくはストレスで吐き気が止まらず、夕食に出てきたステーキも食べられなかった。
本当に、本当に学校が苦手だった。
高校生のときは、周りが性や恋に浮かれるなか、そういった発達が遅かったぼくはどんどん置いていかれている気持ちになった。特に、ゲイだった(という自覚は当時曖昧だったけど)ぼくにとって恋愛の話は苦痛でしかなかった。
「クラスの女子でだれが好き?」と聞かれるたびに逃げ出したい気持ちになり、それだけが原因じゃないけど1年生の夏休み空けあたりから学校には行けなくなってしまった。
大人になった今思う。さっさと逃げてしまえばよかったのにね。自分という個性を受け止めて、生きやすいように生きればよかったのに。けど、あの頃、視野の狭い子どもだった頃の自分にはあれが限界だったんだよね。
大人ってサイコーだ。体育祭も合唱コンクールもない。集団で動くのが苦手でも個性としてセルフブランディングができていれば受け止めてもらえることが多い。友達に旅行へ誘われても「集団行動が苦手だから途中で別行動しちゃうかもだけどいい?」と聞けるようになった今、人との関わりを過度に恐れずに済んでいる。
SNSが発達した現代の子たちは、ぼくの頃とはまた違った生きづらさを抱えているんだろうな。学校が苦手な子、たくさんいるよね。学校の中だけで人と関わっていくのも大変だったんだもの。スマホを通して常にだれかとつながっているのは想像するだけでしんどくなる。
そういった子が、自分なりの逃げ場と、自分の愛し方と、無理のない人との関わり方を見つけられるといいな。
(余談だがぼくの逃げ場は、学校を休んだ日だけに観るドラえもんの映画のビデオだった。海底鬼岩城とブリキの迷宮はトラウマである)
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