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思ったこと2

前回の記事

今回も散文を書きます。


日本人が日系アメリカ人と同じようになる方法は至ってシンプルです。

日本人もアメリカ英語が完璧に話せるようになればいいだけです。

しかし、それは決して簡単ではありません。

特に子どものころの私のように、アメリカ人(またはイギリス人)から英語を学びたかったのに、両親からおもちゃとゲーム機と筆記用具以外の何も買ってもらえず、習い事は一切行かせてもらず、そんな状態でどうお願いしていいか分からなかった場合は。

小学1生くらいの時にたった一度、そもそも英語が何かわからなかった時に、子ども用の英語ドリルだけ手渡されましたが、当時は本を読むのが苦手で、読み書きもまだ少し難しく、内容は難解で、質問や確認をするというのも知らず、勉強方法の手ほどきしてくれなかったので、まったく進んでいないという実績ならあります。

それで両親が「この子は英語に興味がない」と勘違いして、小4のときに英語に興味を持っても、「金ない!」「前買ったドリルやれ!」と叫んで、英語を学ぶ機会を与えてくれなかったのだと思います。

子どもは、何の方向性もやり方も分からず、ただ「勉強をやれ」と言われたら、やりたくなくなるものです。

「東大行け」「ハーバード行け」みたいに具体的な目的地を示してくれなかったし、「大学はいいから家業を継げ」みたいに目的を明らかにしてくれなかったし、「そもそも自分はどこに向かっていけばいいのか?」と私自身も考えても、よくわかりませんでした。そのため、何のための勉強かもわからなかったのです。

大人になってから親に「あなたは私がどのようになってほしかったか」と質問しましたが、「いや、あなたが自分の道を進んで幸せに生きていけるようになったらいいなと思ってた」と答えたので、私は心のなかで「それはつまり、今までの金無い連呼や、障害者呼ばわりした挙げ句のコンサーター薬漬けなどの行き当たりばったりの対応は、そういうことだったのか。私の将来について一切考えるつもりはなかったんだ、ふざけるな」と怒りがこみ上げてきました。

あるいは、学校では、小5の英語の授業にたまにフィリピン人が来るだけで、そのフィリピン人がレクリエーションみたいな授業しかせず、英語を学ぶ機会がほとんどなかった場合は、それもまた難しいです。

中学校では、イジメや教員との不和を理由に途中から引き込まざるを得なかったので、中学英語を学ぶ機会もほぼありませんでした。

当時からネットは好きでしたが、英語について調べる方法はわからず、出てきても、中学英語を理解している前提の情報ばかりでてくるので、それも難解でできませんでした。

高校生の時になって、ようやく真面目に英語を学ぶ機会ができましたが、中学の時にすでに精神を病んでいたので、まったく頭に入りませんでした。

やっとまともに英語を学べるようになったのは社会人になってからですが、時すでに遅し。

どんなに「中学英語学び直し」の本を買って、だいじろーのYouTubeを観て学んでも、アメリカ人の赤ちゃんよりも文法が不自然で、発音はジャパニーズアクセントで、さらにはDeepL翻訳という理想の無料翻訳サービスに飛びついてしまうので、英語は全然上達しません。

同世代の日本人や韓国人のほうが英語がうまい現実を見ると、本当に悔しくて悔しくて仕方ありません。

小2の時から、カートゥンネットワークを通じてアメリカ文化に少しずつ興味を持っていたので、その時から本気で英語を学びたかったのに。

今となっては、子どものときと脳の構造が違うので、言語を学ぶのは本当に難しいです。

もし全能者が私に願いを叶えてくださるなら、今すぐイギリス人やアメリカ人と同じレベルで英語を理解できる能力がほしいです。

こんな日本という、米津玄師天皇を崇める大ボカロ帝国から早く脱出して、世界のどこにでもいけますから。

ボカロ文化やその他諸々の日本の悪しき習慣のせいで非国民扱いを受けている私としては、英語ほど理想の言語はありません。

英語がわかれば、フランス語も理解しやすく、フランス語がわかれば、イタリア語やドイツ語を学ぶのもそこまで難しくありません。

英語・フランス語・ドイツ語の3つが分かれば、おおよそ世界のどこの国でも通じるので、実質世界の言語を自分のものにしたのと同じです。

しかし、日本語をわかっていても、せいぜい韓国語とインドネシア語くらいしか助けにならず、アメリカ人やフランス人に、アンニョンハセヨとかスラマッパギとかと叫んでも、何も分かってくれません。

自分の力でも何もできず、周りの誰も助けてくれなかった過去を思い出すのは、何もいいところがありません。

自分と人間を信じるのはナンセンスです。

このように、私にとっての10代とは、暗闇と絶望と無知の集大成でしかなく、捏造でもしない限り、他の人のような楽しかった青春を思い出すことはできないのです。

聖書とDAWに出会っていなかったら、数年前にはすでに自殺していたと思います。

英語を学ぶ機会を、大人になった今のように無理やり手に入れることのできなかった、あの子ども時代を思い出し、苦々しかった気持ちをどうしても自分の脳だけで整理できなかったので書きました。

最後までお読みくださりありがとうございました。


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