夜中の走り書き−有益なことが分からない

noteって有益なことを書かねばならないのだろうか。

そういう風潮がある気がするが、ちっとも有益なことは書けそうにない。感想ノートをもう少しちゃんとして、定期マガジンにしてみるのとかはどうだろう。映画なり本なり、インプットする理由にもなっていい気がする。

しかし私の下書きには「1月の観劇まとめ」という記事が一週間前くらいからまったりとくつろいでいる。ケーキとお茶を頂きながら優雅なものだ。もっと前の感想の記事なんて永遠の眠りについているかもしれない。

私は本当に本当に面倒臭がりなのだ。

改善したい。こころから改善したい。

そのためにもnoteやブログをいつも小脇に抱えているのだけど、だけどねえ。修行と思って頑張りたいなあと思いながら、この文章を書いています。かしこ。


しかもさあ、こういう変な時間にばっかり更新しちゃうんだよなあ。予約投稿とかにしてみりゃいいかな?朝とかに投稿されるように。ちょっとやってみようかな。朝お届けされたら「あ、試してみたんだな」って今思ってください。はい!どうぞ!


有益。

ためになること。

私にとっての有益なことはなんだろう。実はよくわからないな。

料理を作るときのレシピとか、ランチに行く時の美味しいお店の情報とか、そうじゃないこと。「へぇ」「ほお」「これは面白いな」と記事を読んで思うことは多々あるんですが、常に「この人からこれを取り入れよう!」と思って行動していることって全然ないや。みなさんありますか?あったら教えてほしい。コメントとかで。

みうらじゅんといとうせいこうの雑談なんかは大好きだけどタメにならないし。タメにならない有益さってのもあるのかしら?こころが解放されるな〜とか?


あ。ミュージカルの新作を書くために心理学とかカウンセリングの本はチラチラ読んでますね。ユング派のものを。新しいことを知るのはとっても楽しくて大好きです。それこそ有益だなと感じます。

それで言うと一時期「Youtuberがなんで流行ってるんだろう」と気になってめちゃくちゃ掘って見てたのも同じ感じだったかも。若者が感じてるロマンを知りたくて。今となってはすっかりハマってただのYoutuberファンですけど。

自分のこころが気になって、自らメスをいれて内臓を見てみないとワクワクしないのかもしれません。

なのでそういう何かのムーブメントを客観視して「これがなぜ流行っているかというとこうこうこういう理由が!」と説明してくれるような記事を読んだりするのには興味がないのかな。それを自分で知っていくことが一番好きなの…かも?

え、それで私はnoteに何を書けばいいの?

あ、そういう自分が発見したロマンを説明しますよ!って書けばいいんか!でも超個人的な観点だからなあ。それでいいんじゃよって話か。

こんな思ったこと走り書きしてる人って他にいるんですかね。これって「自分語り」ってやつに分類される?されたらちょっと恥ずかしいな。ぴぇん(自然にぴぇんを使えたので若い!)


こんな記事を誰かが読んでくれそうな時間に予約投稿する意味ないな。やっぱ夜中にこのまま更新しますわ。ははは。

また今度。おやすみなさい。

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