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ここまで歩いてきた道、誰も歩いた事ないってマジ?

わたしの人生はわたしだけのものなんですよ。

あなたの人生はあなただけのものなんですよ。

…知ってました?


と、いうのも。

人はなぜだか、誰かの人生のある一点を見て、ぜんぶを知っているような気になっていることがおおいなと思うんです。

というか、人生っていうのはだいたい同じもんだって

人生のルートは限られていて、見える景色もだいたいこういうもんだって

思ってしまいがちなんじゃないかと。

それがいいとかわるいとかじゃなくて、当たり前だと思うんですよね。だって自分には、自分の生きてきた人生のルートと、景色としか見えないわけですから。

しかも人生一度きり、毎秒毎秒「人生ってこういうもんなんだなぁ…」って感じているわけですよ。「こういうこともあるんだな」とか「こんなことある!?」とか「毎日同じだなあ」とかとかとか。

たとえば、

「最近の若者は」

って言葉がありますけど、「最近の若者は」我々と違って当然なんですよ。

私が大人数の学生と毎年…ここ五年くらい関わってみた感想は「人間全員ちげー」ってことで、本当に毎年予想してなかった意見が飛び出したり、今までこんな子いなかった!って子が現れたりします。


人間ってのは環境に適応していて、社会と連動していて、そして環境や社会はどんどん変わり続けているので、それを私たちが生きていた時代と比べて批判してもなんの意味もなくて。

「最近の若者は」って言いたいならば、ちゃんと社会と環境とを冷静に観察した上で、そういう人生を歩んできた"自分とは別の人間として"言わなくちゃいけませんよね。

そして冷静に考えてみれば、わたしの触れ合ってきた学生たちだって、全員が全員「こんな子いなかった」なんですよ。

「量産型メイク」とか「量産型大学生」とかよく聞きますけど、そんな人も物も、メイクもファッションもどこにもありませんでした。パーソナルな部分を知らないから景色として有象無象に見えてるだけのことです。


しかも若い頃っていうのは環境に適応していくことに無自覚な事が多い。だから大人からすると無邪気に順応しているように見えるから言いたくなるんでしょうね、気持ちわかるよ。

大人になると、自我をもって環境に適応していくんだなと最近やっと感じでいます。「ええ、また新しいものがでてきた!これどうやってつかうの?」ってことを調べて覚えたり、「税金が10%になったから〜レジ袋が有料になったから〜」とか、変化に対して意識と抵抗がある。

自覚があるのって苦しいですよね…。なんでも。差別も。消費者意識も。加害者意識も。ううう。


…話が逸れそう。

なんせ、誰かの人生はその誰かしか経験してないんだなっていう当たり前すぎる当たり前を、再認識してるよって話なんです。

だからこそ、"誰もが特別" なんですよね。

一個しかないものって特別じゃないですか。

「この景色は自分しか見てきていないものなんだ」って、どんなに自分は平凡だなと自認している人も思っていい。


だから自分の人生に対してめちゃくちゃ「最低!」って思うことあると思うけど、誰かに何か言われても本当に気にしなくていいと思うんです。

今・現時点で・この判断!!は人から見たら「それっておかしいよ」と思うことがあるかもしれないけれど、そこまでの道のりを体験している人はこの地球上に誰もいないんですよ。過去にも未来にも。たとえ自分のことをずっと見てくれている人でも。

そしてその分、気にしなくていいぶん、

誰かの人生に対して無粋につっこんでいくことも、すごくナンセンス。


自分だけのもの、と思うと、今度は「誰にも解ってもらえない」という寂しさもつきまといますが、誰かに解ってもらうためには、「こういうことがあったんよ」って説明したり、その時の心を表現するプロセスを丁寧にやればやるほど良いのかな?人によるかな?

少なくともわたしは、他人のそういう心のプロセスを「うんうん」って聞きたいし、私に理解してほしくて話してくれる人の言葉は、その人の言葉としてきちんと受け取っていきたいなと今これを書いてて思いました。

そして自分のことを丁寧に話すためにも、その時々の心にしっくりくる言葉を見つけたいし、心の引き出しにいろんな言葉を補充して、いつだってしっくり生きたいな。

生きるってほんと難しい。

人生ってまじで難関で難解で、疲れるし最低。

でも優しい友達がいるし、自分の書く物語が好きだし、過去に生み出した登場人物たちに救われてるから、この人生にしてよかったって思います。

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