見出し画像

「自分の意見を持つ」のは案外大変なんだから、

日々溢れかえる情報を脳みそが処理しきれないまま、次の情報がやってくる。

痛烈で、禍々しくて、ショッキングで、意志や熱意がてんこ盛りで、いろんな色で塗られた情報たちにいちいち頭を使ってしまう。

SNSは等しく短文だ。

長々書いていたって別に書籍ほどあるわけじゃないし、書籍ほど時間と労力がかかっていることもそうそうないと思う。(このnoteだって短文だ。)

旅館の食事が多すぎる、親が無責任である、表現が不適切である、炎上商法、誰かの恋愛、誰かの不倫、好きなコンテンツへの批判や中傷…。


そのすべてに、「自分の意見」を持たなくたっていい。

「自分の意見を持つこと」って、実はそんなに簡単じゃない。


「なんかやだ」「なんか好き!」「なんとなく受け付けない」「この人嫌いだからなんかもう全部やだ」「あ〜わかるかも〜」みたいな直感や気持ちってよくあるじゃないですか。私はしょっちゅうあるんですけど。

気持ちを抱くことは自由なので、例えば正論中の正論を見かけたとしても「私はこの人のいうことは苦手だから読まないでおこーっと」って思ったっていいと思うんですよ。心の中は自分だけのものですから。

(それを「意見」として主張したり、まあ例えば引用RTで「こいつの言うこと苦手だわ」って読まないままにツイートするとそれは嫌な感じですよね…。)

そこから「意見」にするためには、思考をめぐらせて、ひとつの「主張」にする必要がある。

意見は辞書でひくと「ある問題に対する主張・考え」

どの程度考えれば意見を持ったことになるのか、は人それぞれかもしれませんが、例えば記事の内容をすべて読んでいなかったり、知らない部分があったのに調べずにいたり、自分の中で言葉がまとまらないままだったりするならそれは「意見を持つ」に未到達なのではないかなあ、と思います。


わたしはそれをすべてできているのかと言われたら全くできてません。


この記事は自分に言い聞かせるためにも書いているのです。

「これに対してはこういう意見だな」「この事件にはこう思うな」とかいちいち思ってしまうんだけど、意見として成り立つまで調べたり考え抜いたりする気力を持てることは少なくて、毎日ちょっとずつ頭を回転させては、意見が成り立たないまま次の議題へ…ということが多々あるので疲れ切っている。「本当にすべてに意見を持つべきだったか?そんなことはない、ないから一回落ち着いて、考えたいことを思い切り考えなはれ」と。

似たような人がいるかなあ、という気持ちで書いております。


小さな考えの種を持つことは大事だと思います。

だけど今、それをすべて浅く考えて浅いままに言葉として吐き出して、はい次、はい次、ええと、わたしが一番興味のあることはなんだっけ??

そうならないように、「これは種のまま一旦寝かそう」っていう落ち着きを取り戻したい。


人には得意・不得意や、向き・不向きや好き・嫌いなどなどがあって、

わたしは演劇を中心としたエンタメの話題、ジェンダー問題への無理解のことなどは熟熟と考えていると思います。

他のことは難しいです。ずうっと考えてきたことは考えて調べていても難しくも楽しいです。そこの色分けを忘れちゃいけないなと思います。


みなさんがどうしているのかはわからないけどわたしは、

「わたしの専門ボックス」

「専門じゃないけど興味あるボックス」

「まったくわからんボックス」

などに仕分けていこうかな…。ボックス自体がいっぱい増えそうだけど。笑


感染症のことなんて特に!

自分と周りを守るための自分としての意見や、演劇をしている人間としての意見は持つべく調べたりするけれど、専門家の意見や、他の職業の人の意見と混ぜこぜにして考えないように気をつけなくてはなりません。


「自分の意見を持つ」のは案外大変なんだから、

すべてに対して意見を持たなくたっていい。

すべてに対して気持ちを表明しなくなっていい。

そして興味のあることや気になることは自分が誇れる意見を持てるように思い切り調べて考え抜けば、知らない人に優しく説明できる心の余裕も持てるのかもな。

よろしければサポートお願いします!制作や演劇活動のために使わせていただきます。