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ひとにはひとの夜がある―『夜明けのすべて』

2月9日に公開された映画『夜明けのすべて』を見てきました。
きっかけとしては出演キャストが大きかったのですが、瀬尾まいこさんの小説はほかの作品ですが読んだことがあったので、作品としてもとても楽しみにしていました。
先に小説を読むかとても迷ったのですが、今回は映画を見てから考えようということで映画を先に見て、やっぱり小説も読みたい!となったので小説の方も読みました。

あらすじ

月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢さんはある日、同僚・山添くんのとある小さな行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。だが、転職してきたばかりだというのに、やる気が無さそうに見えていた山添くんもまたパニック障害を抱えていて、様々なことをあきらめ、生きがいも気力も失っていたのだった。職場の人たちの理解に支えられながら、友達でも恋人でもないけれど、どこか同志のような特別な気持ちが芽生えていく二人。いつしか、自分の症状は改善されなくても、相手を助けることはできるのではないかと思うようになる。

映画『夜明けのすべて』公式サイトより
https://yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp/about/

まず、劇的な「なにか」が起こるお話ではありませんでした。これはパンフレットで藤間さんもおっしゃっています。なのに心が動かされて、気付いたら泣いていました。
わんわん泣くというよりも、じわじわ絞り出されるようにあとからあとから止めどなく涙が溢れてきてしまうような、そんな感覚でした。

今回、映画を見てから小説を読んだのですが、映画と小説では少し変えられているところがあります。ですが、じわじわと溢れ出てくる涙の感覚が、映画と小説でとてもよく似ていました。昨今、メディアミックスについて大変センシティブな話題もあるなかですが、本作の媒体による違いと空気感の共通性について思ったことを最初に書いておきたいと思います。


小説について

映画を先に見たので映画の印象を先に書くべきなんでしょうが、なんとなく小説の方を読んだあとの印象を先に書きたいと思います。映画と小説で設定の違いなどもたくさんありましたが、小説を読んだ際に映画と一番違うと感じたのが、山添くんの症状の描写でした。
それぞれの媒体の特性上、小説は映画より主観的な視点を描きやすいと思います。そのため、山添くんの症状の感覚がかなり詳しく描かれており、私はここを読んでいて自分自身もしんどくなるような感覚になりました。

この点については、著者瀬尾まいこさんの刊行にあたってのコメントにもあるように、ご自身の体験に基づく臨場感なのかもしれません。

『夜明けのすべて』刊行にあたって
https://www.suirinsha.co.jp/books/detail1.html

YouTube「BundanTV」のインタビュー


映画について

映画になるにあたって付加された要素として一番大きいのが、プラネタリウムの存在だと思います。
パンフレットで瀬尾まいこさんが「ドラマティックになりすぎないかと思った」という話をされていましたが、『夜明けのすべて』というタイトルにとてもマッチした世界観だと感じました。前述のインタビューにて、夜が明けるまでのすべてがここにある、といったようなことをお話されていて、夜の空は星に満たされていること、体の中には宇宙にも勝るとも劣らない神秘があること、そして月経は「月」という字を冠するように、宇宙にある月と少し繋がった存在であること、そういったことが繋がるような感覚でした。

これは、三宅監督が主演陣にも本を渡したという「POWERS OF TEN」にも通ずるものがあると思います。

ちなみに私は「プラネタリウム」といえばいきものがかり派なのですが、あたたかみという意味でもなんとなく近しいものを感じて久々に聴いてしまいました。


また、人物設定に新たに加えられた要素としては、辻本さんと、藤沢さんのお母さんがかなり大きく要素の追加がありました。(小説では特に言及がない、という点では住川さんとかもそうかも)
いずれについても私が思ったのは、この作品で描く生きづらさの範囲をもっと広くしたかったのかな、ということでした。体だったり、心だったり、なくしたものだったり、それが何かは人それぞれだけど、みんなが少しずつ痛みを抱えていて、その度合いを比べるんじゃなく、なんとなくいい感じにできたらいいな、ということなのかなあと思います。
あとは、「お守り」がキーになるシーンなどで、より山添くんと藤沢さんを周りで見守ってくれている人の存在を強く出していたように思います。


ひとの痛みと仕事について

昔、友達が生理痛でしんどそうにしていたときに、「痛いよね~」と軽く同意をしたところ「私の痛みはそんなもんじゃない」と怒られたことがありました。
たしかに痛みって自分にしかわからないよな、とそのときとても腑に落ちたので、すぐに謝りました。彼女がいまでもそれを覚えているのかその後聞いたことはありませんが、私にとっては忘れられない記憶です。

お腹の痛みですら人それぞれなのだから、精神的な痛みなんて測りようがないです。
小説の方で、山添くんが初めて心療内科に行く話が描かれているのですが、案外心療内科に行っている人っているんですよね。私も以前、しばらく月に1度心療内科に通っていた時期がありましたし、知人でも久しぶりにあったら「実は私も……」というような話もありました。風邪かな?と思ったらドラッグストアで薬を買ったり、花粉症の予防で耳鼻科に行ったりするのと同じように、ちょっとしんどいかも、というときに気軽に心療内科に行けるようになるといいなあと思いつつ、心療内科で自分に合うところを探すのってなかなか大変(小説で描かれていた予約の取りにくさとか、先生との相性とか)なので、難しいのかなあとも思ったりしました。

特に社会人になると、生理痛でしんどい、という話を家族以外にできる人は学生時代以上に減るような印象が勝手にあるのですが、心療内科に行っている、ということも自分からわざわざ言う人もそう多くはないのではないでしょうか。
なんとなく、そのことについて言いづらい雰囲気がある、という共通性があるのも、この二人を並べたときの違和感のなさに繋がっているのかな、と思いました。

同情や心配がほしくないなら何がほしいのか

劇中で、藤沢さんが自分のPMSについて、同情も心配もいらない、と言います。すごく、わかるな、と思いました。同情や心配って、ベースに「自分は大丈夫だけど」という上から目線が入っているように感じてしまうところがあると思います。それはそれで被害者意識が強いというか、逆に傲慢なような気もするのですが、自分が辛いときにその気持ちをわかちあうってめちゃくちゃ難しいです。さっきも書いたように痛みは自分にしかわからないので。

であればそういうときどうしてほしいんだろう。藤沢さんと山添くんが、友情でも恋愛感情でもない「ただの同僚」としての仲間意識のなかで得たのは、個人的には、過大評価も過小評価もせず、本来その人の力量であればできるであろうところの範囲でパフォーマンスしてもらうために周りも自分もできることをする、というところなのかなあと思いました。

結局、なんでも治せる魔法の薬や魔法使いはいないし、24時間365日常にHPがMAXなんてことは人間だれしも不可能なので、ちょっとずつお互いを気遣いながら、自分の状態を見つめながら、無理せず安全に毎日を過ごすことなんだろうな、という気がしています。

瀬尾さんはインタビューで、テーマを設定したくはない、としながらですが「自分を好きじゃなくても、人を好きになることはできる」とおっしゃっていました。
この「好き」を限定せず、だからといって無理に幅を出そうとひねり出すわけでもない自然さが、この小説や映画に触れてちょっとだけ「生きてて良かったな~」と思える由縁なのかなと思っています。

また、藤沢さんのセリフを受けて、同情や心配と同じくらい、私が難しいなと感じているのが、応援です。
ちょっと前に金曜ロードショーで『かがみの孤城』の映画を見た際に、作中のフリースクールの先生が主人公に「いま戦っているんだよね」「頑張ってるよ」といったような声をかけるシーンがあるのですが、「頑張れ」って言って欲しい気もするし、無責任に言うなよ、とも思ってしまう、繊細な言葉だと思うんです。たぶんこの言葉に私は同情を感じているんでしょうね。


山添くんと藤沢さんについて

瀬尾さんの実体験に基づいて描かれている部分もあるからというのもあると思いますが、この二人が、あまりにも「そこにいる」ように描かれていると思いました。私自身が彼らと同世代の会社員なのもあり、自分だったり、自分のまわりの人間を思い出すところが数多くありました。
ちなみに今回キャスト目当てで見に行った、というのは松村さんなのですが、小説をあとから読んだときに「このキャスティングをした人にたくさんボーナスを上げてほしい~~~~!!!」となりました。パンフレットで上白石さんが「穏やかだけれど、柔らかいエッジの効いた会話がたくさん出てきて」という山添くん評が最高で、それがすべてです。

小説の方で、二人が『ボヘミアン・ラプソディ』の映画サントラを聴いて楽しむシーンがあります。これとは少し違うかもしれませんが、音楽の力というのは偉大で、私もたくさんの音楽に励まされてきました。
今回はそのなかでも、この『夜明けのすべて』で感じたような自分の人生に対する肯定だったり、生きるのが少し楽になるような気がしたりした曲を最後に紹介したいと思います。


・バトンタッチ/MILLIONSTARS Team5th

フル音源はこちら

「『頑張れ!』ってきっと愛してるって言葉」は、いままで触れてきた「頑張れ」というフレーズのなかで最も衝撃的だったもののひとつで、とってもあったかい、全部包み込んでくれるようなフレーズです。この歌詞を歌っているのが私の担当アイドルなのですが、彼女の素直な気持ちがまっすぐな声に乗って、プレッシャーにもなってしまいそうな「頑張れ!」をすっと心に沁みこませてくれるように思いました。
同情も心配も、知らない人には軽率にされたくはないし、よく知っている人には逆に申し訳なくなってしまうけど、全部どんな形だとしても「愛してる」の形のひとつなのかも、と思うと、そのことに感謝しないといけないのかもな、と思いました。


・SPARKLE SIGN/木村龍(CV.濱健人)

私はこの歌から雨上がりを感じましたが、雨上がりと夜明けって、ちょっと似ているところがあるんじゃないかな、と思っています。
歌っている木村龍は、自分ではどうしようもない悩みと向き合って、そのなかで自分にできる最大限の対策をして、ちょっと周りにも頼って、それでもカバーできないところを含めて自分だと受け入れて前に進んでいる男です。本編後の山添くんに贈りたい歌です。


・Everyday Yeah!/ IDOLiSH7

パンフレットに、この映画の柱は「生きづらさ」と「働くこと」だと書かれていたのを含め、思い浮かんだのがこの曲でした。
大きな世界で見たら、自分の存在はいくらでも代わりがきくし、正直代わりがいない方がつらいことが多いです。それは、小説の方で藤沢さんが手術で休んだときに、山添くんが栗田金属で感じたことにも通じています。
ただ、それはあくまで会社や組織にとって個人に依存するのがよくないという話であって、その日1日は、自分にとって、そして自分がかかわる誰かにとっては毎日が特別、ということを忘れちゃいけないんだなあと改めて思いました。
今日も1日頑張った!お疲れ様!生きててよかった!という気持ちを、聴くたびに思い起こさせてくれる歌です。

3次元の自担を見に行った映画の感想を書いているうちに2次元の担当の話になるあたり、私の体は担当でできているなあと思いますが、おかげさまで、これまでだったら映画館に足を運んでいたかわからないようなタイプの映画を映画館で見るようになりました。今回もこの映画に、そしてこの小説に出会えてとても感謝しています。
これからも真摯に生み出された作品にたくさん出会いたいな、と思います。

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