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先生という人

最近、とりとめもないことで忙しい日が続いていた。

何か特別な一大イベントがあるわけではないものの、日々のアレコレに追われて浅い息継ぎを続けるしかない毎日。
肩はこり首もこり腰が痛くておまけに花粉症。家事をこなす体が重くなるほど、比例して心も弱くなっていく。

心が弱ってくると、決まって思い出す人がいる。


「ツグコフちゃんは真面目で謙虚でとってもいい子なんだけど、もうちょっと口角を上げてみたらいいかも!」


ほぼ360°本に囲まれた、こじんまりとした研究室。
棚に入りきらない本がうず高く積まれたデスクに、関係各所からの献本が入った紙袋や段ボール、学生からのお土産がみっちりと置かれている床。そして、神保町や落札会などで発掘された「お宝」的資料が大事におさめられているプラスチック製の衣装ケース。


そんなお世辞にも「片付いている」とはいえない研究室の主が、わたしの指導教授だった。


先生の研究室は散らかっているものの、本人はお洒落で、いつでも身綺麗な人だった。

明るい色の洋服に、きちんとセットされた髪の毛。いつも大量の荷物を抱えて颯爽と移動し、颯爽と移動しているはずなのに、ゼミや校外学習、飲み会などの定刻にはいつもちょっと遅刻する。

着ている洋服の色に負けず劣らず、先生ご自身もとにかく明るい。よく笑いよく喋る。悪いことを一切寄せ付けない、ポジティブの塊のような人である。
学生であっても素晴らしい発表内容であれば全力で「いい!」と言い、ぬるい研究発表には氷の女王のような態度で相手を千尋の谷よりさらに奥深くへと突き落す。

いつも忙しく動きまわっていて、今日大学で見かけたかと思えば翌日には海外へと飛び立っていたり、学生のレポートを大量に抱えながら中高生向けの文学講座などの催しもフットワーク軽くこなしたりなど、無尽蔵のエネルギー源を搭載しているとしか思えない人だ。

そのため、論文指導を賜りたいときや、大学の事務局に提出する書類に先生の押印が必要なときなどは、たとえ10分の面会であってもわたしは必ずアポをとって研究室を訪ねていた。

「この間海外に行ってきたっていう学生からお土産をもらってさー! こんなに食べきれないから、よかったらどうぞ」

そう言って、本と本の隙間にあるらしい四次元ポケット的な空間からお菓子を発掘し、先生はよくわたしに与えた。

先生は「食べきれないから」と言うが、実はダイエットをしているためお菓子を控えているというのが本当の理由であることを、わたしは知っている。
本当に控えるべきなのはお酒なのだけれども、先生はお酒が大好きで、ビールもワインも日本酒も焼酎も中国酒も嗜む。
お酒自体はもちろん、人とお酒を飲む楽しい雰囲気も大好きなため、太るとわかっていてもお酒を控えることは先生にとって難しい。
そのため、お酒を控えるかわりにお菓子を控えるのが先生流のダイエットなのである(先生に物を献上するときは、食品ではなくお酒にすれば先生ご自身が召し上がる確率がグッと上がる)。

以前、先生がゼミの後輩とわたしを中華料理店に連れていってくださったことがあった。

先生は「学生だったとき指導教授から見たことがないものや食べたことがないものをたくさん教えてもらったから」という理由で、自分も教え子にさまざまな料理やお酒を教えることを信条としている節がある。

その中華料理店でわたしがはじめて口にしたのが、「百歳酒」というお酒だった。

「これはね、名前のとおりのおめでたいお酒なんだよ! 不老長寿の薬とも言われたことがあるありがたいお酒だよ」

自分も杯をあおりながら、学生に「遠慮なくどうぞ」と勧める先生。「飲めない人は無理しないでね」と付け足すことも忘れない。

わたしは普段はそれほどお酒を飲まないため、少し飲んだだけですっかりできあがってしまう。
お酒の善し悪しはわたしにはわからないが、その百歳酒は、一口飲めばお腹の中にあたたかい空気が広がって、芳醇な香りが鼻から抜ける、なんとも味わい深いものだった。

そのうち頭がフワフワしてきて楽しい気分になり、「論文がなんぼのもんじゃーい」「将来がなんぼのもんじゃーい」という気になってきた。

ふと横を見ると、先生はわたし以上に酔っぱらっている。我々相手に、頬を紅潮させながら上機嫌に弁舌をふるう姿を見て、フワフワした頭で「わたしが酔っぱらっている場合ではない」とぼんやり思う。

「百歳酒ってのはね、薬みたいなもんだから、体にいいの」

「先生、それは本当ですか」

「そうよ。体にいいから、どれだけ飲んでも、大丈夫なの!」

「なるほど。それはおめでたいですね!」

おめでたいのはわたしの頭であったと今なら思うが、そのときはとにかく上機嫌で、楽しくて、「先生の言うことなら」と「百歳酒=体にいいお酒」としっかりインプットしてしまった(後に数年の時を経て、誤りであることを認識する)。


今思えば、先生には、宴席で本当にいろいろなものをご馳走になった。

百歳酒をはじめ、当時食べたことがなかったエスカルゴや、鱧、鮟肝、ベルベル料理、トルコ料理、さくらんぼのお酒、ビーガン向けのイタリアン、その他諸々……。

どんな席でも先生は絶対に学生・院生からの酌を受けず、いつも手酌で朗らかにお酒を飲んでいた。
「料理を取り分けましょうか、というのは、イギリスではShall I do mother?と言うんだよ!」と言いながら、学生たちのお皿に料理をてんこ盛りにすることすらあった。

大学院を出て、先生のもとを離れ、本格的に社会に出て、人から不当に扱われたり、権力のある人から心理的に頭を押さえつけられるような目に遭ったり、身も心も疲れ果てたりしたとき、わたしはいつも先生のことを思い出す。


理路整然と研究発表をする先生。

学生の発表に冷ややかな一言を浴びせる先生。

「力作だね」と褒める先生。

ニコニコとお酒を飲む先生。

どこの国のかわからないお菓子をくださる先生。

出版社からの無茶な要求や待遇にブチ切れて、真正面から真っ当に、激しく、論理的に猛抗議して勝利をもぎ取った先生。

他大学の教授に「この子、真面目でやる気のある学生です。ぜひ先生の研究会に顔を出させてあげてください」と頭を下げてわたしを紹介してくださった先生。

わたしの目の奥をまっすぐに見通して、「大人って本当に楽しいよ!」と力強く宣言した先生。


わたしが院を出た後も、話の流れでごく普通に自然にわたしのことを「弟子」と言ってくださったこと、実は涙が出るくらい嬉しかったです。そのことだけは、自分を誇りに思います。

相変わらず日々忙しく、生活に追われ、あっぷあっぷしておりますが、いつかわたしも、将来への不安で目を曇らせた子どもに「大人って楽しいよ、最高だよ!」と笑って言えるように、まずは目の前のことに邁進してまいります。

苦労を糧にしておもしろおかしく世間を渡りはじめることができたら、そのときはまた、ぜひ一献。
お供いたしたく存じます。




長く続けることをモットーに励みます。