市町村をサポートするフォレスターの必要性(国民森林会議 機関誌国民と森林 153号 寄稿) 

 林業に転職して21 年、現場で働きながら体験してきた林業現場の変化と自分に何が出来るのか、何をすべきなのか考えてきたことを振り返り
ながらまとめてみたいと思います。

林業への転職
 私は1971 年(昭和46 年)生まれの団塊のジュニア世代です。40 代になった頃から1970 年代生まれを強く意識するようになりました。1970 年代は公害問題が大きな社会課題でした。1970 年の公害国会を受けて、1971 年は、施政方針演説にて環境庁の設置が決まった年でもありました。
私の生まれ育った大阪府吹田市はまだ里山が残っていました。里山が遊び場だった最後の世代ではないかと思います。このような生い立ちが私のベースだと考えています。
 大学進学時、環境を守る仕事がしたいという漠然とした動機から大学で化学を専攻しました。入学時バブルだった経済が卒業時には崩壊していました。もっと研究したいわけでもなくモラトリアムで大学院進学を選択しました。卒業後、臨床検査試薬の研究職として働き始めましたが、就職難の時代、何のために働くのかを考えず仕事をしていました。
 就職して4 年が経過した頃、朝礼時に上司がいった一言が刺さりました。“5 年後、10 年後の自分を想像して働いていますか?” 全く自分の
ポジションが想像できませんでした。なんのために仕事をするのかを考え始めました。
 30 歳を迎え、21 世紀になり環境の世紀と言われるようになりました。何をすべきなのか色々調べる中、日本の森林、林業、人工林の置かれている状況を知る事になります。
 林業界に興味を持った私は、まず山の手入れ作業を経験しようと、NPO 法人日本森林ボランティア協会に入会し、家から近かった箕面の国有林の手入れに月一で参加しました。山で作業をする中、日本の森林の置かれている現実を多くの国民に知ってもらう必要があると考えるようになりました。一方で、ボランティアで月一ノコギリで間伐作業をしていてもどうにもならない現実も理解しました。仕事として、現場技能者として、日本の森林、人工林の課題を多くの国民に伝えることをしたい、そのために現場で働くことから始めようと覚悟を決めました。
 現場で働くことを決める前、2001 年(平成13年)に開学した森林文化アカデミーに入学する選択も考えていました。2000 年秋、来春開学する森林文化アカデミーのオープンキャンパスに行きました。そこで、日本の森林、人工林の現場を多くの人に伝えていくコンサルのような仕事が将来したいと言ったところ(当時はフォレスターという職業を知らず)、この学校を出てもそんな仕事はないと言われたことを覚えています。当時の私は2 年学校に通って勉強するより、現場の技術を身につけて、現場から情報発信していくことを選択しました。

岐阜県郡上市へ移住
 2002 年(平成14 年)6 月、林業の現場技能者として就職するために、岐阜県郡上市(当時は郡上郡)に移住しました。当時連ドラで“さくら”が放送されており、その舞台の一つになっている街に引っ越してきたのだと言う記憶が蘇ります。
 なぜ郡上なのかというと、現場技能者から始めるというのは手段であったので、いずれ色々な活動をするのに、移動が便利な地域を考えていました。岐阜か長野で就職先を探しました。2001 年(平成13 年)8 月に、岐阜県が林業に転職を考えている人向けに1週間体験の募集をしていました。1週間私を受け入れてくれた会社が郡上市の会社でした。最終日、働かしてほしいと承諾をもらいました。

林業仲間との繋がり
 移住した年から始まった緑の雇用制度に参加することなく、社内に教育制度があるわけでもなく、“見て覚えろ”の世界でした。林業現場の情報が手に入りやすい時代ではありませんでした。日々の現場仕事をこなすだけで精一杯の状況の中、NPO 法人Woodsman Workshop(現在は合同会社)主催のI ターンミーティングが郡上で開催されていることを知り、参加するようになりました。
 私が転職した頃、“I ターン者”と言う言葉が一般化した時代でした。当時、森林整備を森林組合に任せていては、日本の山は良くならないと、移住者や森林組合の作業員を辞めた人たちがNPO 等の法人を立ち上げ、森林整備を始めていました。全国で今の現場のあり方に疑問を持つ現場技能者がI ターンミーティングという場に情報、技術、仲間を求めて集まってきました。今で
は信じられないでしょうが、I ターンミーティングに参加するなら森林組合を辞めてから参加しろと言われる人もいた時代でした。
 このような場に参加する事により、日本の森林を守っていきたいという思いを同じくする仲間と出会うことができました。また林業の現場の安全管理が仕組みではなく、個人の判断に任されているということも知る事になりました。20 年前と今を比べても、いまだに現場の安全コストが積み上げられないまま、標準単価が設定されているという大きな課題があることはまた別の機会に議論したいと考えています。

林業現場人会議
移住してから何度か参加したI ターンミーティングが10 回を以て終了した2009 年(平成21 年)の12 月、当時与党だった民主党は、森林・林業再生プランを発表しました(1)。方向性が示された後、内容が次第に明らかに
なってきました。
これらの施策が実施された場合、地域で小さな林業をしている者たちが取り残される事になるのではないか。地域社会と林業には密接な関係があるのに、林産業の効率化のみに集中する施策が、本当に山のためになるのか、その結果、地域社会を壊すことにもなりかねないのではないかという危惧をmixi のコミュニティ、林業現場人会議で議論していました。

図1 森林・林業再生プランの概要   出典:平成21年12月25日農林水産省ウェブ

 本プランに対する現場の危機感はありましたが、林業界の閉塞感を感じていた現場で働く人達の中には、このプランに変化の可能性を感じている人達もいました。批判するだけでなく、どうすれば施策を受け止めることが出来るのか話し合う場を設けようという事になりました。
 2010 年(平成22 年)10 月4 日、衆議院議員会館の会議室で、当時、内閣官房国家戦略室の審議官であった梶山恵司氏に参加してもらい、10時から16 時まで議論が行われました。森林・林業再生プランに書かれている森林組合の改革について、当初は“員外利用の禁止”を掲げており、それが実現されれば大きな変化が起きると期待しました。しかしその文言はいつしか文面からなくなり、実現には至らず、政権が自民党に戻ると、森林・林業再生プランという言葉さえなくなりました。大きな変化を現場でどのように受け止めていくのかを真剣に考えていた我々として、森林・林業再生プランは何だったのかという思いでした。

日本型フォレスター制度
 森林・林業再生プランの中、私が期待したのは日本型フォレスター制度(2)の創設でした。当時の準フォレスター研修の資料の中、日本型フォレスター像を以下のように表現しています。
検討委員会の報告として
・「市町村森林整備計画の策定支援を通じて地域の森林づくりの全体像を描 
  き、併せて市町村が行う行政事務の実行支援を通じて森林所有者等
  に対して指導」する者
森林・林業基本計画にて
・「森林・林業に関する専門的かつ高度な知識・技術と現場経験を有し、長
 期的な視点に立って地域の森林づくりの全体像を示すとともに市町村や森  
 林所有者等への指導等を的確に実施」する者
期待した一方で、このような人材がどこにいるのだろうかと。

図2 森林・林業再生プランにおけるフォレスターの位置付け                 出典小島孝文「講演 日本型フォレスター制度の概要について」   『フォレストコンサル』(131),2013b年,3-13頁より

ドイツのフォレスター
 ドイツのフォレスターは総合大学出身で各地の組織の間で異動を重ねる上級森林官と、林業単科専門大学出身で異動せずに長期間に亘り、一つの森林区を担当する区画森林官(又は中級森林官)がいます。私がとても興味を持ったのは、“移動せずに長期間に亘り一つの森林区を担当する“区域森林官”です。
 日本において、都道府県を州と考えた場合、都道府県の林務行政職員は林務専門職として仕事をしています。森林区を市町村単位と考えた場合、移動せず長期間に亘り市町村の森林監理を担当する森林官と言うべき林務担当者は存在するでしょうか? また、先に記した日本型フォレスター像を持ち合わせる市町村の林務担当者はいるでしょうか。

郡上市の施策策定の仕組み
移住した郡上市には郡上市森林づくり推進会議(3)という場があります。これは、郡上市の健全な森林づくりの推進と活力ある地域経済に寄与する森林づくりの方向性および具体的な推進課題を検討するために、学識経験者、市民、林業・木材流通関係者、国・県関係者により2006 年(平成18年)に設置された議論の場です。私は、2009 年(平成21 年)の郡上山づくり構想の策定から参加しています。
 郡上市において、“区域森林官”に該当するポジションの行政職員はいませんが、林務職員が8名(内1 名は県からの派遣)おり、全国でもトップクラスの人員配置です。市として、多くの施策を策定(4)できたのは、林務担当職員の能力は勿論ですが、推進会議の委員がそれぞれのポジションで役割を果たしていることも機能している理由です(行政が提案してきた内容をただ承認するだけの会議ではない)。
 人口が4 万人に満たない市にこれだけの林務担当者がいるところは少数です。全国の市町村の4割は林務専属の担当者はおらず、専属1 人以下の市町村が6割を占めます(5)。郡上市のようにマンパワーをかけられる市町村は稀であると考えるべきです。

フォレスターは育成されてくるのか
 世界のフォレスターとはどんなポジションなのか。どのように育成されてくるのか。森林・林業再生プランが発表された頃、ドイツ等のフォレスターの仕事、立ち位置の情報が多く得られるようになりました。フォレスターとは何者なのかを知り、実際にドイツの森、森林監理に触れたく、2011 年(平成23 年)と2015 年(平成27 年)にドイツへ行く機会を得ました。2011年は岸修司氏の渡独に同行、2015 年は岐阜県の視察研修に参加し、BW(バーデン=ヴュルテンベルク)州の森林監理の制度から木質バイオマス燃料の流通、再エネ、地域循環の仕組みを知る良い機会となりました。
 また、幸運だったのは、仕組みとしてのフォレスターを知るだけでなく、フォレスターの考え方について触れる機会を多く得たことです。近自然森づくり研究会と出会い、2013 年(平成25 年)からスイスのフォレスター、ロルフ・シュトリッカー氏の岐阜での研修会に参加しました。2017(平成29 年)、2018 年(平成30 年)には主催者側として郡上でワークショップを開催しました。フォレスターがどのように森を見ているのか、山に入り直接話を聞く機会を得ました。毎年のようにロルフ氏の話を色々な山の現場で聞くことで、フォレスターの在り方が明確になっていきました。
 日本において高校、大学を通じて、フォレスターを育成し、市町村行政に専門職として就職する仕組みはないと私は理解しています。
市町村の林務専門職としての採用を行う市町村は出てきていますが、あくまで林務行政職としての採用であり、地域のフォレスターとしての役割ではないです。
 知れば知るほど、今の森林行政の仕組み、教育制度(そもそも有るのか)の中でその人材が生まれてくる可能性が低いと考えています。日本型フォレスター制度に抱いた期待と失望そのような状況の中、日本型フォレスター制度に期待したのは、行政職員だけでなく、民間も入っていることでした。フォレスター像に描かれている人材が育成されてくる仕組みがない現状におい
て、行政職員ではない民間のフォレスターが市町村をサポートする必要があると考えました。私の中で、市町村林務行政を支援するフォレスターとして活動していくという在り方が明確になりました。
 しかし、民主党政権が終わり、森林・林業再生プランに描かれた日本型フォレスターの立ち位置は消えて無くなりました。形を変えて出てきたのが森林総合監理士(フォレスター)でした。日本型フォレスターに民間も入っていたからでしょう、森林総合監理士は林業普及指導員資格試験の地域森林総合監理区分として民間も取得できる資格になりました。
 林業の世界に入った当初の思い、日本の森林、林業が置かれている状況をいかに国民に伝えていくのか、それを仕事にするにはどうすればいいのかを考えて仕事してきました。その手段として、私は市町村が地域の森林の置かれている状況をしっかりと把握して、長期にわたるビジョンをしっかり市民に伝え、それをバックキャストでやるべきことを愚直にやっていくことを見せなくてはならないと考えます。それには、ドイツで言う区画森林官の立ち位置のフォレスターが必要であると確信しています。
自分の進むべき道は明確になったのに、日本型フォレスター制度設計がなくなったことで、手段を失ったという思いでした。そのため森林総合監理士の資格を取る気になりませんでした。
 当初描かれた日本型フォレスターは5 年ごとに技術の向上を担保に更新する設計でした。ところが森林総合監理士では、取得のための試験制度こそ当初設計を踏襲したものの、所得後の更新制度は無くなりました。
 一度、林野庁にて若手の職員5 名ほどに、私の考える森林総合監理士の活用について、ランチタイムミーティングの形で話をしました。その際、登録制度について問うと、登録制度はあるが、登録者がその後どのような活動をしているのか、資格所得者が今でも活動を続けているのかどうかの把握もできていないという返事でした。
 令和5 年度の森林・林業白書の中、林業普及指導事業の実施等(46 ページ)にこのように記載されています。
 “森林総合監理士を目指す若手技術者の育成を図るための研修や、森林総合監理士の技術水準の向上を図るための継続教育等を行っている”。登録だけされ、更新制度もない中、技術水準の向上は何をもって判断するのか。このような管理状況で、森林総合監理士がフォレスターとして活動し、市町村が依頼をするという立ち位置に立てるとは到底考えられませんでした。

地方分権の弊害
 1990 年代、国は現場レベルで実効性をもって政策を実施するためという論理のもと、地方分権改革を進めてきました。林務行政も例外ではなく、大きな変化は、1998 年(平成10 年)の森林法の改正でした。市町村森林整備計画をすべての市町村が作成、森林施業計画(現森林経営計画)の認定を行わなくてはならなくなりました(他、伐採の届出の受理、伐採計画の変更・遵守命令、施業の勧告の権限も移譲)。
 このように、地方分権改革の一環として、最も地域に密着した行政主体である市町村が、森林、林業行政に従来以上に主導的な役割を果たしていけるように制度が整備されたわけですが、それは同時に自治体林政の業務の増大をもたらすことになりました。
 このような状況の中、平成の大合併が行われ、行政職員数は減少し、林務担当は全体の平均より減少しました。専門職がいない中、専門性が必要な仕事は増えるのに、人は増えませんでした。

森林経営管理制度と森林環境譲与税の成立
 今後どのように活動して行こうかと思案する中、森林経営管理制度と森林環境税が国会で可決される方向が見えてきました。それをサポートする林政アドバイザー制度も準備され、アドバイザーの対象者として森林総合監理士等に依頼するという仕組みでした。
 私は、①市町村の林務担当者の仕事が増える。②そのための費用は、森林環境譲与税というお金をつける。③さらに誰がやるのかというと、サポートする専門家を雇う仕組みが提供される、というパーツが揃ったと理解しました。林業界に入り、このような体制が準備されることは初めてでした。私は取るつもりが無かった森林総合監理士を、林政アドバイザーの制度を活用するために、2016年に試験を受け、資格を取得しました。
 森林経営管理制度と森林環境譲与税の施行という大きな変換点を迎えるにあたり、市町村の特性に合わせた地域森林監理の仕組みを構築しない限り、日本の森林が本当の意味で価値を持つようにはならないと考えました。そのためには、ドイツで言う区域森林官が市町村には必要です。そのため誰かが手をあげ、自らフォレスターとして活動をする人が必要だと考えるようになりました。
 2017 年(平成29 年)、フォレスターとして活動していくことを決めて、代表を務めていた民間事業体を退職しました。立ち位置として、市町村が発注する事業を作る側になります。自ら関与した発注業務を自ら請ける可能性がある立場は良くないと考えました。

地域林政アドバイザー制度
 この仕組みを見た時、林政アドバイザーが担うべき仕事につける森林総合監理士はそんなに多くは居ないだろうと考えていました。結果、林政アドバイザーに任命できる人材の範疇が広がり、地域に精通する方で、林野庁が実施する研修又は“それに準ずる研修”を受講する者も含まれることになりました。
 それに準ずる研修には、都道府県が行う市町村林務担当者向けの研修会があります。この研修のうち、いくつかの必須研修を受けるだけで、林政アドバイザーの任に就くことができます。実際私もいくつかの都道府県の市町村林務担当者研修の講師をしましたが、林政アドバイザーの任に就くために受けている方が受講生にいました。現状、市町村は地域林政アドバイザー制度を本当の意味で活用をしていないと考えます。林業技士会が市町村向けに林政アドバイザーの募集要件のアンケートを取っており、その給与内容を確認すると常勤で平均月給が15 万前後です(委託業務として募集している市町村は殆どありません)。
 地域林政アドバイザーの仕事は、助言・指導であり、事務が仕事ではないのに、人手不足の林務行政のお手伝いを地域林政アドバイザー制度を使い、雇っているに過ぎません。

森林経営管理制度と森林環境譲与税の施行
 2019 年(令和元年)、森林経営管理制度と森林環境譲与税が施行されました。多くの市町村が予想通り、予算を与えられても何をしていいのかわからない、結果およそ半分の譲与税を基金に積むという状況になりました。
2021 年(令和3 年)、市町村の状況が明らかになってきた中、個人で活動していても、民間のフォレスターは増えず、また行政も契約をしにくいと考え、民間で森林総合監理士の資格を持っている友人に声をかけ、法人格を持って活動していけるようフォレスターズ合同会社を設立しました。
 法人を作りましたが、入札に参加する資格を得るのに苦労しました。当たり前ですが、入札参加資格として、同種の事業の実績や有資格者の有無が条件としてあります。
 例えば、M 市のプロポーザルに応募するのに、森林部門の技術士が在籍することという条件がありました。結果として、応札者が当初我々しかいなかったため、仕様書を変更してもらい、森林総合監理士も認めてもらうこともありました(結果、この仕事は取れませんでしたが)。森林総合監理士の価値づけのためにも、フォレスターズ合同会社として、我々が描いている市町村のサポート業務委託を請けるという実績づくりが必要でした。
 我々は市町村の50 年100 年先の森林の有り様を共考え、ゴールを設定し、ゴールに向かって今何をすべきなのかを落とし込んでいく、“バックキャスト思考”に基づく市町村の森林監理をサポートすることを目的としています。市町村の人事制度において、長期にわたってその役割を担う人材を育成することは困難です。専門家を伴走者として、協働する必要があると考えています。
 伴走と表現しているのは、現メンバーがその市町村の専属にはなれないからです。そのため、それぞれの市町村専属のフォレスター(地域フォレスターと表現)を募集、採用し、市町村から請けた森林監理業務の中で地域フォレスターとして育成していく仕組みを作っていくことを考えているためです。

高知県本山町との取り組み
 この仕組みに理解を示してくれたのが高知県本山町です。本山町は2021 年(令和3 年)に土佐本山コンパクトフォレスト構想を作り、2022 年度(令和4 年度)から運用を開始しました。その中、フォレスターの育成と森林ゾーニングが項目として上がっており、その業務委託先としてフォレスターズ合同会社を選んでくれました。
 本山町における地域フォレスターの採用は地域おこし協力隊制度を活用しています。3 年間、本山町の林務行政をOJT で行いながら、4 年目以降はフォレスターズ合同会社として請けていた委託業務を地域フォレスターが直接請ける形で引き継ぐ仕組みを検討しています。
 森林ゾーニングについては、誰が日本の森林で、林業が可能な林分と資源量を把握しているのか。その林分の年間生長量が日本における木材生産量の上限値ではないのか。私はそれを知るために市町村単位で、経済的要件、災害防止の要件等から林業が可能な林分を把握するゾーニングを行う必要があると考えます。
 FIT 制度が始まり、日本中に林地残材を活用するバイオマス発電所が作られました。ドイツに行った際、上級森林官に質問をしました。ドイツでバイオマス発電所の建設計画が上がった場合、どのように対応するのか。答えはこうです。どの規模で、どの金額で、半径何キロ圏内から木材を集める予定かを聞き、把握している地域に資源量の成長予測から、その事業の実現性は可能かどうかアドバイスすると言っていました。日本の木質バイオマス発電所はどうでしょうか。そこに木質バイオマスを安定供給できる森林資源がどこにあり、それだけ出せるのかを明確に把握して作られた発電所は存在しないのではないでしょうか。
 地域の中で持続可能な林業を行っていくためには、資源量把握がない限り、何もバックキャストで落とし込むことはできないと考えています。そうでないとどれだけの林業従事者が必要なのかもわかりません。
 もう一つ本山町が認めてくれてくれたこと、それはフォレスターとしての対価です。森林総合監理士は国土交通省等、国の設計業務委託等技術者単価がありません。そもそも公共工事設計労務単価に伐採工が存在しません(林業の標準単価の課題について思うところありますが、また別の機会に)。フォレスターの対価はいくらなのか。この実績も我々は作っていく必要があると考えました。フォレスターがキャリア形成のポジションとして、見合った対価を得られなければ、誰がフォレスターを目指すのでしょうか。
 林業において、色々な資格があります。フォレストワーカー、フォレストリーダー、森林施業プランナー、そして森林総合監理士(フォレスター)。これらの認定をもらったからと言って、公共工事の労務単価が存在しないので、技術給が明確ではありません。林業、伐採工事等の公共工事において、設計業務委託等技術者がいないと事業を受けられないことになっていません。林業の資格の中、唯一の国家資格は林業架線作業主任者だけです。
我々は見積の根拠として、設計業務委託等技術者に森林総合監理士が無いため、技師A 相当の単価を採用し、本山町は認めてくれました。本山町の理解のおかげで、2017 年(平成29 年)に森林総合監理士として独立して5 年、2022 年(令和4年)にようやくフォレスターズ合同会社がこの先活動していくために必要な実績を一つ得ることができました。
 本山町での実績を前例に、他地域でも同じような取り組みができないかと話をすることができるようになり、お願いしたいという団体からの引き合いが増えてきました。ようやく法人として、組織として動いていくことができるスタートラインに立てたのではないかと考えています。

この先について
 我々の目標は、長期にわたる市町村支援ができる民間のフォレスターを育成し、フォレスターのネットワークを構築していくことです。本山町に採用された地域フォレスターも3 年で十分な能力を得られるとは考えていません。3 年間共に本山町の林務行政の仕組みづくりを行うことで、地域の特性を理解し、地域の林業関係者との関係性を構築することが地域フォレスターとしてのベースとなっていくと考えます。4 年目以降、地域フォレスターはフォレスターズ合同会社の仲間としてサポートしていきます。
 現状、5 名の森林総合監理士はそれぞれの地域で、これまでの経験を元に活動しています。フォレスターの仕事の範疇はとても幅が広いです。一人の能力でできることには限界があります。要請を受けた市町村の状況をよく把握して、組織としてどのようなサポートができるのかを考え、必要なサポートを提供できる体制を今後作っていきます。
 やるべきことをしていけば、実績は積み上がっていくと考えています。森林総合監理士が国土交通省の設計業務委託等技術者単価にどうすれば掲載されるのかを考えて行きます。
 森林総合監理士の資格取得者は、2023 年3 月末(令和4年度末)で1,578 人います。その中、市町村と民間の人数は87 人です。市町村の数1,740 余ありますが、全員が私の考えるフォレスターになり得たとしても1市町村に1 人の配置もできません。
 ドイツの区画森林官の担当面積は平均1,500haだそうです。1,000 万ha の人工林だけで考えても6,600 人の区画森林官が必要となります。例えば、6,000 人のフォレスターに1000 万円の委託業務を出した場合、ちょうど環境譲与税の額600 億円となります。少なくとも1市町村に1 人のフォレスターを配置することは、決して予算的に無理なことではありません。今の日本の森林監理に必要なことは、森林環境譲与税を人材育成、人件費に多くの額を確保することです。
 最後に、今の立場で仕事をしているのも国民森林会議からの提言書を毎回拝読させていただき、その考えに後押しされ今があると考えています。
今回、このような機会を頂きとても感謝します。私は国民森林会議が提言されていることを市町村レベルで実行していきたいと考えています。そのためには多くの方のご協力を仰がなくてはいけません。現在5名の民間森林総合監理士だけでは、マンパワーが足りません。ぜひお力お貸しください。
 私の考えや思いを時系列に沿って書き綴りました。事実誤認、方向性として違うというご意見あると思います。その場合是非直接ご連絡いただければと思います。皆さんのご意見踏まえて必要とされる仕組みづくりを行なっていきます。
連絡先
メールアドレスkomori@foresters-llc.jp
FB アドレスfacebook.com/tsuguki

参考文献
(1) 農林水産省「森林・林業再生プラン」平成21 年12月25 日
(2) 小島孝文(林野庁計画課施工企画調整室長)「講演日本型フォレスター制度の概要について」『フォレストコンサル』(131)、2013 年、3-13 頁
(3) 郡上森林づくり推進会議
郡上市のHP、郡上森林づくり推進会議の説明より
https://www.city.gujo.gifu.jp/business/detail/post-123.html
(4) 平成29 年度までの郡上市森林づくり推進会議の取組状況
https://www.city.gujo.gifu.jp/business/docs/shinrin_dukuri_suisin_kaigi_H29.pdf
(5) 早尻正宏「第3章市・県・森林組合の相補関係に基づく自治体林政の体制づくり」『報告書森林政策と自治・分権―「連携」と「人材」の視点から―』2023年、46-66 頁


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