団塊の世代ジュニアの少年時代(プラモ編)

 子供の頃の記憶である程度はっきりと残っているのは小学校3年生以降ぐらいだろうか。私が小学校3年生の時は、1980年。ウィキペディアで調べて見ると、ゲームウォッチ、ルービックキューブが発売された年。私が持っていたゲームウォッチはポパイだったので、買ってもらったのは次の年。我が家はなんでも新しく出たものをすぐ買ってもらえる家ではなかったので、色々親を説得することをしていた記憶がある。ローラースケートが流行ったが、それもなかなか買ってもらえなかった。皆んなが遊んでいる後ろを追っかけていたことも思い出した。
 同じマンションに住んでいた同級生と遊ぶことが多かったが、我々世代は、高学年と低学年が一緒に遊ぶことが多かった。高学年のお兄ちゃんはある意味憧れの存在でもあった。高学年のやっている遊びを真似をしたかった。上級生から下級生に遊び方が伝達される。ルールが伝達されることで、子供の世界の調和が保たれていた時代出会った。

 1/144のガンダムのプラモデル(通称ガンプラ)が発売されたのも1980年だ。私も友達が作るのでいくつか作ったが、ハマるまでは行かなかった。当時はレアなプラモデルが入荷するとなると、休みの朝店が開く前から並んで購入した。私も自分が欲しいわけではないが、皆がそれに並ぶので付き合わないと遊び相手がいないという状況。当時、1/144のプラモは300円で、大抵1割引で販売していたので、270円という売価の記憶が強くある。
 アッガイは作ったかな。それを風呂に入れて遊んでいた記憶が残っている。レアなプラモは旧タイプザク(動力パイプのないやつ)。これが売っていた時は、自分で作らないけど、購入して誰かに売ったという記憶もある。高く売りつけたわけではないけれど。それぐらい、皆ガンプラ一色だった。

という私が作っていたプラモデルは、なぜかアメリカ軍。マンションの高学年生が作っていた影響で私はアメリカ軍、同級生の友達は(川島という)ドイツ軍。

 今でも名前を覚えているがシャーマンという戦車作った。3、4年生の時に作っているので、まず上手にできないので、キャタピラがうまくはまらず苦労した。ちゃんと、ローソクで部品の枠を伸ばして、アンテナも作った。
 小学校3、4年生が持っているタミヤカラーが、ダークグリーンやオリーブドラブ。この2色が一番使う色。

こんなちっちゃなボトルのカラーを10種類ぐらい持って、戦車やアメリカ兵に色塗っていたなあ。うすめ液というシンナーを使うので、換気には気をつけていたけれど。
 昔の子供は大抵いっとき、プラモ作りにハマったもんだが、我が家の息子は小6になったが全くそんな気配はない。
 それも仕方がないかもしれない。我々世代は、必ず自転車で行ける範囲に、模型屋があった。おもちゃ屋ではなく、模型屋。
 私が通ったのは、関西模型。関大前駅の裏に模型だけの店があって、ジオラマなども置いてあったので、本屋に立ち読みする感覚で、欲しいプラモデルを見に、買うわけでもなく通った(もう無くなっただろうか、今度確認してみよ)。
 よくも悪くも我々世代は、プラモデルを作ることで、シンナーの匂いを覚えた。こんつめてやっていると、頭が痛くなってくる。使うボンドも、タミヤ模型のセメダイン。これ。まだあるんだ。これもうまく塗らないと、糸引くので接着面にはみでる。

このようにして、団塊の世代ジュニアは、必ずプラモにハマった時期があるはずなのだ。
 

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2002年、大阪から林業をするために岐阜県郡上市八幡町に移住。 チェンソーをもって山に入る現場作業員から始ました。 現在、地域の森林管理の仕事をベースに、森や木、エネルギーに関わる仕事をしています。
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