違う、そうじゃない。わかって下さい。
このコロナ禍で日常化されたものと言えばリモートワーク、リモート授業などがパッと思い付く。中にはリモートで趣味の講座が受けられるものや、直接病院へ足を運ぶ必要が無く待合室でのあの延々と続く待ち時間を気にしなくても良いというリモート診療まで…
個人的に特に根付いて良かったなと思う文化はリモート飲みである。田舎育ちの道産子にとってこれは画期的なシステムであった。札幌で過ごした大学時代の友人の半数ほどは就職を機に大都会東京を始めとしたその他道外の大都市に魂を売り、かくいう私は都会に進出する友人たちに逆行し田舎の実家へと戻ってきてしまった。
日本中、時には世界中に散り散りになってしまった友人たちともリモート飲みであればいつでも繋がることが出来る。
欲を言えば、さすがは私の友人たちなので同時に話しても全員の会話が全部きちんと聞き取れるような技術を開発して欲しい。私と仲良くして下さる方たちはもれなくみんながみんな主人公なので、まあよく喋る。みんなで喋ったら何も聞き取れないから。
リモート飲みって便利だけれども、そういった瞬間に、オフラインでガヤガヤする飲み会がふと恋しく感じる。もっとも酔っ払っていつまでも一番喋っているのは私でしたごめんなさい。
このご時世ですっかり当たり前となったリモート〇〇
その中でどうしても一つだけ違和感を感じるリモート〇〇がある。それはズバリ、
リモート旅行だ。
価格帯は1回三千円からなどが多く、オンラインのためカメラで映した景色を見ながらその場でガイドさんに質問をしてやりとりもできる。
地球の裏側だろうが、山のてっぺんだろうが、実際にその場所へ行く手間もお金も圧倒的に省きながら旅行を楽しめるというシステムだ。最近テレビでもその様子が取り上げられ目にする機会が増えてきた。
そしてリモート旅行の話題を目にする度になんだか毎回心がざわざわして、その理由は何故だろうと考えるようになった。
周知の通り私は旅行のために仕事をしているような人間だ。
だからこんな世の中はクソ喰らえ過ぎて、堂々と旅行できない日常にうんざりしている。
そんな時に頭の良い友人から「なんで旅行したいの?」と聞かれた。旅行したい理由がもし何か他のことで補えるのであれば、代わりにそれを実行すればいいのではないかというアドバイスであった。
たしかに。
私の心の中で飼っているギャルが「えー旅行したーい」と口癖のように常々言っていたが、確かに何故旅行したいのかはあまり考えたことがなかった。そこで自分と向き合う。答えが出れば、その頭の良い友人の言う通り何か他のことで私の心を満たすことができるかもしれない。
…思い出した。
以前にも同じようなことを考えていて、ぼやっとながらも答えが出ていた。
我ながらめちゃくちゃ納得がいった。
それと同時にリモート旅行に対する、あくまで個人的な違和感の正体はこれだということがわかった。はっきりわかんだね。
もちろん旅先の素敵な景色を見て心揺さぶられる体験もしたいし、ガイドさんの説明を聞くことで背景を知り、目に映る景色がより違ったものに見える体験もしたい。
でも私の場合、旅行において一番求めているものが「自分のことを知る人が誰もいない旅先の土地で、ボケっとどうでもいいくだらん考え事をしたい。」だった。
これはリモート旅行では叶えられない。
だから、そうじゃない感があったんだ。
三千円で地球の果てまで行けた気分になったとして、実際に私が今いるのは北海道のド田舎。
そんなことを考えたついでに、じゃあそもそもなんで「自分のことを知る人が誰もいない旅先の土地でボケっとどうでもいいくだらん考え事をしたい」と思うようになったかを考えてみる。
暇で家にいると色んなこと考えちゃうよね。こりゃ鬱が増えたり自殺者が増加するのもやむなしだわ。何も考える暇も無いくらい仕事が忙しいのも時には案外重要だったりするかも。
人は育った環境に影響されることが多いと様々な場面で実感する。
私の場合、生まれてから多感な中学時代までを北海道のド田舎で過ごしてきた。その後高校は、靴流通センターやイオン、あらゆるラインナップのパチンコ店が立ち並ぶ絵に書いたお手本のようなザ☆地方都市に進学した。
そして大学4年間と新卒2年間を北海道随一の巨大都市札幌で過ごし、中学まで生まれ育ち二度と帰ってくるもんか!と思っていたド田舎へ戻り現在に至る。
ド田舎育ちだとこんなことがある。
私が就職して間もない頃、団地に住んでいた時の住人に母が話しかけられたとのこと。内容は「娘さん、大手の化粧品会社に就職して東京にいるんだってね〜団地じゅうで話題になってるよ〜ちっちゃい時から可愛かったもんね〜すごいね〜」というものであった。
〇大手
×化粧品会社→〇保険会社
×東京→〇札幌
×可愛かった→〇今も可愛い
この話を後日母から聞かされて、まさにこれだからド田舎は…とクソデカため息をついた思い出。
この手の話はド定番の田舎あるあるなのでこんな噂話ならまだいい。決定的にうんざりした瞬間はごく最近。このド田舎にもついにコロナ感染者が発生した時のこと。
Twitterやテレビのニュースでも田舎で感染者が出た場合はあっという間に噂が広まって差別や非難で大変だという話を目にしていた。
おー怖と何処と無く他人事に思っていたけれど実際にこの街で感染者が出た際には、いい大人が50人以上集まったとあるグループLINEにおいて、どこから仕入れたんだかわからん情報でどこの誰だとか職場はどこだとか発言しているのを見た時は、言葉は悪いけどあまりにもキモすぎて思わずiPhoneの画面を見ながら声に出してキモっと言ってしまった。
この瞬間、あ、無理と田舎の無理みが爆発した。
田舎が無理というか、狭いコミュニティで出処のわからないくっだらねえ噂話を好き勝手広めているのが無理と思った。結局これを人は俗に田舎コンプレックスと言うんですよね…
書いてたらまた思い出して腹立ってきた。
そんなことだから、自分のことを知る人が誰もいない土地に現実逃避をしたくなるんよ。お分かりいただけただろうか。
そしてやっぱり都会への憧れを捨てきれない田舎モンは、馬車道のタワマンに住みたいという夢を今日も諦めてはいないのだ…
そんな人間関係で煩わしいと思っているのならそこは一軒家じゃないんかいって思うでしょ。田舎モンはね、タワマンっていう響きに憧れるのよ。
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