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錆びついたトカレフで今を撃ち抜こう

3年ほど前の秋の話。
その日は、友達二人と動物園前〜天王寺周辺をぶらぶらとしていたのだが、終電を逃してしまった。朝まで時間を潰さなくてはいけない。
俺たちは、西成の三角公園でとりあえず時間を潰そうと考えた。

公園にたどり着くと、二人のじいさんが公園横の道路で座り込み、酒盛りをしている。
一人のじいさんは、小汚い格好をしていて、歯が無い。
もう一人のじいさんは、強面で、服装は小綺麗だ。

彼らの横を通り過ぎるとき、歯がない方のじいさんと目があった。
歯なしじぃ」こと歯がないじいさんはこちらを見てにこっと笑った。
俺は肘で友達をつついた。
友達は、「煙草一本いります?」と歯なしじぃに声をかけた。

この辺りの街を散歩していると、知らないじいさんから突然「お兄ちゃん、煙草くれへん?」と聞かれたりする。
歯なしじぃは、煙草を渇望している顔をしていた。
歯なしじぃから俺たちに煙草の要求が来る前に、先手を打ったのだ。
暇を持て余している俺たちの目論見は、道路で座り込んで酒盛りをしているじいさん二人とお話をすることだ。

「おぅ、ええんか?、ありがとぅのぉ、ここ座れや座れやぁ」と言い、歯なしじぃは俺たちを道路酒場へ招待してくれた。
目論見通りだ。
俺たちは、二人のじいさんの真正面に腰を下ろす。

近くで見ると、歯なしじぃは、本当に歯が一本もなかった。
歯がないことによる空気もれに加えて、しゃがれ声と独特のイントネーションで何を喋っているか6割くらいわからない。
着ている服は小汚く、背は曲がり、煙草を乞う程には、金を持っていないように見えた。
強面で、小綺麗なじいさんは、げんこつが大きく、体つきも屈強だ。
歯なしじぃとは違い、歯があり、何を話しているかも鮮明にわかる。

俺たちは自己紹介がてら、出身地、大学生という身分であること、終電を逃してしまったので行き場を失っていることを二人に伝えた。
歯なしじぃは、「おぅ、ゆっくりしていき」と迎えてくれた。
げんこつじぃ」ことげんこつが大きいじいさんは横で黙ってうなずき、ポケットからPeaceの箱を取り出して、一本口に咥えた。
咥えた煙草に火がつき、紫煙が立ち上ると、歯なしじぃはたまらなくなったのか、げんこつじぃに一本要求した。

俺は、こんな時間に道路で酒盛りをしている凸凹コンビの二人組が何者なのか気になってたまらなかった。
「お二人は、このあたりにお住まいなんですか?」

歯なしじぃは言った。
「おぅ、すぐ近くのアパートに住んどるわ」
「わしらみたいなもんが住めるんはこのあたりしかないからな」

「わしらみたいなもんと言いますと、、?」

歯なしじぃは頬を指でなぞって言う。
「これよ、これ」

『これ者』の解説
これ者(これもん)という言葉自体には意味がなく、言葉と同時に行う指の動きで意味をあらわす。ヤクザの意で使われることが多いが、この意味で用いる場合、これ者と言いながら、頬に指で縦線を描く仕草をする。この仕草は頬に傷がある男をあらわし、ヤクザ者を意味する。

日本語俗語辞書より
http://zokugo-dict.com/10ko/koremon.htm

げんこつじぃが言う。
「今はもうやっとらんけどな、昔やってたっちゅうだけや」

俺はちょうどその時期、仁義なき戦いを見て、菅原文太にハマっていたので、ミーハー気分になりながらリアル文太だ、などと思いながら内心興奮していた。

「昔はごりごりやられていたんですか?」

げんこつじぃは低い声で「そうや」とつぶやく。
歯なしじぃが「この人は昔相当偉いところまでいってはったからのぅ。」と付け加えた。
げんこつじぃはそう言われて満更でもない顔をしている。

「まぁでも、人生の半分くらいはムショにおったから、そないええもんでもないわ」

俺は人生の半分をムショで過ごしたじいさんと会うのは初めてだった。
道路で一緒に座り込み、お話をしている仲ではあるが、俺たちの住む世界と二人のじいさんの住む世界はまるで別世界のように思えた。
「なんでそんなに長い間ムショに入ってらしたんですか?」

「抗争でな、うちの組長がやられそうになったから、敵のタマとったったんじゃ。後悔はないわ、おぅ」
そう説明したげんこつじぃはどこか誇らしげだった。

「敵のタマとるって、どういう状況だったんですか?」

「敵のやつが車乗って来おったから、運転席まで走って近づいて行って、窓越しに3発くらいぶち込んだったわ。脳天一発や。おかげで組長守れたわぃ。」
げんこつじぃは饒舌に語る。
ごつごつとしたげんこつが、おぞまじさを帯びてきた。
歯なしじぃは隣で俺の友達からくすねた煙草を咳き込みながら吸っている。

「そやけど、中国から密輸したトカレフは質悪いからすぐ壊れおる。気ぃつけや。」
「ははは、肝に銘じておきます。」
トカレフとは、ソ連が開発した拳銃のことで、中国製のトカレフは日本の暴力団の間でも広く使用されていたらしい。

ドラマや映画のように拳銃を扱うのは難しいという話、部下の失敗の責任をとった話、シノギは主に〇〇だったという話、などなどの極道トークで盛り上がった後、げんこつじぃはポケットから財布を取り出し、そのごつごつした手で俺たちに五千円を渡してきた。
「やるわ、スーパー行ってビールとつまみ買ってこいや」

あんな話やこんな話を聞いた後なので少し受け取りにくい気はしたが、受け取らないのもこれまた違うので、ありがたく頂戴した。
げんこつじぃに感謝し、早速近くのスーパー玉出へ向かおうとすると、歯なしじぃがほほえみながら言う。
「あのぅ、すんません。ショートホープ1箱もよろしくたのんますぅ」

コンビニでショートホープ1箱を買い、スーパー玉出にて適当なつまみを選び、俺たちはビールを選んでいた。
これは豆知識だが、三角公園にいるおっちゃんがビールと呼ぶのは発泡酒であることが多い。
俺たちは、アサヒスーパードライを買うか、クリアアサヒを買うか悩んでいた。
げんこつじぃの司令は、ビールを買ってくることだ。
クリアアサヒを購入するのは厳密には間違っている。
しかし司令を下された場所は三角公園。三角公園基準では、クリアアサヒを購入するべきである。
アニメやドラマの爆弾を解除するシーンで、赤い線と青い線が残ってしまい、最後にどちらを切るか悩んでいる人を一度は見たことがあるかと思う。
このときの俺がその人だ。
もし間違った方を選べば、トカレフが火を吹く可能性がある。

悩んだ末、頭に浮かんできたのは、”郷に入っては郷に従え”、”When in Rome, do as the Romans do”などのことわざだった。
藁にもすがる思いで、浮かび上がってきたことわざを信じ、クリアアサヒを購入することにした。

ショートホープ、おつまみ数種、ビール(クリアアサヒ)を手に持ち、三角公園に戻る。
ショートホープを歯なしじぃに、お釣りとレシートをげんこつじぃに渡し、おつまみとビールを道路に置いた。
げんこつじぃは置かれたビールに一瞥をくれると、黙って手に取りふたを開けた。ことわざよありがとう。
歯なしじぃはショートホープを口に加えながら、ただでさえ曲がっている背中を更に曲げ、「いつもほんまにありがとうございますぅ。ほんまにありがとう。」とげんこつじぃに感謝を伝え、ビールを手にした。
「困ったときはお互い様やんけ。気にすんなや。おうお前らもはよ開けろや。」
げんこつじぃに促され、俺たちもそれぞれビールを手に取り、みんなで乾杯した。

ビールを数缶開けると、げんこつじぃは気分が良くなってきたようで、演歌を歌い始めた。
げんこつじぃの歌う演歌は、ただ上手というだけではなく、迫力があり、それはそれは響く歌声だった。
げんこつじぃの演歌がこだまする中、歯なしじぃは、ハルシオン(睡眠薬)
を酒と一緒に飲むとトリップできるということを説明してくれた。毎日夕方はハルシオンと酒を飲み、3時間ほどぐっすり眠っているらしい。
夜は深酒に煙草、朝は缶コーヒーに煙草、夕方はワンカップにハルシオン、というのが歯なしじぃの日常のようだ。

酒を片手にじいさんの歌声や語りに耳を傾けていると、俺たちのもとに自転車に乗ったおじさんが近づいてきた。
「兄ちゃんら、色々あると思うけどな、どうにかなるからな!心配すんな!おっちゃんもアホで失敗ばっかしとるけどな、算数と社会くらいは教えれるから、いつでも相談せーよ!!」
おじさんは、俺たちの肩をぽんぽんと叩き、温かいお茶を手渡し去っていった。
深夜の三角公園にて、道路に座り込みじいさんと酒を飲み交わす青年を見て、きっとおじさんは心配になったのだろう。非行少年かもしれない、学校に馴染んでないのかもしれない、だけど若いからまだ間に合う!、そんな気持ちで温かいお茶を渡してくれたのだろう。
俺たちはおじさんが想像したような青年ではなかったが、手渡された温かいお茶を飲みながら、どこか安心した気持ちになった。
げんこつじぃの演歌はまだ鳴り響き、歯なしじぃはもう最後の一本を吸い込んでいる。

俺はこの街、この場所、ここにいる人たちに自由を感じた。
生きたいように生き、死にたいように死んでいく。
それはまるで、安全装置のついていない、いつ壊れるかもわからぬトカレフのような人生なのかもしれない。

げんこつじぃが買い出した分の最後の一缶を飲み干した。
俺たちが来る前から飲んでいたことも考えると、もう相当飲んでいる。
げんこつじぃが俺たちに鋭いまなざしを向ける。
「おい、お前ら、覚えとけ。男はなぁ、酒に飲まれたらいかん。男は、絶対に酒に飲まれたらいかんのや。わかったか。」
説得力のある言葉だった。
げんこつじぃは再びポケットから財布を取り出し、五千円を俺たちに渡してきた。
「買ってこいや。つまみも好きなもん買うてこい。」
俺たちはげんこつじぃに感謝し、再びスーパーへ行くため立ち上がった。
「あのぅ、ショートホープを一箱よろしゅうお願いします。」

ショートホープ、おつまみ数種、ビール(クリアアサヒ)を手に持ち、三角公園に戻る。
ショートホープを手渡すやいなや、歯なしじぃは流れるような動きでげんこつじぃの方を向き、背中を曲げた。
「いやぁ、ほんまに、ありがとうございます。あんたからはもらってばかりや。すんまへん。ほんまにすんまへん。」
「気にすんなや。」
毅然たる態度で背筋をぴんと伸ばしているげんこつじぃとは対照的に、曲がった背中を更に曲げ、ひたすらぺこりぺこりとしている歯なしじぃは、もうすっかり錆びついてしまったのかもしれない。
歯なしじぃは、受け取った二箱目のショートホープを一本吸い込み、大きな咳をしながらたんを吐き出した。

深夜二時頃。
俺たちも遠慮なく酒をガバガバと飲み、みんな程よく酔が回ってきた。
秋とはいえ、この時間に外にいると体が冷えてくる。
体を温めるためにも、みんな酒を飲み続ける。
げんこつじぃの口数が減ってきた。もう演歌は聞こえない。
歯なしじぃは相変わらず煙草を咳き込みながら吸っている。

二回目の買い出し分の酒が切れかけたときだ。
げんこつじぃが突然立ち上がり、すぐ後ろの茂みに嘔吐した。
俺はとっさに「大丈夫ですか」と声が出そうになったが、やめた。
「男は酒に飲まれちゃいけない」と教えてくれたその人が、酒の飲み過ぎで嘔吐しているこの状況、何の言葉もかけようがない。
げんこつじぃは、嘔吐し切っても下を向いて苦しそうにしている。
茂みのもとで数分下を向き、うなるげんこつじぃ。
ゆっくりと近くのトイレへと向かいはじめるが、その足取りはふらふらで今にもつまづきそうだ。
よろよろになりながら、這いつくばるようにトイレへ向かうげんこつじぃの背中は、弱った老人そのものであった。

げんこつじぃも錆びついていたのだ。

げんこつじぃがふらふらの足取りでトイレへと向かったのを皮切りに、歯なしじぃの目つきが獲物を狩る狼のごとく鋭く変わった。
「あいつはフカシ過ぎじゃ。」
「誰を撃っただの、組長を守っただの、人前で話すことちゃうわぃ。自慢話みたいに話しおって、あのかっこつけが。」

歯なしじぃは痰を吐き、吸っていた煙草をげんこつじぃが嘔吐した茂みに向かって投げ捨てた。

俺は驚きを隠せなかった。背中を曲げ、ぺこりぺこりとしていた歯なしじぃはそこにはいない。
金銭的な立場から普段はげんこつじぃの下につくしかない歯なしじぃだが、元極道ということを忘れてはいけない。小汚い格好で、ぺこぺこ振る舞っていても、プライドは捨てていないのだ。
本気で舐めてくるやつがいたらいつでもやってやる、このときの歯なしじぃはそのような殺気をまとっていた。

俺は勘違いをしていた。
錆びついてしまったトカレフは、錆びてゆくこと、壊れてゆくことをただ待つことしかできないのだと。
違った。
錆びてもなお、撃つことをやめないトカレフはあるのだ。

二丁の錆びついたトカレフは、今もなお撃つことをやめない。
一丁は、火薬を常に込め、まるで錆びてなんかいないように見せている。
もう一丁は、錆び切っているように見えるが、ここぞというときに火薬を込めることを忘れない。
二丁のトカレフは、もう昔のようには撃つことはできない。
だけどきっと、壊れるまで、錆び続けながら、撃つことをやめないのだろう。
彼らに安全装置なんてついていないのだから。

男は酒に飲まれちゃいけない。
この言葉を肝に銘じて、生きていこうと思う。


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