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【シャニマス】メモ:浅倉透キリン

【国道沿いに、憶光年】で登場した「キリン」について、いくつか考えたところがあるので走り書きですがメモを残します。

当カードの本題や浅倉透そのものに迫る内容ではないですが、「キリン」という奇妙でファニーなメタファーへの理解の一助となれば幸いです。



結論から述べると、「キリン」はifとしての透の姿、具体的にはアイドルにならなかった透を象徴していると解釈しました。

まずは簡単にコミュ構造の話をします。
「キリン」はコミュ1で撮影監督が持ち出した例えです。というより、この場面のみで登場する単語です。たったそれだけの単語ですが、撮影監督の意味深めいた補足や透の好意的な受け取り方などから、考察することに多少の価値はありそうだと個人的には感じました。
この撮影では透は花嫁役として起用されています。つまり「キリン=花嫁である透」の図式が率直に成り立ちます。
この時点でも「=アイドルにならなかった透」とこじつけることができます。固定観念ですし反例は無数にありますが、一般的にはアイドルの身分で恋愛・結婚するには少なくない障害があるでしょう。相手をシャニPと妄想すれば、(彼の誠実すぎる人格からして)婚約までこぎつけるのはさらに容易なことではなさそうです。と、まあ、こういうつまらない考察も念の為書きました。結論への別の理由は後ほど述べます。

一旦話題を変えて、「キリンが走る(しかも50キロで)」という撮影監督の補足について考えてみます。
「走る」とは透GRADや【国道沿いに、憶光年】や『天檻』などで重要な意味を持つ行為です。簡単に説明できるものではないですが、あえて簡潔に言うならば「主体的な生を実感できる行為、どきどきする行為」でしょうか。ともかく透の価値観においてはポジティブなものでしょうし、実際にこの場面では監督の補足にウキウキとかぶりついていました(とてもかわいい)。
キリンへの補足の内容は、キリンの首の長さではなく、キリンの走る習性についてです。なぜキリンは走るのでしょうか?コミュではこの場面以外での言及はなかったので一般知識から考えてみると、サバンナの捕食者からの逃走が最もでしょうか。ここでは透コミュにおける「捕食」の概念については深掘りしません(まだ説明できる段階にいません)。浅く解釈すると、被捕食=死からの回避は単純に生を勝ち取る行為であり、透にとっての「走る」に通じています。また、率直に、野性味あふれる習性であることは確かです。
ここで、先程の図式を用いてこう言い換えてみます。なぜ花嫁(少女)は走るのでしょうか?花嫁についてのごくわずかな描写であるアニメーション演出を振り返ります。車外に出た花嫁である透はウエディングドレスとヒールを脱ぎ捨てて消失します。つまりはジェンダーロールとしての花嫁でいることの拒否を「走る」に当てはめているのではないか、とでも言いたくなります。少々強い言葉をもう少し抽象化して、一般市民の多くが経験するような一方的に押し付けられる社会規範からの逃走を意味しているのかもしれません(「キリンみんな速いの」を意識してみた解釈です)。こうして考えると、花嫁にとっての「走る」にはシリアスめいた意味合いもありそうで、「時速50キロ」の速さはこのような真剣さに紐づいているのかもしれません。
また、アイドルである透も【国道沿いに、憶光年】全体を通して一般的なアイドル規範からの逃避を希求していたので、その対比と捉えられそうだとも考えています。
該当するテクストの少なさを言い訳にしてしまいますが、この解釈にはまだまだアラがあると自覚しているので、今回は「こういうことを気にしているオタクもいるんだな」とでも思ってくれれば十分です。

最後に、前述した「キリン=アイドルではない透」の理由を記します。注意点として、テクストの精読ではなくキリンというモチーフの掘り下げをしていくため、確証性は一段下がります。話半分に聞いてください。
いままでのコミュにおいて、アイドルである透を象徴するモチーフとして「クジラ」が繰り返し登場していました。(厳密にいうと、筆者は「透=クジラ」ではなく「透=クジラの祖先である水陸両方で生活していた四足歩行の生物」と考えていますが、詳細は別の機会に語らせてください。ここでは簡単のために「アイドルである透=クジラ」とします。)
さて、クジラとキリンの間には共通点があります。両者は鯨偶蹄目に属する動物です。鯨目と(キリンが属していた)偶蹄目には身体的に共通する特徴があることは古くから知られていました。分子レベルの解析が進んだ近年においては、そのふたつをまとめた新たな分類である鯨偶蹄目が提唱・支持されています。ここで、クジラとキリンは古代のある陸上動物を共通祖先として共有している、という事実に注目してみます。
クジラ(=アイドルである透)の進化史は広く知られていて、水辺に暮らしていた四足歩行の陸上動物が水中生活への適応を進めていった結果、現代のクジラのような姿に分化したと見なされています。ここでクジラの進化史を浅倉透のコミュへ当てはめると、「陸上動物から水生動物への進化」=「アイドルになる前の透(あるいは、アイドルである自覚の薄い透)からアイドルである透への成長」というアナロジーを見出すことができます。つまり、鯨偶蹄目の共通祖先である陸上動物を「シャニPにスカウトされる前の透」に当てはめることができます。
ここでキリンは現生の陸上動物であることを踏まえると、キリンの進化史のアナロジーは「陸上動物から陸上動物への進化」=「スカウトされる前の透からアイドルにならなかった未来の透への成長」と考えることができそうです。つまりは、何もなければ「キリン」になるはずだった透の未来は、シャニPのスカウトによって「クジラ」になる未来へと分岐してしまった、と解釈することができます。(ここでいう「未来」は透の主観ではなく筆者からの客観として捉えてほしいです。)速く走る動物を素直に思い浮かべるならウマ(奇蹄目)やチーター(食肉目)などになりそうですが、わざわざキリンを登場させてきたのはこの辺りに理由があると踏んでいます。
走るキリンへの透の興味や、(コミュ終盤まで裸足で走ることを抑制されていた透と対比した)裸足で走る花嫁の美しさを思い出してみます。キリンとはアイドルにならなかった透のメタファーであり、その姿には、シャニPの手によって損なわれかけた(もののコミュ終盤において感動的に復活した)透の元来の輝かしさを見出すことができます。

キリンについてのオリジナルの解釈は以上です。

他の方の解釈も少し検索していますが、例えば、キリンの首の長さ(=高い葉っぱを食べようとして進化した結果)から透コミュにおける「てっぺん」を連想していた方もいました。私は見落としてしまいましたが、興味深い内容でした(特に「てっぺん」は【国道沿いに、憶光年】で最重要の概念のうちのひとつ)。
また、キリンの直前に登場した「キミは勇敢なジャックウサギ」について何も触れられていません。鯨偶蹄目ではないウサギ(ウサギ目)を透へ照らし合わせたのは全然理解できていません。(ウサギといえば小糸なのですが……)こちらもどなたかの見解を頼りにしたくなっています。

【国道沿いに、憶光年】についてのすべてのシャニマスユーザーの読解を楽しみにしています。

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