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"沖ノ井のつどい"について

わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし


今回は私たちの名前、"沖ノ井のつどい"の由来についてお話しします。

まず、沖ノ井とは小さな池と連なる奇岩が織りなす趣ある景観の歌枕のことです。別名で沖の石とも呼ばれます。歌枕とは、和歌の題材とされた日本の名所または旧跡のことをいいます。

舞台である宮城県多賀城市は、平安時代以来、都人が憧れ、歌に詠んだ名所・旧跡である歌枕が他にも数多く残っています。

その中でも末の松山は多くの歌に詠まれた、みちのくを代表する歌枕です。

古来ありえないことを「末の松山を浪が越える」と、あだし心(偽りの気持ち)を持たない愛の誓いとして「末の松山を浪は越えない」と表現しました。

古に詠われた、末の松山を津波が越えることはありえない、末の松山を津波は越えないという歌の伝えは本当なのかわかりませんでした。

しかし、東日本大震災で発生した大津波が、末の松山の手前で止まり、波が越えることがなかったことから、歌人が和歌に寄せた伝承の確かさを再確認することとなりました。


歌が詠われる前、仙台平野を津波が襲ったのは869年の貞観大地震で、歌の舞台となっている多賀城も津波に流されて多くの被害がありました。このとき末の松山には津波が届かなかったことから、地震と津波の避難地として末の松山が伝承され、それが都に伝わって和歌の中に詠み込まれました。

そのような末の松山から、南へ伸びる道を下ると奇石が連なる池が見え、その住宅地の中に取り残された池が、歌枕の沖の井と呼ばれています。

沖ノ井は、前述の通り末の松山の南、住宅地に囲まれた一画にあり、池とその中の大きな石が目をひきます。江戸時代には、仙台藩により沖ノ井を保護するための防人が設置されて大切に保護され、現在も地元の人々がその伝統を引き継ぎ、守り続けています。

そんな沖ノ井の、人々の想いの拠り所とされ、現在までも語り継がれたり歌として伝承されているこの場所で、「いま」を生きている私たちもひとつの場所につどって想いを馳せたいと思ったことから、"沖ノ井のつどい"ということばに想いを込めました。

過去から現在へと語り、伝承されてきたものを、次は私たちが未来へと繋げられるように。

画像引用 http://www.city.tagajo.miyagi.jp/manyo-digital-museum/history/index.html

http://meganeculture.boo.jp/2018/03/02/宮城県多賀城市2末の松山と沖の石/

参考文献 http://saigyo.sakura.ne.jp/suenomatsuyama.html

http://meganeculture.boo.jp/2018/03/02/宮城県多賀城市2末の松山と沖の石/

https://www.tagakan.jp/category/detail.php?id=50

http://www.city.tagajo.miyagi.jp/manyo-digital-museum/history/index.html

http://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/kurashi/shisetsu/shisetsu/bunkazai/065.html

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