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#3 僕がWeb業界に入るまで - スタートライン -

「お客さんから来ているこの〇〇のお問い合わせ、〇〇と回答しておいてください〜」

かしこまりました。

担当している精米店の担当者から頻繁に電話が来る。

僕は、大手ECモールに出店しているECサイトの運用代行の会社で働きはじめ、2ヵ月が経とうとしている。

「Web業界の仕事が見つかりそうです」

通っていたスクールの営業担当から紹介してもらった初めてのWeb業界の仕事。ようやく希望していた業界の仕事がきた。
未経験者の僕がなぜ採用になったのか、どういう面接だったかはもう覚えていない。

横浜の関内にある従業員5人程度の小さい会社。
当時、東京大田区の平和島というところに住んでいたので、事務所には1時間程度で行くことができた。
主な業務内容は、ECサイトの運用で、新しい商品の登録、バナーの差し替え、写真加工、お問い合わせ対応など。
担当するサイトが10サイト以上あったので、それなりに忙しかったのを覚えている。

最初の1ヶ月は、初のWeb業界での仕事ということで、ワクワクする気持ちが強かったが、僕が勉強してきたHTML/CSSでコードを書くことや、デザイン業務が少なかったので、2ヶ月も経つと物足りなさを感じていた。

そしてさらに・・・

「関内にBarを作ったから、吉本、ホールを手伝ってくれ」

社長からの指示で、まさかのBarでホールの仕事も・・・。
それから僕は夕方17時になると、ECサイトの運用の業務からBarのホールの手伝いをすることになった。

Web業界に入ったのに、なんで皿洗いしてんだろ・・・。

Web業界に入った喜びが、2ヵ月後には、虚しさが強くなった。

そんな時に、社長から

「新規店舗のTOPページのデザインやってみろ」

初めてのデザイン業務だった。
1週間くらいかけてデザインをし、社長に提出した。

「これ、俺ならWordで作れるわ。デザインはまだ早いな〜」

辞めます。
そのまま帰宅した。

この時の気持ちは、今表現するのは難しい。とても複雑だったと思う。
ただ、社会人として、とってはいけない行動だった。


3ヵ月程度だったが、このECサイトの運用実績があったおかげで、次の就職先はスムーズに決まった。

田端にある印刷会社で、Webデザイナーとして採用になった。
与えられた業務内容は、自社サイトのリニューアル。
Web担当は僕しかいなかった。
1日中パソコンの画面に向き合い、そしてそのまま1日が終わる。

他の社員とはほぼ交流がなかったが、1日中、Web制作ができたので充実していた。

自社サイトは10ページ程度のボリュームだったので、2ヵ月程度でリニューアルが終わった。十分な達成感はあった。
次はこの自社サイトから集客できるように・・・と考えていたところ、課長に呼ばれる。

「Webサイトのリニューアルが終わったので、次は営業をしてもらいます。」

ん?
営業?
Webデザイナーとして就職して、2ヵ月後に営業?

僕はWeb制作の業務がしたいです、という主張をしたが、課長から「もうWebの仕事はない」という話をされた。

辞めます。

課長からすかさず、
「社会人をなめるな」
と言われた。
この言葉は、ずっと頭に残っている。

自分にはやりたいことがあって、そのためにこの会社に入って、でも、会社からの命令で違う職種に回されて、それでもいつかこの会社でやりたいことができるようになると信じて、それまで我慢してこの会社で働くことが、良い社会人なのか。

僕は違う。

自分のしたいことを仕事して、その仕事が結果的に会社のためになる、そういう生き方をする。そういう環境の会社に就職する。

再び、就職活動を再開した。
ECサイトの運営代行の経験、印刷会社の自社サイトのリニューアル業務という経験を実績に、Web制作会社にターゲットを絞った。

相当数の会社に、面接に行ったと思う。
そして、就職活動中にも、Web制作の勉強は続けていた。
当時は特にFlashに力を入れ、個人サイトもFlashで作っていた。

そしてついに、Web制作会社で採用が決まった。
これは後から聞いた話だけど、当時面接をしてくれたデザイナーが僕の個人サイト見て「すげ〜、雪が降ってる!」と評価してくれた。

当時は24歳。
ようやく、僕はスタートラインに立てた。

就職したECサイトの運用代行の会社も、印刷会社も、僕は3ヵ月程度でやめている。経歴書で見ると、相当ひどい評価だと思う。経歴書が汚れると気にして自分のやりたいことを我慢して「石の上にも三年」を信じ、辞めないという選択肢をとる人も多いと思う。
僕はどうしても、自分のやりたいWeb制作という環境に早く身をおきたかった。ただ不器用だっただけかもしれない。でも、結果的に、このひどい経歴書でもWeb制作会社で働くことができた。

それから僕は、このWeb制作会社で、水を得た魚のように働いた。

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