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2023/01/28の日記 「この空がトリガー」を消費したくない

イコラブの新曲を聴いた。公開されたのも聴いたのも昨晩(1/27)のことだけど、まだ忘れないうちにいろいろと雑感を記録しておきたい。

 絶対的エース・齋藤なぎさが卒業してから新体制シングルが出るまでめちゃくちゃスパンが短くてびっくりした。まさか一月中に出るとは思わなかったし、センターが舞香だったのも予想外だった。
 前シングル発売からのスパンを考えると妥当な時期だが、それでもやはり「思い切ったなぁ」と思った。しかし「あの子コンプレックス」のヒットどテレビ露出で掴んだ新規層を逃さないためには今しか無かったのかも。ずっと前から準備をしていたのだろう。

 とりあえずは曲の感想。齊藤なぎさがいないイコラブは齊藤なぎさがいないのに最強で、この人たちが「なーたんと仲間たち」になり得なかった理由を思い出した。圧倒的な実力とこれまで培ってきた表現力を王道アイドルソングに乗せて歌う。「実力派アイドル」として堂々としたリ・スタートの出発を完璧に切った。最高。
 王道アイドルソングなのも完璧な采配だ。瞳が復活した時の「青春“サブリミナル”」も王道アイドルソングだった。イコラブが再スタートを切る時にはいつも王道アイドルな彼女たちがいる。それがなんだか嬉しいし、ファンとしても安心する。
 衣装も良い。白を基調とした女の子らしいデザイン。アイドルらしいのにどこか大人っぽい雰囲気もある。「一味違うな」という雰囲気を、衣装とスタジオセットで一目で理解させられる。

眩しさとフレッシュさだけではない「アイドルらしさ」

 他にも、このターニングポイントとなるシングルでみりにゃのラーメンやしょこのマラソン、きゃたんのゲームなど改めてメンバーのアイデンティティに触れる描写が散りばめられていたのが良い。新規層に対する簡易的なメンバー紹介にもなる。

 とりあえずはこんなところで。しかし今回の本題はこっちではない。上手く書けるか分からないけど、とりあえず書いてみたい。


※本題に移る前に
・私は部分的にバイセクシャルです。断定はできないけど!
・この先は一度「この空がトリガー」MVを閲覧してから読むことをおすすめします。










 昨晩のこと。「百合曲」が増えた、とイコラブが好きなTwitterのフォロワーからDMが来た。マジか、と思った。

イコラブ、ノイミー(そして昨年結成されたニアジョイも)。指原莉乃がプロデュースするアイドルたちの曲には「百合曲」と呼ばれる曲がある。例えば、

「手遅れcaution」/=LOVE

「君はこの夏、恋をする」/≠ME

 サムネイルを見れば、この曲のMVの中でどんな恋愛が描かれているか分かると思う。
 イコノイは定期的にMVで女性同士の恋愛模様を描いている。歌詞は女性同士でも男女でも、捉えようによっては男性同士でも成立するような恋愛ソングだけれど、MVで取り上げられるのは女性同士の恋愛だ。この女性同士の恋愛——いわゆる「百合」を描いた曲を、ファンはまとめて「百合曲」と呼んでいる。

 百合曲は人気が高い。なぜかと言うと、「画面が美しい」からだ。
 一般的・ヘテロ的なアイドル恋愛ソングは大抵女性から男性へ(女子から男子へ)向けたもの、もしくは男性から女性へ(男子から女子へ)向けたものがほとんどだ。それはAKB48の歌詞の一人称がほとんど「僕」であることからも読み取れると思う。
 それゆえ、舞台装置として男性モブが「僕」を演じてアイドルのMVに出演することは少なくない。仮に出演しなくても、MVのアイドルたちは自分ではない男性に告白をしたり抱きついたりラブレターを書いたりしている。

 しかし女性ファンにしてみればどこの馬の骨かもわからない男に愛するメンバーがトキメいて思い悩んでいる様は、まあカワイイことには違いないが正直「男邪魔だな〜〜」と思わざるを得ない。

 可愛いアイドルを見たいのにどうしてモブ男を挟まないといけないんだ、となる。
 ……もしかしたらこれって私だけなのかな。この「the 5th」も大好きだけど、推しがどこぞの馬の骨にクリスマスの特別をあげているのが許せなくていつも怒りで震えてしまう。

 閑話休題。
 しかし百合曲が描くのはメンバー同士の恋愛だ。どこぞの馬の骨なんかではなく、愛する推しは愛する推しとキスをする(誇張ではなく、イコノイの百合曲MVは本当にキスをするから凄い)ので、見ていてノイズが少ない。知らん男の影に「誰お前……」と静かにキレる必要もない。つまりノイズが少ない。
 百合曲はノイズが無くて美しい。だから人気がある。

 果たしてそれだけだろうか。

 百合という言葉、その概念、イメージ。
 女性同士の恋愛。
 それに対して、なんだか「耽美」なイメージを持っている人はいないだろうか。
 「禁じられた二人」という言葉に美しさを見出してはいないだろうか。


行き過ぎた美化


 MVのコメント欄に「禁じられた二人感があって良い…」という旨のコメントがあった。それを読んでなんだか、ん、ん〜〜?? と思った。
 MVの中で、舞香は衣織に恋をしていた。それを禁じられる所以は一体どこにあるというのか。誰が二人の恋を禁じていると言うのか。

 「マリア様が見てる」を祖として、女性同士の恋愛を描いたいわゆる「百合作品」は、百合という言葉の持つ響きも相まって、しょっちゅう美しいものとして美化されている。
(脱線するけど男性同士の恋愛はネタとして扱われてしまい「汚らわしいもの」みたいな扱いをされているからもっと邪悪!)
 女性だけのコミュニティ、女性だけの関係性。男子禁制の世界観は勝手に清らかで耽美な雰囲気を演出する。秘密の花園、二人だけの逢瀬。(あくまでもイメージ上での)女性特有の柔らかく繊細なコミュニケーションを当てはめて、そこにはなんとなく「聖域」の香りがただよってしまう。「禁じられた二人」は、百合作品によく登場する常套句だ。

 実際何も禁じられてないのにね。


※こちらの「禁じられた二人」コメントですが、AKB48の楽曲「禁じられた二人」に似た雰囲気がある、という意図のコメントらしいです! 教えていただきました。
しかし「禁じられた」という語句への違和感は依然あるので、訂正せず追記として書くことにしました。教えてくださった方、ありがとうございます…!


 女性を好きな女性なんて、世の中にごまんといる。私も女性に恋をしたことがあるし、私の周りにもいる。しかも何人もいる。案外普通にいる。そして彼女たちにはパートナーがいる。彼女のパートナーもまた、女性を愛する女性だ。

 彼女たちは普通に恋愛している。普通に恋愛してるし、詳細は省くが清らかさなんてあったもんじゃない。ヘテロの人間と何も変わらない尺度で世界を見ていて、けれどヘテロの人間よりもたくさんの苦悩を抱えている。
 それは決して美しいと言えるようなものではない。

 同性愛者はたくさんいるけど、依然として彼女ら、そして彼らがマイノリティであることに変わりはない。MVの舞香のように、ヘテロセクシャルを好きになることだってある。「なのに勝手に好きでごめんね」という歌詞が痛い。どんなに好きでも伝えられない想いを持つ人がいる。愛し合っているのに、それを祝福してもらえない人々がいる。愛し合っているのに家族になれない人々がいる。その他にも、きっと私には計り知れない苦悩がある。

 恋愛の形は様々だ。ステレオタイプ的なアイドルソングはずっとヘテロセクシャルを歌ってきたけど、どうして男女間ばかりが歌われるのだろう、なんてことを思ってきた。

 その中で指原莉乃が女性間の恋愛を丁寧に描いたMVを制作したのは衝撃だった。嬉しかった。特に「君はこの夏、恋をする」を見た時の衝撃はすごいものだった。王道恋愛ソングに乗せて女性が女性に恋をしていて、それが当たり前のように描かれているのだ。

 しかし不安もあった。百合曲は人気がある。世界観や画面の美しさに惹かれるファンも多い。百合はいつの時代も人気のコンテンツで、言ってしまえば金になる。絵になる。

 そんな背景があったらどうしよう。
 純粋な美しさ、女性同士の恋愛をコンテンツ化した時の映像美を求めた結果の「この空がトリガー」だったらどうしよう。そんなことを思っていた。

 このMVの中で舞香は衣織に恋をしている。衣織には男性の恋人がいて、結婚するとまで言っている。
 大学の卒業式、舞香はスマホで衣織と恋人の動画を撮っている。「私が結婚するのは〜この人です!」という衣織の声に合わせてスマホを恋人の方に向けようとするけれど、どうしても画面に彼の姿を写せない。ふざけたふりをして空を写す。
 舞香の気持ちが痛いほど分かる。認めたくないもんね。自分は女だから衣織に本心を伝えられなくて自分は女だから衣織と結婚できない。それなのた相手は男だから衣織と結婚できる。
 悔しい、どうして私は男じゃないんだろう。 

 その感情は、おそらく女性同士の恋愛のリアルにかなり近い部分にある。
 このリアルを、「美しさ」だけで消費されたらどうしよう。コンテンツになってしまったらどうしよう。世の中には女性を好きな女性がいて、彼女たちはそれが当たり前として生きているのに苦悩にスポットが当てられず「耽美」として美しい絵画のように扱われたらどんなに苦しく悔しいだろうか。「禁じられた二人」だなんて、自分の恋愛の在り方をどこぞの人間に禁じられたらたまったもんじゃない。
 そんな不安があった。そんな不安を感じながら昨晩は寝た。


 今日、指原莉乃がTwitterを更新した。「この空がトリガー」に言及するものだ。

 あ〜……。
 今読んでもなんだか涙が出る。こんなに誰も傷付かないよう言葉を選んで尽くしてツイートする人を初めて見た。

 初めてこのツイートを見た時、自分でも何故だか分からないが本当に涙が止まらなくなってしまってびっくりした。指原莉乃が女性同士の恋愛を「普通の」ものとして捉えていること、そして美しさを狙って作られたものではなく、純粋にそこにある恋愛を描こうとしたこと。そして極め付けは、「百合」という言葉の扱いだ。

「百合」という言葉について、

(と、いう表現も私がするのも気になるのですがわかりやすいので使います)(みなさんはお好きな表現で)

 指原莉乃はこう言っている。私が「百合」そしてついでに「ホモ」「BL」という言葉に対して思っていることを全部言語化してくれた。ありがたすぎる。

 「百合」「ホモ」「BL」これらは全部コンテンツを指す言葉だ。女性同士の恋愛コンテンツも、男性同士の恋愛コンテンツも、常にそれなりに需要があって経済市場は大きい。それは良い。これらのコンテンツの7割くらいは実際の恋愛では考えられないようなファンタジーじみた作風だ。

 しかし「この空がトリガー」然り、よりリアルな恋愛感情のやりとりや苦悩を描いた作品で「百合」をはじめとする言葉を使うことに、どうしても抵抗がある。

 MVの中で舞香は自分の感情を抑えられなくてキスをして、どこにも行けない二人は舟の上で概念的な心中をする。行先のないボートは漂流するばかりで、時間だけがそこにある。まるで過渡を前にしたモラトリアムにいるようだ。
 お世辞にもハッピーエンドとは言えない二人の関係性を前にして、それでも「百合てえてえ」なんて言えるわけがない。ここにあるのはあくまで人間と人間の感情のやりとりだけで、それはファンタジーでもなんでもない。百合の裏にはレズビアンがいるし、BLの裏にはゲイがいる。皆苦悩を抱えながら、でも普通に生きている。
 描かれているのはコンテンツではない、ごくごく普通に当然にありふれた景色なのだ。当たり前のこと。それを「百合」と名付けてコンテンツ化して美化するのは、なんだか気味が悪い。

 しかし「百合」という言葉が分かりやすいのも事実だ。レズビアン、バイセクシャルという言葉は限定的な性的指向を指すが「百合」という言葉に内包される文脈は恋愛から友情まで多岐にわたる。女2人がいれば百合、なんてことを言う人もいる。便利な言葉だ。それは「ホモ」「BL」も同じ。現にオタク産業において「百合とかホモとかBLとかいう言葉はLGBTQ+の人々に無配慮なので使ってはいけません!」なんて言っても不可能だし徹底すれば日本のオタク産業は廃れる一方だろう。それを(みなさんはお好きな表現で)と言う指原莉乃の言葉を選ぶ力、凄すぎる。

 本当に、この考え方が当たり前になってほしい。アイドルが同性同士の恋愛を当たり前に歌って、それを世間が当たり前に受け入れて、同姓同士の恋愛を描いたドラマがゴールデン時に放映されて、当たり前のようにヘテロの隣に並んで。
 そんな世界になると良いなと切に思う。そして、そんな世界にするためのスタートダッシュを誰よりも早く切ったのが=LOVEなのだと思う。
 ファンとして誇らしく思う。こんなに「推してて良かった」と思えることはない。


 最後にもう少しだけ。
 指原莉乃のツイートの一番最後、「誰を想ってても 恋をしてても してなくても 君は君だよ」という部分。
 これは前シングル「Be Selfish」の歌詞の一部だ。

 この歌詞が本当に大好きで、何度も助けられてきた。
 最近ようやく分かってきたことだけど、私は恋愛に対してコンプレックスを抱いている。苦手だ。向いてない。

 恋をするべし、という風潮がある。命短し恋せよ乙女ではないが、「恋をした方が人生楽しい」価値観は世間に根強い。昔のハロプロとか聞いてるとすぐに「恋しているかい?(カイカイカイ)」と聞いてくる。やめてくれ……と思わざるを得ない。
 恋愛をしてなくても人生楽しいし、恋人がいなくても友達がいれば超ハッピー。そう分かっているのに、周りの友人のインスタグラムのストーリーやマッチングアプリの広告が本当に? と問いかける。不安になる。恋愛をしていない人間はマイノリティで、ちょっと可哀想みたいなマイナスなパブリックイメージが邪魔をする。私は人生ハッピーなのに「可哀想」と思われてたらどうしよう。たまにそんなどうしようもないことで不安になる。

 どんな恋愛の在り方も肯定する、という考え方は嬉しいことに少しずつ広がっているけれど、「恋愛をしない」という考え方はなかなか肯定されない。早く彼氏作って幸せになってほしい、なんてことをたまに言われる。うるせー今が幸せじゃい! と思うのを我慢して、とりあえずはそうだね〜と返す。

 そんな肯定されにくいモヤモヤを、この歌詞はきれいに拾い上げてくれた。
 個人的に、恋をしないことを肯定するアイドルソングを他に知らない。世の中アイドルソングなんて星の数ほどあるので私が知らないだけで他にあるかもしれないが、恋をしないことを認めて、それを「君は君」だとアイドルが歌ってくれる。そんな経験は初めてだった。
 ついでにこの曲のセンターは私の最推しである野口衣織さんなので「君は君だよ」で推しの顔が1カメで抜かれる。衣織に見つめられながら「君は君だよ」と言われると本当に涙が止まらなくなってしまう。誇張抜きに本当に泣いている。
 というかさっきからずっと泣きながら文字を打っている。


 ありがとう、指原莉乃さん。
 あなたの書いた歌詞で情緒が救われています。

 誰が誰を想っても、恋をしてても、してなくても。どんな形があったって当たり前なんだから、美化してコンテンツとして消費しようとしないで、日常の風景の一つになればいいな。そう思わずにはいられない。
 「この空がトリガー」を、コンテンツとして美しい・尊いと消費するだけのものにしたくない。禁じられた2人なんてこの世には存在しないし、あなたの周りにも舞香と衣織はいるんだということを、たくさんの人に気付いてもらいたい。そう想った。

 本当に素敵な曲をありがとう、イコラブ。CD買います。お話会積みます。

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