見出し画像

まんが道を読む

 ぼくは2008年から小さなうどん屋を経営している。この小さな町で個人の飲食店の経営は楽ではない。開業した当時を振り返ると、個人でするのは大変だというような趣旨のアドバイスを多くもらった。具体的には「ぜったいにやめたほうがいい。」「こんな場所でやるんですか?」「値段は安く、そして味付けはこちらの人に合わせるべき。」といったような内容だ。
 うどん屋についてだけではない。知っている人もいるかもしれないが、ぼくはいろいろな活動をしている。このように文章を書いたり、さまざまな人にインタビューしたり、フリーペーパーを発行したり、配信やイベントも開催したりしている。その過程で「うどん屋だけしておけばいいのに。」「商売のじゃまになっている。」などの指摘やアドバイスをもらうことも少なくない。中には「目立ちたいだけだろう。」と言われたことだってある。
 見方によってはそれらの助言は正しいのかもしれないし、今とは違う人生があったのかもしれない。だが誰しもが同時に他の人生を生きることはできないので、「まぁ、そうかもしれないけど。まだ店は潰れてはいないし、まぁ、こんなもんかな?」というのが正直なぼくの感想だ。

 先日、藤子不二雄Ⓐさんが亡くなった。彼は「怪物くん」「忍者ハットリくん」「プロゴルファー猿」などの少年漫画から、「笑ゥせぇるすまん」に代表される大人向けの漫画まで、さまざまな作品を数多く残している。小説『長い道』を原作に、自身の体験などを加えて創作した「少年時代」は映画化もされ大ヒットした。中でも、富山県に住む少年二人が漫画家をめざす大長編ドラマ「まんが道」は、現在でも漫画家マンガの金字塔と呼ばれる名作だ。
 「まんが道」では、のちに藤子不二雄となる二人の少年が、漫画の神様である手塚治虫に自分たちが描いた漫画を持って会いに行くシーンがある。二人は手塚の執念ともいえるその仕事ぶりを見ていて、「まだまだダメだ。こんなところにいないで帰って漫画を描こう」と、原稿に集中している手塚に声もかけずに、予定を変更してその日のうちに富山への帰路に就く。帰路の途中、手塚に見せる予定だった原稿用紙を汽車の車窓から二人は投げ捨てるシーンがドラマチックである。

 ぼくもそこまでドラマチックではないかもしれないが、修業期間も含めていろいろとあった。うどん屋は評価もそれなりにいただいていると思う。様々なメディアで取り上げてもらったし、県外からのお客さんも多く、最近は地方発送も増えている。そしてこのごろはうどんだけではなく、フリーペーパーなどの活動も少しずつ広まっていると感じる。読者の反応をもらうことも増えたし、テレビ取材もあった。まだ掲載されていないが、先日は全国紙の取材も受けた。

 とはいえ、これまでの商売の経験上、そんなことは大したことではないとわかっている。先にも書いた「まんが道」の帰路のシーンは、夜空に原稿用紙が舞うとてもいい話ではあるのだけれど、本当に大事なことはその後も二人はずっと漫画を描き続けたという事実のはずだ。「まんが道」は一冊1000ページ近い愛蔵版で全四巻の大長編だが、きっと作中には収録されていない何気ない毎日の中で作品を作り続けていたはずだ。そして、そのエピソードにもならない毎日の積み重ねが、あの藤子不二雄と数多くの作品タイトルを生み出したわけだ。何かに熱中して物事に打ち込む姿勢や、何歳になっても仕事に対して真剣な眼差しをもつことの重要性を、この長い温かい作品から読者は感じることができる。ぼくもがんばりたい。


※記事が面白かったら投げ銭もしくはサポートをお願いします。
あなたのドネーションが次の記事、フリーペーパー「やうやう」を作る予算になります。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?