見出し画像

2019.06.10 - Wonderland

月曜日。雨。

9時起床。今日は安静にするために仕事を休む。上司からは今週いっぱい休んだ方が良いのでは?という事を頂いていたので、そうしようかとも考えている。自分でも、どうすべきが最善なのかは分からない。

かなりの雨だったため、今日は本当はランニングに行きたかったけれど、天候のため、それも断念せざるを得なかった。

仕事のメールを2通ほど送った。

今までだったら考えたこともないが、こうして休んでいる間でも仕事のメールを送ることが今まで当たり前になっていた。そして今、事情が事情なため会社を休んでいるが、それでもメールを送らなくてはいけない状況に、正直かなり嫌気がさしている。誰が悪いという訳でもなく、自分で選んでいることと言ったらそれまでなのだけれど、それでも、休みの日に稼働するということは精神的にかなり負担だった。会社の人と連絡を取ることもしんどい。

こうして休んでいる間でも、生産的に暮らしたいという気持ちは変わらず。この場合の生産的というのはつまり、何かを生み出すということではなくて「明日のために自分ができることをする」という意味で使っている。

明日のためにできることとは、皿を洗ったり、家の掃除をしたり、洗濯をしたり。他にも、少し多めに料理をすることや、筋トレやランニング。こうして日記を書くことも、僕にとっては生産的な行いのように思えた。

適応障害で、仕事ができなくなってしまった今、自分が非生産的だとは思わないようにしている。というか、思わない。経済的な活動だけが生産的という認識をすること自体おかしいと思うし(生産性という言葉が経済用語なので仕方ないかもしれないが)、短期的に得られるものだけを追いかけるのを生産性があると言うのは、盲目なような気がしてならない。

僕はこれから、きっとまだまだ長い人生を生きることになる。そのうちの数ヶ月間(と思っている)、仕事ができなかろうとあまり大した問題ではないと思うのだ。むしろ、こうして自分が弱った経験があるということは、今後の人生においてきっと物凄く価値があることなのではないかと思える。

短期的ではなく、長期的に考えること。時代的にもスピード感が顕著に出てきているが、種(過程)を撒かなくては、収穫(結果)はできない。

結果ばかりを急ぎ過ぎるというのは、種を撒かずに収穫をしようと考えること。

そういう生き方が素晴らしいとはとても思えないので、こういう考え方をしながら、適応障害と向き合っていけたら良いなと思っている。

今日は、iriのWonderlandを聴いていた。

とても良い曲で、延々リピートして聴いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?