マガジンのカバー画像

nonagon 140

28
140文字で切り取った物語を執筆してまいります。タイトルは正九角形の内角が140度であることから。無料です。
運営しているクリエイター

2014年9月の記事一覧

マーマレードの香りがして、僕は急いでベッドを出た。
流感にやられたじいさんの部屋を通ってダイニングに駆け込むと、母が朝食をならべている。
僕は居てもたってもいられずに声をあげた。
「母さん、今日はピクニックなんだ。バスに大勢乗っていくんだよ」
「坊や、それよりもまずは挨拶でしょ」

黒を叩いて手のひら打ったら遥かな概念うまれて出てさ。
そこにあるものくるりと集めて寄せて丸めて大地にしてね。
そしたら君たちぴょこんと出て来て僕はにっこり微笑むわけさ。
水と大地を足して割ってその間。僕がみるのは青い海。青い空。
青い青いというけれどそんなに青くはないはずさ。瞳。

バーでスーツを着込んだ男が話しかけてきた。
「結局さ、彼は書店のベストセラーと名作の棚から思い出したように手に取って切り貼りする、いわば付け焼き刃仕事なんだよね。はは」
ああ、彼っていうのはね、と僕の名前を付け足したので、僕はアルコールをどれだけ呑めば君は消えるのかと訊ねた。

さいきん母さんのつくるおにぎりの味が変わった。
父さんは何も気づかないみたいだけど、僕だけは知っている。
ごはんを丸めるところで、最近はこっそり見慣れない白いのを混ぜ込んでいるのだ。
すこしずつそれは毎日続けられている。
僕だけが知っている。
「アジノ○○」
「うまいね、母さん」

遥か頭上高く飛行機が走っていった。
あんなに速く飛ぶエンジンを積んだつもりはなかった。
無茶なことをしやがる。
そう思いながら、僕はあいつが下ろしていったパラシュートを畳んだ。
その向こう、脇に押しやるようにして、ここにあるはずのない機銃すら置いてあるのを見つけて、愕然とした。

絵描きは盗んだ絵の具でみごとな絵を描いた。
しかし、やがて罪悪感に急き立てられて、跡形もないように火を点した。

そうして姉は焼け死に、未完成の絵だけが遺された。
未完成のくせに、この世のものとは思えないほど美しかった。

筆は借りた。あとは絵の具、と僕は小銭をつよく握りしめた。

アツアツのご飯に合うのは、やはり二日目のカレーだ。火が入ると、くつくつと一度眠った香りが還ってくる。口に香りを感じながら、鮮やかなキャベツを細かく刻んでおく。どろっとよく煮込まれたルーをご飯にかけ、そしてふわりとキャベツをのせる。すこしソースを垂らすのもいい。さあ、どういこうか。

三つ角を曲がったところに寂びれたうどん屋があって、きつねが美味い。
掛け布団みたいな厚いお揚げを一口やって、熱い出汁がどっと流れ出るもんだから、それに多少口のなかを傷めてでもまた一口齧りたくなる。
思い出したようにずるずるっとうどんを啜って、胃が火照ってくるのがたまらない幸福だ。

川から老婆が流れてきて、村ができて以来の騒ぎになった。
風車とおにぎりと、それから若い男の記憶を携えていた。
意識ははっきりとしているが、川にいる間の記憶だけがぽっかりと抜け落ちている。
男の名前をつぶやくのを見て、上流ではまだ少女であったのではないかと、そんな馬鹿な空想をした。

僕らは二リットルあるコーラをなみなみと桶に注いだ。
空のボトルがやけに眩しかった。
コーラが騒ぐ音を聞きながら目を合わせて、そして一気に墓石に浴びせかけた。
「先に死んだやつの罰ゲームさ」
言い出しっぺの名前が、黒い液体の向こうに浮かびあがる。
たしかあの日もこんな陽気だった。

修学旅行の終わりに食べたシチューがあまりにも珍妙で、僕らはひとしきり困惑した。
あるものは「カレー」だといい、またあるものは「豚汁」のようだといった。
そのなかでもひと際注目を浴びたのが「佃煮」という彼の意見だった。

その彼はその晩に童貞を捨てて、その相手とめでたく結婚をした。

あさ目が覚めると、隣に女の子が寝ていた。
やけに背の高い女の子だった。

キュウリとハムのサンドウィッチと、それからコーヒーを淹れた。
静かめなロックでもかけようとも思ったけど、それはやめにした。

しんとした音に耳を慣らしておきたかった。
そうやって最初の音を僕はじっと待った。

先生、どのくらいで治りますかね。
さあどうだろね。

はい、「アー」ってして。「あー」
つぎ、「イー」して。「いー」
うん。

つぎ何だとおもう?
——「うー」ですかね?
違うよ、「シテル」

うるさいわ、ヤブ医者め。

ゆるりと坂を下った診療所へ行って今朝から顎が痛むのだと訴えた。
すると先生は「顎関節症だね」と気だるそうに頭を掻く。
左の方でしょ?いえ右です。
さいきん、二十代から三十代の女性に流行ってるらしくてねと嘆いた。ストレスってやつなのかねとも付け足す。
先生。見て!僕は四十の男だす。