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不妊治療録 これまでの経緯⑨ 時が止まった日


前回の記事


※妊娠や流産に関する記載があります。

ーー

陽性判定をうけ、予定日を告げられてから次の胎嚢確認日までの間は、これから訪れる幸せな未来に期待を膨らませる一方で、正常に妊娠しているか不安な気持ちで過ごしました。

そんな中、私の不安をより一層大きくさせる出来事が起きました。

ある日仕事終わりに家に帰ると、家族のLINEに通知が入っていました。


「妊娠しました。現在8週です。予定日は9月です。」

という、妹からの連絡でした。


私はその連絡を見た瞬間に

「どうしよう。私が正常に妊娠していなかったらどうしよう。妹に先を越されてしまう。どうしようどうしようどうしようどうしよう。」と

初めてパニックになりました。

震える声で自分自身に「大丈夫」と何度も言い聞かせ、震える手で「大丈夫」と何度も紙に殴り書きました。

そしてすぐに夫に連絡しました。

「大変なことが起きた。妹が妊娠した。どうしよう」


私は妹が妊活を始めたあたりから本格的にうつの症状が見え始めました。
一番恐れていることが妹の妊娠だったということに、パニックになってようやく気がつきました。

ーー

そうは言っても私も妊娠しています。

なんとか気持ちを落ち着かせました。

でももし次の診察で胎嚢が見えなかったら、本当に妹に先を越されてしまう、という恐怖は常に付きまとっていました。

妹はすでに心拍確認も済んでいます。

そのことを考えるだけでいてもたってもいられなくなりました。

そして、妹は私が不妊治療をしていることを知っていて家族のラインで報告をしました。
無神経な性格だなと思い、とても腹が立ちました。

ーー

胎嚢確認をするための診察日がやってきました。

この日まで茶おりとお腹の張りがあったので、念のため1日仕事を休んでいました。

陽性判定から胎嚢確認まではたったの1週間しかありませんでした。
しかしこの1週間でも、日を追うごとに自分がお母さんであると言う自覚が増していきました。

診察の順番が回って来ました。

期待と不安が入り混じった気持ちで、ドキドキしながら診察台に座りました。

いつも通り先生がエコーの画面を見てくださいと言いました。


素人の私が見ても、エコーには何も映っていないということがわかりました。

先生から「この段階でエコーに何も写っていないということは、色々な可能性が考えられます。あとでゆっくりお話しします。」と言われました。

先生の声のトーンがいつもより暗いように感じました。

診察室では
「排卵日が確定しているのでこの段階でエコーに何もうつらないとなると、正常な妊娠の可能性は極めて低いです。子宮外妊娠か、このままいつも通り生理が来ます。」

と言われました。

頭が真っ白になっている状態でありながらも、先生の話を聞かなければいけない、もしかしたら我が子のためになることを聞けるかもしれない、となんとか先生の話を聞きました。

なぜ私だけこんなにも妊娠できないのだろうか、という気持ちでいっぱいになりながら、待合室へ戻りました。

その時、病院の待合室で流れている情報番組から、今日産まれた子とその家族が出てくるコーナーである「めばえ」が始まりました。
その日に産まれたばかりの赤ちゃんが映り、我が子を愛おしそうに見つめるお母さんが映し出され、次にぎこちない様子で我が子を抱くお父さんの姿が映し出されました。
最後にその子の名前を両親が声を揃えて読み上げて、そのコーナーは終わりました。

少し前まで私はこのコーナーが大好きでした。
「赤ちゃんやのにもうすでにお母さんにそっくりな子やな。」と夫と話したり、私たちもいつかあんなふうに幸せに笑える時が来るんだ、と私たちに訪れる未来と重ねて見ていました。

いつか訪れると思っていたのに一向にその未来に近づかない。
近づいたと思っても遠のいていく一方な気がしました。

目は背けられても嫌でも耳には入ってくる、なぜ不妊治療クリニックで流すのか、と思いながら涙を堪えました。

お会計の際に、事務の方が「大丈夫ですか」と私に声をかけてくれました。

大丈夫なわけないやろと思いながら、無理に笑って「はい」と答えたことを覚えています。

誰かに声をかけられると涙が出てくるので、あまり話しかけられたくありませんでした。

車に乗って、夫に連絡しました。
子宮外妊娠の可能性を指摘されたこと、そうでなければ生理が普通にくると思うと言われたことを伝えました。

泣きながら家に帰り、家に帰ってからもずっと泣いていました。

「なんで私だけ」

という気持ちが湧き出て来て止まりませんでした。

この日はたまたま夫の帰りが遅く、私が家に着いてから夫が帰ってくるまで2時間ほどありました。

その2時間、泣く以外のことは何一つできませんでした。

歩くことすらできず、ただひたすらに泣いていました。

この日からしばらく私の時は止まってしまいました。

ーー
続き



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