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不妊治療録 これまでの経緯⑩ 何もできない日々

前回の記事


※妊娠や流産に関する記載があります。

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胎嚢確認の日に「正常な妊娠である可能性は極めて低い」と告げられ、さらに妹の妊娠報告が重なり、私は動けなくなるほど落ち込んでいました。

その日、母から連絡がありました。

母には不妊治療をしていることを話していました。
母は産婦人科の看護師をしていたことがあったので、いろいろと知っていることもあるかなと思い、話をしていました。

妹の妊娠報告後、私を心配して母が大丈夫かと連絡をしてくれました。

そして、母には陽性判定をうけたが、正常な妊娠ではないと言われたことを話しました。

母からは
「まだお腹に赤ちゃんいるなら、たくさんお腹に話しかけてあげて。」
と言われました。

ーー

同じ週の週末に、改めて受診の予約をとっていました。

子宮外妊娠の場合は、命に関わる場合があります。そうなると緊急性があるため、あまり間を空けずに通院する必要がありました。

卵管で受精卵が育つと卵管が破裂し、出血によりショック死に至る可能性もあるとのことでした。

前回の診察は何かの間違いで、次の診察日には胎嚢が見えたりするんじゃないか、先生が週数を数え間違えてたのではないか、どうかそうであってほしいとずっと祈り続けました。

そして、お腹の子にたくさん話しかけました。


話した内容のほとんどは
「ごめんね。」
でした。

ーー

診察日がやってきました。

お腹の子が育っていることを信じて、内診台に座りました。

しかし、やはり胎嚢は見えませんでした。

先生からは、卵管が腫れているようにも見えないので、このまま生理が来る可能性の方が高いですと言われました。


この時のことはあまりよく覚えていません。

ずっと心が空っぽのような状態でした。

家に帰ってからもひたすら泣いていました。

その日の夜、生理がやってきました。

いつもの生理より量も多く、腹痛も強かったと記憶しています。

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生理が終わって3日ほど経った日に通院の予定がありました。

妊娠反応がなくなっていることを確かめる必要があったため、尿検査をしました。

検査の結果、

「まだ妊娠反応が残っている」

と言われました。

超音波では確認できないほどミクロのレベルで残っているとのことでした。

この妊娠反応が消えないと次には進めないため、しっかり出し切るためにプラノバールを10日間服用することになりました。

プラノバールはしっかりと出す薬なので、気持ち悪くなることがあるそうです。

一緒にレバミピドという吐き気止め?胃薬?をもらいました。

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せっかくお腹に残ってるのに薬を飲んで流すなんてという気持ちもありましたが、前に進むために薬を飲んで生理が来るのを待ちました。

吐き気に関してはこの時はまだわかりませんでした。

というのも、この時はストレスから、どこかしら常に体調が悪かったので何が原因で不調が起きているのか、あまりわからずに過ごしていたからです。

ーー

私はこの時、日常生活を送れるような精神状態ではありませんでした。

外に出るのも怖い、もちろん仕事にも行けない、気力がなくて何もできないと言う状態でした。

基礎体温も測れば測るほど惨めな気持ちになってしまっていたため、測るのもやめてしまいました。

プラノバールを飲み終わると3.4日後に生理が来ます。

プラノバールを飲み終えて、3月の頭に生理が来ました。

また受診し、同じように尿検査をすることになりました。


ーー

続き



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