「ウシジマくん童貞問題」解題

ぼくが一筆書きのようにひといきで記事を作成していることはときどき書いてきた。書きながら考えないとあたまがうまく働かない人間なので、書くその瞬間まで、なにを記していくものか決めていない。決められない。たいがい、書いているうちにアイデアが浮かんできて、そこを目標に決めてしまい、そこからは目標点までの、作中描写と地続きな、論理的な解釈を探していくだけである。これは、別にそれが作品の「こたえ」ということなのではない。重要なのは、読者がそのアイデアとそこに至る(後付けの)論理に説得性を感じるかどうかである。かつて竹田青嗣は哲学の定義にかんして、世界にかんする記述について、現状のところそのように納得をせざるを得ないもの、というふうに書いた。真理は、“ある”のではないのだから、わたしたちはそれを探求するよりも、現状使えるコマをすべて投入して、可能な限り説得的に書くことに専念すべきなのである。覆るならそれでかまわない。傍目には手遊びのような、論理のゲームのようなものに見えるかもしれないが、ぼくとしてはここにそれなりの必然性を感じてもいるのだ。
ぼくとしてはモダンジャズの即興精神からの影響もあって、このような一回的な記述のしかたは、ひとことでいえば性にあっていた。これはやりかたとして外部的に確立されたものではない。noteをはじめた最初の段階で、他人のまねをして書き方読み方的な記事も書いてみて、まあまあ評判もよかったとおもうが、それでも、あれは「ぼくが書いている」という背景ありきで成り立っていたもので、単独ではとうてい成立しない読みものだった、ということは否めない。以前からぼくを知っているかただけが楽しく読める記事だったのである。また、いまのところ「書けない・なにも思いつかない」ということはそうそうないけど(あまりいいこと思いつけなかった、ということはたくさんあるが)、いつかそういうときがくるかもしれない、という恐怖もある。というわけで、今回は、先日noteにも文章をあげた「ウシジマくん童貞問題」を取り上げて、それがどのように書かれているのか分析してみようという試みである。というより、ぼくじしんが、じぶんがどうやってものを書いているのか見てみたいということだ。その分析もまた行き当たりばったりなので、結果たいしたことはわからないかもしれないが、それはいつものことなので、やります。以下、最後にまとめるために、番号をつけてみていきます。



ウシジマくんについて書いていくにあたって、ツイッターなどで質問を募集していたので、気になったものをちょっとずつ考えていきたいとおもう。今回は掲示板で質問のあった、みんなが気になるウシジマくん童貞問題。

まず書き始めなければ書き始まらないので、事実を書いて開始している。この記事を書くにあたって事実といえることは、ウシジマくんが終わって、そのうえでなにかいろいろ書いていきたいという気持ちがあり、意見を募り、丑嶋は童貞か否かという、興味深い質問に引っかかったということである。あとから考えればこの「ひっかかり」こそが重要であるわけだが、結果としてはそれをつきつめることで丑嶋の最期についてもかなりクリアになったのだった。
また、じつをいうとこの時点ですでに丑嶋は童貞だろうというふうにはぼんやりおもっている。ただそれはなんの根拠もないもので、といってもゼロではないが、シャーロック・ホームズが左手だけ日焼けしてない依頼主を見てゴルフが趣味だと推測するようなものである。ゴルフ以外にもさまざまな可能性はあるが、いちばんありそうなのはまあゴルフだよな、ということで、ホームズのばあいは相手をけん制したりとかワトソンを感心させたりとかその他いろいろな動機があるだろうが、ともかく推測の精度としてはそんな程度のものである。だからといって「丑嶋が童貞である」という目標に向かっていってしまうと、はなしは変わってくるだろう。書き方とかの記事でも書いたけど、最初にこたえを決めてしまって、そこに向かって論理で道を拓いていく、ということをぼくはよくやるのだが、今回に限ってはどのように結果が転がっていってもいいように、なるべく手探りでいくように心掛けていた。しかしまあ、読み返すと明らかに牽強付会というか、結論ありきで書いてるなあというぶぶんはあり、そのあたりは筆者もまた人間であるということで保留したい。くりかえすが、重要なことは読んでいるあなたが説得されるかどうかである。

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