脳内の内言をことばにのせる

『我思う、故にわれあり』
…これに気づいたのは、デカルトの話を聞く前の、中学にあがったばかりのことで、
駅までのみちのりをてくてくあるきながら、
  自分とは何か、この内なることばを話す自分はなにか、思考するとはなにか、止まらない脳内言葉に気づいた瞬間でした。(親と話す時は何故か止む。注意がそちらに削がれるから)
  あとで、哲学系の本を読む様になり(私は(ギリシア哲学大好き💕)、デカルトが言ってたことばそのまんまだな、と。
  小学6年生の頃、自己日記や思ったことを書くノートで『足あと』があり、定期的に提出していたが、それが自己内省の醸成だったと今にぬり思う。小学校5、6年の担任先生に感謝したい。中学生になっても読書感想ノート以外にたまに書き続けていた。
 女子中学高校で交換日記をしていたときに、内面を書きすぎたりして辟易されたりもした。
 高校生の時は、文芸同好会で、聖書の句からいろいろ考えてた事をエッセイ風にして書いたりして(みんな文芸同好会ではフィクション物語系を書いていたりする中で)そういう、思考することが好きなんだなと同時に変なヤツ認定されるということがわかってきた。
それだけ、脳内に色々巡る内言をつかまえたくて仕方なかったかも。どこからか言葉がコンマ秒単位で流れてくるものだから、仕方ない。捕まえようとしても文字化しようと身構えると逃げていく感じ(歩いたり移動していると自動的に流れる感じ)。なんとかならないものか。
高校生の時はその状態を図式化したりできないか奮闘していた。
心理学系の大学の卒論書くときに、生成文法や言語論の参考文献読みながら
チョムスキーの著書に『内言』についてのルポがあり、「あー!これだわ」とわかりました。(めでたしとはならないが、言葉を操る人間には世界共通なんだとわかった。)
  
でも、一つだけ確信的なのは、
『我思う、故にわれあり。コギト エルゴ スム』なのである。
絶対的なのである。これを語らなくては存在しない。そこよそこ🫵!


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