今日は鍋を食べた。鍋というのは言わずもがな冬料理の王者である。安い、美味い、野菜が摂れる、簡単…その魅力は挙げればキリがない。仮に鍋がYouTuberの場合チャンネルを開設した2日後くらいには金の盾を手にしているだろう。そのくらい鍋という料理は魅力的だと思っている。

そんな最高の料理である鍋だが、一つだけどうしても気に入らない点がある。それは「鍋」というネーミングだ。鍋に野菜、肉、麺などを入れて出汁やスープと一緒に煮込む。この料理の名前が「鍋」というのは雑すぎやしないだろうか。調理器具をそのまま料理名にするという発想があまりにも軽率で恥ずかしさすら覚える。全くもって意味不明だ。そんな名前がまかり通るなら、ほとんどの料理は「皿」となってしまうし、サッカーやテニスのようなスポーツは「コート」となってしまう。「鍋」の名付け親は自分の子供に「人」とでも名付けたのだろうか。これはネーミングセンス以前の問題で名前を付けるという行為自体を放棄しているところが悪質だ。昨今日本ではあまりに酷いキラキラネームを付ける親が問題となり度々議論されているが、それなら鍋というネーミング、そのネーミングを認め続けている社会についてもそろそろ切り込んでいくべきではないだろうか。
深い知見を持った有識者たちにはぜひ熱い議論をしてもらいたい。もちろん鍋でも囲みながら。

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