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キリスト教式のお葬式

夫が、
学生時代の恩師のお葬式に行ってきた。

夫の恩師は
敬虔なクリスチャンだったので、
お葬式も
恩師の所属する教会で
キリスト教式で行われた。

一般的には
キリスト教式のお葬式って
あまりメジャーじゃないけれど、
うちでは
祖父母がクリスチャンだったので
けっこう馴染みがある。



キリスト教式のお葬式は
お花があって
歌があって
悲しい中にも明るさがあって
わたしは好きだ。

子どもたちにも
お葬式は明るくてきれいなもの
というイメージが
残っているらしい。

長男がまだ小さかった頃に…

わたしの祖父のお葬式で
きれいなお花がいっぱいだったのが
とても印象に残ったようで。
その後、
親戚の結婚式に行ったときに、
シックなお花で
オシャレに飾り付けられている
披露宴会場を見て
喜んだ長男が、
「うわぁ、きれい!お葬式みたいだね!!」
という感想を大きな声で述べ、
わたしは冷や汗をかいたのを
よく覚えている…。



さて
話を戻して…

恩師のお葬式へ行ってきた夫。
おみやげをいただいて帰ってきた。

聖書の言葉がプリントされたクッキーと、
聖書の言葉が印刷されたノート。

クッキーは
ちょっと
何書いてあるのか読みにくかったけど
おいしかった。

そしてノートは
恩師の思い出を手元に残しておくために
よい記念になったと思う。


このノートの後ろには、
「Footprints」(あしあと)
という文章が載っていた。

Footprintsというこの詩は
キリスト教界隈ではけっこう有名で、
中高大とミッションスクールに通ったわたしには
すっかりおなじみのものだ。


夫や子どもたちは
初めて読んだらしい。

わたしは
初めてこの詩を読んだとき
衝撃を受けて、
もう一度読みたくて、
キリスト教関連グッズを売ってるお店へ行き
この詩がプリントされている
美しいカードを買ったくらいだ。

最後の一行でガツンとくる感じが、
すごくよくできた
ショート・ショートみたい
(クリスチャンの皆様ごめんなさい)
って思う。

時を経て
またここで出会うとは!!



わたしがカードを買ったときには
作者不詳だった気がするが…
ちゃんと作者がいたようだ。

「主」っていうのは
イエス・キリストのこと。
キリスト教にあまり触れたことのない人には
違和感あるかもしれない。

わたしは
クリスチャンではないが、
信者じゃなくても
いい話だなぁと思うので
ここに引用してみることにする。

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

マーガレット・F・パワーズ 


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