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ホームシックになったお話し

2023年の4月、
大学の入学式と引っ越しの手伝いのために最初の一週間を一緒にいてくれた母とも淡々としたお別れを東京駅で告げ、私の念願の一人暮らしを始めた。一人でカフェに行くことも映画に行くことも好きだった私にとって念願の一人暮らし、楽しみで仕方なかった。

別れを告げた足で私は大学に向かい新入生オリエンテーションの最終日を過ごした。友達もでき明るい大学生活のスタートに心が躍っていた。

次の日の金曜日、そして土日と学校はなく、月曜日の授業開始日まで私には時間がたっぷりとあった。広島から上京した私には東京は刺激の多い場所だったため、せっかくの時間で都内を散策しようと意気込んで、金曜日は朝から新宿のルミネで可愛い洋服を見たりインスタで見つけたカフェに入ったりと充実した1日を過ごした。土曜日は住んでいた三鷹のアパートの近所を歩き回った。一人暮らしの最高の幕開けと思いながら翌日の予定を立てようと携帯を開いた時、私に急に寂しさが襲ってきた。

母が帰ってからかれこれ2日以上私は誰とも話さず過ごしてきた。楽しいと思う瞬間も話も誰とも共有することなく1日を終えていたのであった。涙が溢れてきて声を抑えることができないほど号泣した。自分でも戸惑うほど体が震えながら涙が出て、疲れ果てたのだろう。いつ寝落ちしたかも覚えていない。日曜日は結局昼過ぎに起きたため、スーパーに食材を買いに行くだけに外出した。

それから月曜日、本格的に大学での授業が開始した。私は言語を含め何も必修の授業がない大学に在籍していたため、固定の授業メンバーなどはおらず、人見知りな私は誰にも話しかけることができず1日目を終えた。昼食はオリエンテーションで仲良くなった友達と食べたが、それも二週間もすれば終わった。サークルも入ってみたもののいわゆる"ゆるサー"で毎度練習のたびに顔ぶりが変わった。大学内には一人で過ごす人なんて珍しくないため、単独行動が好きだった私は平気だと思っていたが、孤独とはこんなにも寂しいものなのかと初めて実感した4月、私の大学生活は夢見たものとは反対の孤独な日々となった。アパートに帰宅しては静かな空間を見渡して泣いた。前触れもなく、ある時間を過ぎると毎日涙が溢れる。

どこか恥ずかしくて家族にも一度も電話せず5月を迎えたその日、上京して初めて家族と電話した。日米の大学に併願していた私は東京での大学生活を始めたばかりだったものの、進路についてまだ考える必要があった。電話は最終的な進学先を決定するためのものであった。正解が分からず悩んでいる上にホームシックが重なり、私はまともに喋れなかった。泣いてばかりで話は進まない。ここで私の異変に家族は気付いたのだろう、帰る予定のなかったゴールデンウィークに帰省することになった。

約1ヶ月ぶりの広島、そして家族は今まで感じたことがないくらい温かかった。リビングを包む会話の声に食卓を囲む笑顔。夕飯がすむと各々の部屋に戻り、少ししたら見たい番組のためにソファーに集まる。何気ない日常だった当時が戻ってきたみたいで愛おしかった。

この時に私は気付いた。私は一人で過ごす時間が好きだが、それはいつも周りに家族や友人がいてくれたからであって選択していたことで、決して一匹狼なんていう状態ではなかったということ。ゴールデンウィークはあっという間に過ぎ、東京での授業が再開した。

それからということ、私は毎晩机に夕飯を用意しては家族にビデオ通話をして夏休みの帰省まで東京での生活を続けた。もう寂しいと伝える恥ずかしさなんて忘れた。それでも涙が溢れそうな時は学校のカウンセリングセンターに行った。誰かに話を聞いてもらえるだけで私はいつの間にか落ち着いて行った。カウンセリングだって今までは重度の悩みがある人が受けるものだと思っていたがそうではなかった。ホームシックの克服方法は人それぞれ。私の経験も誰かの参考になれば嬉しい、と思いこのノートを書くことにした。

一人だから気づけたこと、そして成長できた去年の春。まさか私がホームシックになるなんて想像もつかなかった。けれど家族の大切さを本当の意味で感じれることができた。

これがわたしの上京のはなし。


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