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ヒプノセラピストとして活動していた頃②

こんにちは、神戸つぶつぶ料理教室くまベジキッチンの熊倉です。

前回の続きになります。

結婚に伴い、会社員を辞めて関西に引っ越し。求職活動をしましたが、ちょうどリーマンショックのため希望の職が見つからず

何か、興味あることを勉強しようと思いヒプノセラピーで検索して1つのサロンを見つけました。

そこでは、インナーチャイルドセラピーやクリスタルヒーリングをやっていて、セラピスト養成講座もあったので

まずは施術を受けてみることに、、、

インナーチャイルドセラピーを受けたのですが、前世療法よりも凄まじい自分の内側の声が出てきました。

ずっと蓋をして、真面目に、良い子で、社会的に適合するように生きるため「我慢」をしていたようです。

この頃からでしょうか
予定は全て詰まっていないといやだったのが、ゆとりを持てるようになりました。

更に自分の変化を感じて
セラピスト養成講座を受けて
セッションを受けるのと並行していたので、かなり感情の手放しを行ったように思います。

養成講座を終えて、セラピストとしてそのサロンで働くようになりました。

この頃
私は自分の中に親や社会の物差しがあり、常にそれで物事や自分をジャッジしていました。

親元を離れているのに、親に認められたいという思いが強くて、そこの手放しに注力していた時期でもあります。

手放せたと思っていたら、親からセラピーを教えてくれていた先生へと対象が変わっただけだったり

お互いに学びがあり、鏡だったと思うのですが、師弟関係だったのがどんどん信頼できなくなり最後は修復不可能なくらいまで拗れてしまいました。テーマとしては、「アダルトチルドレン」「ドラマ三角形」

私、先生、同僚の3人で
「迫害者」「被害者」「救援者」の役割を演じて、どんどんと人間関係が崩れていったのです。

当時はかなりキツかったですが、振り返ってみるとその向き合いは必然であったと思います。その頃ことは随分引きずっていましたが、つぶつぶ料理を始めて暫くした頃に、昇華していることにきがつきました。

セラピストとしての活動時に感じたのは、前世療法もインナーチャイルドもやればやるほど色々と出てきます。

自分との向き合いのきっかけや、我慢しきれなくなった感情を出すのには良かったのですが、満たされない感覚や変化しきれない自分を責めたり、このままセラピーを受けても泣いてスッキリすることはあるけれど

抱えていた虚に変化はないのだろうと思いました。

先生とも拗れていたし、「三角ドラマ」から抜け出すには、舞台を下りるしかないので
この状況を打破したい私はサロンを辞めることに決めました。

勉強期間も含め、2年以上はヒプノセラピーに携わることをしていたと思いますが、ここでスッパリと決めたのです

そうすると、今度は次の出会いと展開が待っていました。

次は、「エネルギーワーカーとしての活動編」になります〜☺




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