見出し画像

ファーストペンギンの実際

氷の大地に立つペンギンの群れ。その中から一羽が今、海に飛び込もうかどうしようかふちでソワソワしている。他のペンギンたちは、固唾かたずを呑んで見守る。なぜなら、そこには未知の危険が潜んでいるかもしれないからだ。このペンギンが無事なら、他のペンギンたちも安心して海に飛び込める。しかし、捕食者が現れ餌食となる事もある。

これが「ファーストペンギン」新しいことに挑戦する先駆者を指す言葉として使われている。

しかし、ファーストペンギンというのは、リーダーのように常に同じメンツが飛び込んでいるのだろうか?

イノベーションには先駆者が必要だ。歴史を振り返れば、多くの偉大な発見や発明の裏には、リスクを恐れずに挑戦した人々がいる。
一方で、例えば、ふぐを最初に食べた人を想像してみよう。それは、命がけの挑戦だったかもしれないし、毒があると知らずに食べて、不本意な死を遂げたファーストペンギンだった可能性もある。

このように、ファーストペンギンになることには、大きな代償が伴う。失敗のリスクは高く、時には取り返しのつかない結果を招くこともある。

だから、すべての人がファーストペンギンになる必要はない。むしろ、それぞれの状況に応じ、先頭か否かに限らず、慎重に判断することが重要だ。

ファーストレミング

げっ歯類しるい「レミングの死の行進」というものが存在する。実際そのような事実はないとされるが、レミングの群れが時に、海に飛び込んで集団自殺をする。ファーストペンギンの失敗版として考えるには、わかりやすい例えだと思っている。
要は、ファーストペンギンが、みんなを危険に導くというケースは実社会でも起こりうる。

企業やプロジェクトにおいて、強いリーダシップで持って失敗に導くという事は、まあそれなりにある得る事だと思う。場合によっては、いくつかの戦争はそのようなストーリーで語られるものもある。

本当に必要なファーストペンギンとは

社会や技術の進歩に不可欠な挑戦。しかしそれは、単なる無謀な冒険であってはならない。多くの生き物は、学習によって、リスクを回避し、積み重ねや継続によって、成長を遂げてきた。だから、なにか新しい事を始める場合であっても、十分な準備と計算されたリスクテイクが求められる。

ファーストペンギンの精神は尊重されるべきだが、それを無条件に称賛するのは危険である。
リアルな例として、エベレスト登山では、昨年は、死者12人、5人行方不明だそうである。しばらく前になるが、風船おじさんと呼ばれる大きな風船を合わせて太平洋を横断しようとし、行方不明になるなど、冒険的なものでの死者や行方不明となる例は数多く存在する。

個別の案件を評価するのはなかなか難しいが、失敗から考えるファーストペンギンは、もう少し慎重にすすめれば、そうはならかったものも少なからずある。

そんなふうに、世の中には、検証が雑なのになぜか、あたかも正しい事のように謳われているようなファーストペンギンの例をひとつ上げてみようと思う。

エスカレーターの歩くな止まろう運動なんかが、私はそのひとつだと思う。
エスカレーター片開けというのは、世界的にそれなりに時間をかけ広まった風習である。

「片開けによって事故が増えている」もしくは「片開けを禁止する事で事故が減った」という統計学的数値もないのに、どこかの鉄道会社が勝手に始め、それを知った人がなにを思ったか、歩行ブロックを実践して、どつかれ危険な目にあったという、普通に考えればどうなるか、想像できるだろうと思うが、そんな勘違い正義マンまで出てきている。

そもそもの間違いだと思うのは、他人への行動を促す(他人への行動変容をもたらすには、それなりに時間と強力な説得や対話を要するものである)アプローチが非常に雑であるという点について。
世界で行われてる事であれば、具体的な調査を行い、それを覆すことによるメリットを世界に示し、そのためのプロセスも明確にした上で、実施すべきかと思うが、そのステップなしに、条例化しちゃった自治体すらある。実際最近起きた、エスカレータ転倒巻き込み死亡事故は、それとは関係なく、エスカレーターの仕様及び、使用方法の問題だったと見られている。

この事故を防ぐには、転倒時に自動検知するシステムを入れていればよかったのかもしれないし、手押し車を検知して、補助者をつけるとか、エスカレータ以外の手段を利用してもらえばよかったのかもしれない。
ともかく、本来行うべき対策が、謎のファーストペンギン活動にあてられ、本来行うべき対応がとられていない、という点において、エスカレーターの歩くな運動は、誤ったファーストペンギン事案だと思っている。現にそれらによってもたらされたのは、歩かずにスマホを見ている、逆に危なっかしい利用者の増加、それにより、潜在的リスクを増加させたという事実である。

セカンドペンギン

とはいうものの、本来のファーストペンギンというのは、非常に重要な存在だと思っている。それと同じくして、セカンドペンギンも重要である。
いくらファーストペンギンがいても、その後に続かなければ、イノベーションにせよムーブメントにせよ、広がらないし、その意味で一つの事例が多(複数)になる瞬間というのは、非常に貴重なものだと言える。

逆に言えば、セカンドペンギンもファーストペンギンと同様に責任重大な役割を担っていると考えることができる。

それが故、セカンドペンギンはファーストペンギンに続いて、なにも考えずただ追随すればよいのではなく、真に価値のある挑戦を見極める目と、それ以降に続くかもしれない、多くの仲間の将来について、幅広く考え、道徳的にも正しいフォローを行う事も重要なのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?