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iPadのCMと日本人

iPadの「楽器やテレビなどが潰されるCM」に批判をうけてアップルが謝罪した。
Xなどのコメントをみると、特に日本で批判されていたように思う。
これは、日本の文化や、日本人のマインドによるところが大きいと思っている。
多くの場合の「日本」や「日本人」で始まる話は、主語のでかい話に思える。しかし、これに関しては、それなりに具体的例もある内容だと思っている。

もし、このCMが、既存の製品(あるいはカルチャー)をぶっ潰して、新たな製品を作ったという意図を込め、作っちゃったのであれば、アメリカンな感じはするし、日本人的なマインド抜きにしても、既存のメイカーやそれを使ってきた人々への配慮が足らないじゃないか?とは思う。

日本のモノに対するカルチャーというのは、妖怪ふくめ、さまざまなモノが擬人化されていたり、アニメのように非実在のものが、あらゆる場所で、店頭に並べられている現状からして、日本は、モノと生き物との境界が他国に比べて曖昧であるというのは、我々も自認している所だと思う。

モノに魂が宿る的なアニミズム的な考えは、日本だけのものではないが、文化的に日本に存在する傾向として、それを再認識する出来事として、このCMの話題は興味深い出来事となった。

1億2千万人がこの狭い日本国土に畑や道路、居住地として使用、既存のいきものたちを排除。さらに海外からも資源をわんさか購入しといて、今更、モノが大切だと説いたところで、そこにどんだけの説得力があるかは不明だ。それでも、モノは大事だと説く意義や必要性はいくつかある。

今後AIが発達し、生き物、モノ、人との区別は、さらに曖昧になっていくだろう。それが正しいかどうかはわからない。それでも、今の私はそれを是としている。

限りある資源を、増加する世界人口でもって、有効に活用するためには、衣、食、住、どれを取ってっも、大事にするマインドは重要だと思う。

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