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手数料について考える

クーポン発行の手数料という政治ネタを見て、あんまりそれとは関係ないのだが、そもそも手数料とはなんなのか、考えてみた。

まず「手数料」というキーワードで検索してみると、銀行などの手数料などが上位に表示される。

銀行での窓口手数料が値上がりしたのは、以前だったら他で融資とかしている分の金利で潤っていたのが、金利が下がった事で、リッチじゃなくなったって事なんだろう。

窓口手数料はともかく、ネットバンクなどでもう少し効率化をすすめていけば、銀行のネット経由での振込手数料はもう少し下げてよいのかと思うが、銀行というのは堅実な業態という古い概念から、なかなかDXが進んでないのかと思う。

銀行のインターネットシステムを使うと、たしかに他のサービスに比べると少しセキュリティ面には気を配っているけど、旧態依然のシステムのまま稼働させてるんだろうなと感じさせる部分も多々ある。

手数料とは

wikiぺディアによると「手続きや仲介などの際に授受する金銭のこと。」と書いてある。

そういう意味で考えると、大半の商品やサービスの本質は手数料なのかと思う。

例えばリンゴをひとつスーパーで購入したとしよう。

販売価格200円のリンゴだとして、スーパーでは、例えば市場を通して150円で購入していて、それを200円で販売する。50円の内訳ををもう少し分解すると、その分から、地代やら、人件費、広告費、その他、もろもろの諸経費を捻出するわけだが、まあそれも大雑把に言えば手数料なのかと思う。(税金については今回はスルーする。)

例えば、人件費というのはその人の労力として賃金が支払われるものがベースになるので、手数料のイメージにはかなり近い。

広告費はどうだろう、広告会社を通じてチラシを印刷したり、配布したり、宣伝してもらう。それも多くは手数料のイメージで合致する。

ただし地代というのは、そのスペースを使用する権利の売買なので、ここに関しては「手数料」というよりは使用権の売買なのかと思う。

ふたたび話をりんごに戻す。市場でスーパーが売られる前はどうなっているかというと、農園で収穫されたリンゴが市場に運ばれる。

細かくはもう少し細かい工程があるのだろうが、収穫、仕分け、箱詰め、運搬などなど、これも多くは手数を要した部分での工数がかかっている。

運搬に関しては今値上がりが話題の「ガソリン代」なども含まれる。これはたしかに資源だから、大元はなんらかの利権であり、使用権の売買なのかもしれない。しかし一度それが、元売りの手に渡ってしまえば、あとは手数料なのかと思う。

ガソリンといっても、実際には地面からそのままでてくるわけではなく、もともとは石油という黒いどろどろした液体のイメージのやつである。

それを科学できな工程を経て、ガソリンやら灯油になるわけで、それらの工程は工場だったとしても、人々が動かしている。

ふたたび話をリンゴにもどす。

リンゴの栽培に必要なのは、農地ではあるが、そこでも地代は発生しているが、結局のところ育てるのは「人の手間」なのかと思う。

手数料の未来

話はいきなりまとめに入るのだが、

結局のところ世界で回っているお金というのは、細かく見れば、いろいろ分解できるが「手数料」「地代(権利)」で回っている部分が大きい。

だから、この手間をもっと減らす事で、より多くの人が、同じものでももっと安く手に入るようになる。同じものがもっと安くなると、いままで富のヒエラヒーの上部しか手にできなかったモノや、コトが少しずつ世界の全体に行き渡るようになる。

では、どうしたら手間を減らせるかというと、既存の叡智はもとより、さらなる工夫であったり、デジタル化によって手間はどんどん省力化できる。その他テクノロジーが助けてくれる事もある。

間違えていけないのは、手間を工夫で減らすのは良いが、労働を搾取したり、盗む事で手数料を省いてはならない。

つまり、手間はそのままで、手数料を省こうというのは、ただの搾取である。

手間を減らすのには、いままでわざわざ人に対応してもらっていた部分を、プログラムや機械を活用する事もひとつだが、人が新たな仕組みに対応するというのもある。

以前だと、鉄道の改札は人が大勢並んでいて、切符を切っていたというと、今の若い人はピンとこないかもしれない。それが自動改札になり、機械が切符を切るようになったがそれだと、切符がよく機械につまって、修理する人がよく稼働している。

それが非接触ICになり、人々がその仕組みに対応し、既存の切符をある程度廃止できるところまで来るとようやく、切符詰まりとおさらばできる事になる。

もちろん、電子部品の故障や交換なども、たまにはあるだろうが、従来のそれに比べるとだいぶ進歩している。

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