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自分の正義感が嫌いだ

同期が辞めた。
とってもスピード感があって、一瞬の出来事だったように感じる。
一致団結すると強力なパワーになることをこんな場面で感じるなんて思っていなかった。

みんなが1人に対して同じような気持ちを持っていることが飲み会で発覚。みんながみんな、同じひとつのことをストレスに感じていた。
そうと分かったら、みんな言いたい放題だし、上司も公的に動き始めて、そしたらもう一瞬。
次の日には来なくなって、意味のわからない仕事だけが残った。

確かに私も大きなストレスを感じていて、疲れていたし、嫌な気持ちを抱えていた。だけど、一気に全員が特定の人を悪くいうことが許されたような空気も、なんだか心が苦しかった。1人でできないことでも仲間がいれば許される。その空気感が気持ちが悪かった。

人間の弱さを感じた。
必要以上に執着している感じも、「嫌い」という感情との矛盾を感じて、不思議だった。
嫌いなら放っておけばいいのに。
公的に事が進むなら任せればいいのに。
私的な感情を持ち込むことが許されるなら、同期の過ちも許されてしまうような気がする。

こう思う自分が嫌いだ。
正義感なのか分からないけど、こんなこと考えたくもないのに、いつも一歩引いて、客観的にいてしまう。自分だってその場にいるくせにね。

人を人として見ていない社会。
1つの駒、働き蟻。結果が全てで、全てを数字に落として考える。行動量、工数、もちろん結果も。いらないものは徹底的排除。やっぱり見えるものが全て(見えないものを可視化する事は時間がかかって非効率的だし平等ではないのかも。良くも悪くも感じ方は人それぞれだから)。

考え方によってはある意味楽だけど、残酷な世界だなあ。だからいつまでも学歴、職歴とかの指標って残り続けるんだろうなと思ったり。

まだ寒かった時期に退職の意を伝えていた私の気持ちは揉み消され、先を越されたというのも1つ思うところ。
今に苦を感じないけど、これに慣れたら私が大事にしていたい心がなくなってしまいそうで怖いよ。

今は頑張り時な気がするからとりあえずやる。
考え過ぎずに、仕事は仕事。
オンオフを大事に、休日も全力で楽しむ。

ヨガの体験いこーっと🧘

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