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【小説】市松人形 #2000字のホラー

 娘が小学3年生に上がった頃、学校帰りに拾ったと言って連れて帰ったのは犬でも猫でもなく、古い小ぶりの市松人形だった。

 私は小さい頃から人形と名のつくものはとんと苦手だった。
 娘には申し訳ないと思いつつ、お世話人形のメルちゃんや人形ごっこでよく使われるリカちゃんなどは与えてこなかったのもそういった背景がある。

 だから「ママ、捨てられてて可哀そうだから連れて帰っちゃった」と人形を手渡されたとき、私は小さな悲鳴をあげて手を引っ込めてしまった。

 その古い市松人形はお世辞にも可愛いといえるものではなく、髪は艶が無くボサボサと乱れ、身につけている着物も色褪せところどころほつれもあり、表情は暗く不気味であった。

 これは俗に言う「呪われた人形」ではないだろうか。私は思わず浮かんでしまったそのキーワードに勝手に身震いする。

「ママ、私この子の名前を決めたの。お口がちっちゃくて可愛いでしょ? だから『ちーちゃん』にするの」


 ちーちゃんは娘の手によって「不気味な人形」から「少し不気味な人形」にまで変貌を遂げた。髪を毎日といてあげ、着物を脱がして娘が手作りした布をまとい、和洋が混ざり合った格好をしている。顔や手足の汚れは丁寧に拭いたので、今はすべすべの綺麗な肌を見せていた。

 よく「髪が伸びる」や「涙を流す」、「口元が笑ってくる」などの怪談話で取り上げられる市松人形だったが、我が家のちーちゃんはそのようなことは一切なかった。

 しかし、ひとつだけ不思議なことが何度か起こってもいた。
 ちーちゃんはよく、娘のランドセルに入りこんでいたのだ。

 あまりにも頻発するため、学校から何度か注意を受けた。しかし娘は「私は入れてない」と頑なに否定する。では一体誰が娘のランドセルにちーちゃんを入れているのか。

 夫はもちろん入れていないと言う。ひとりっ子である娘のほかに入れる人はいない。ペットも飼っていないし、家族以外の誰かが我が家を出入りすることもない。娘の友達が遊びに来ることもたまにだったし、どちらかといえばその友達はちーちゃんを怖がっていた。

 我が家では少し問題になる内容だったため、頭を抱えてみんなで考え込んだ。ちーちゃんがランドセルに紛れ込まないためにはどうすればいいのか。

 すると娘は家族会議が行われていたリビングの机の上にちーちゃんを連れてきて、そっと座らせた。

「ちーちゃん、私のランドセルに勝手に入ってる? もしそうなら、私が先生に怒られちゃうの。だからお家で待っててくれる?」と娘は神妙な面持ちで語りかける。

 本当に不思議なのだが、ちーちゃんはその日以降娘のランドセルに紛れることがパッタリと無くなってしまった。娘は「ちーちゃんは偉い子!」と褒め称えたが、私はちーちゃんに対してほんのり恐怖心を抱くことになる。

 ちーちゃんは真っ黒な瞳をこちらに向けたまま、微笑を浮かべていた。


 娘が中学生になったある日、パートを終え帰宅した私の耳に微かな音が聞こえた。2階にある娘の部屋からだ。カタンと何かが落ちたような音だった。

 私は買い物袋をキッチンまで運び、階段までの道すがら畳み終わった洗濯ものを手に娘の部屋まで向かう。2階まで上がり終えると、一番手前にある娘の部屋のドアを開けた。

 娘はほどよく片付けていたが、床には脱ぎ捨てられた服や本や美容グッズが散らばったままだ。これでは何が落ちたのか見当がつかなかった。
 ひとまず洗濯物をクローゼットに片付けると、簡単に床を片付けた。服はハンガーにかけてクローゼットに、本は本棚に、美容グッズは背の低い横長チェストの上に、そして――

 おかしい、ちーちゃんが居ない。

 いつもはチェストの上、今置いた美容グッズと共に並んで置かれていた。それが見当たらない。

 一瞬、また娘の鞄に入って一緒に学校へ行ってしまったかと危惧したが、この4年間大人しく家で待っていたちーちゃんが急に行動を起こすとは思えなかった。

 嫌な予感がした。何かが起こるかもしれないという予感が。


 1時間後、いつもよりだいぶ遅い時間に娘が帰宅した。

 塾までの時間が迫っていたので私はイライラと共にハラハラしていたが、下校時刻を30分ほど過ぎた辺りでさすがにおかしいと思い、どこかで事故に遭ったのではないか、誰かに連れ去られたのではないかと気が気じゃなく何度も家を飛び出しては周辺をウロウロと彷徨った。

 運よく玄関先で娘と鉢合わせたが、そのとき娘は身体を震わせながら鞄をギュッと握りしめていた。顔色も青ざめている。

 塾には休む連絡を入れ、娘をリビングにあるソファーに座らせ落ち着かせる。ホットココアを何度か口に運んだあと、ようやっと娘が口を開いた。


「学校の帰りに変な人に声をかけられたの。走って逃げたけど追いつかれて腕を掴まれて……怖くて声も出せなくてどうしたらいいのかわからなかったの。そしたら、私が持ってた鞄が地面に落ちて……ちーちゃんが鞄から出てきて……」

 持って行ったはずのないちーちゃんが、何故か娘の鞄に入っていた。学校で見た時は確かに入っていなかったはずだと娘は言う。

 男と揉み合いになった娘。その際、地面に落ちた通学鞄からちーちゃんが出てきたのだ。転がり出たのではない。言葉通り、鞄から「這い出てきた」という。


「その男の人、叫びながら逃げていったの。本当に、ちーちゃんが居なかったら私どうなっていたか……ちーちゃんは私を守ってくれたのね。小学校のときから、いつも私を見守ってくれていたのね」


 開かれた娘の鞄には、やはり真っ黒な瞳でこちらを見つめるちーちゃんが居た。いつもと変わらない微笑を浮かべて。





#2000字のホラー