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【小説】素敵な靴

『素敵な靴 売ります』
 寂れた商店街の隅。それはボロボロになった白画用紙に、黒のマジックで走り書きされていた。

 仕事で外回りをしている中、真夏の太陽は天中高くに留まり、俺を見て高らかに笑っているようだ。
 あまりの暑さに、俺の身体は体温を下げようと必死に汗を搾り出す。
 額と首筋からは拭っても拭っても汗が噴き出し、時折吹く風に歓喜の叫びをあげていた。

 暑い……喉が渇く……

 日陰を求めて商店街へと入り込んだ俺は、その奇妙な露店を見つけたのだ。
 赤い、長方形のフェルト生地に似た布の上に、何足もの靴たちがお行儀よく整列をしている。だが、どれもこれも古びてくたびれた物ばかりだ。

 素敵な靴だって? 一体どこにそんなものがあるんだ。そもそも、いくら売り物に自信があったとしても、普通そんなこと書くか? 変な店だな……


「いらっしゃいませ……」


 びくりと肩を震わせ驚いた。店主の姿が見当たらないと思っていた矢先、後ろからしわがれた男の声が聞こえてきたのだ。

 もしも振り向いて人が立っていなければ、俺は間違いなく幽霊の声を聞いたと勘違いしただろう。それほどまでに低く、か細い声だった。

 声の主――この店の主人は俺のすぐ後ろに立っていた。いや、佇んでいたといった方が正しい。影を背負ってぴくりとも動かない。さながら、出来の悪い彫像のようだ。

 この暑い中、色あせた茶色のロングコートを着込んだ男。頭髪は白一色。艶感は全くなく、ボサボサとして頭が必要以上に大きく見える。鎖骨まで伸びた毛先は、ここからでも枝毛を五本も見つけられるほど痛んでいた。


「どのような靴をお求めでしょうか……」
「や、俺客じゃないんで」


 言ってる傍から男は自らの痩せ細った手で、一足のくすんだ黒い革靴を手に取った。


「お客様にはこちらがお似合いでしょう……」
「いや、だから俺客じゃねぇし」
「三万円になります……」
「はぁ!? こんなボロい靴が三万もすんの? 高けーなおい」
「『素敵な靴』ですので……それほどの価値はあるかと……」
「あっそ。でも俺は」
「三万円になります……」


 有無を言わさぬ乱暴な押し売りに、俺はかなり腹が立った。が。

 素敵な靴、か……

 そう言われて、ちょっと気になる俺も俺なのか?
 こんなボロい靴に、一体どんな素敵なことが隠されてるっていうんだ?

 ちょうど、昨日スロットで五万プラスだったしな……話のネタに、ちょっと買ってみるか。何かあったら、クレームを付けて返せばいい。こんな店主だ。こっちが強気で押せばいけるだろう。


「ちっ。いいよいいよ。どうせこんな所じゃ商売あがったりなんだろ? 買ってやるよ」
「お買い上げありがとうございます……」


 こうして俺は奇妙な店から『素敵な靴』を購入。
 どう素敵なのかは履いてみれば分かると言った。何か含みのある言い方だったのが気になるのだが……


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 暑さに耐えきれず、俺は近くの公園に向かった。
 公園の中央には涼しげな音を立てながら水を散らす噴水がある。その傍らにベンチがいくつか。

 この時間、この暑い中で昼食をとる者は少ない。案の定、俺と同じ人生を歩んでいるようなサラリーマンが一人、日陰になったベンチに寝転がっているだけだった。

 途中で立ち寄ったコンビニで水を買い、それを一気飲みする。そうしておもむろにベンチへ腰を下ろした。

 日陰となったそこは、風向きによっては噴水の水しぶきが飛んでくる。こういった日には特等席となるベンチだ。

 さて、と。

 使い回しているのだろう。某百貨店のビニール袋に、先ほど購入した靴は無造作に放り込まれていた。

 俺はそっと取り出すと、一通りその靴を確認した。

 特に変わったところはない。強いて言えば、かかとが擦り減っている気がする。やっぱり騙されたか?

 いやいや。まず履いてみないことには始まらないだろう。

 俺は足に馴染んだ茶色の革靴を脱ぐと、手に持った黒の革靴に履き直した。


 ……

 …………

 何も起こらない。


 立ち上がって数歩、干上がった地面を踏みしめるように歩いてみた。だが、やはり何も起こらない。
 俺は視線を落として、そのくすんでくたびれた靴を睨みつけた。
 どこが『素敵』なんだ? ただの使い古しの靴じゃないか。三万も出した自分を今更ながらに呪う。

 奥歯を噛み締め、返品しに行こうと踵を返したその時――


 ?

 足が<もぞもぞ>と違和感を覚えた。
 俺は視線を落として、あっと小さく叫び声をあげた。

 靴の側面に、白い羽が生えていたのだ。

 それは必死に羽ばたこうと、自身の白い羽をばたつかせていた。
 そんなに小さな羽では、俺の全体重を持ち上げることは不可能なのだろう。それでも渾身の力を振り絞って、大空へと飛び立とうともがいていた。

『素敵な靴』

 そうか、この靴には羽が生えるのだ。そうして、空を飛べるというのだ。なんて素敵な靴なんだ!

 ただ、どうあがいても一ミリたりとも浮かびそうにない。俺、そんなに重いのか……?
 さすがに可哀相に思えてきた。
 俺は再び、傍らのベンチに腰を下ろした。靴に少し休憩してもらう為だ。
 すると。


 靴は急に体重が軽くなったことに驚く間もなく。
 小さな羽を精一杯広げて。
 あの広大な青空に向かって。
 羽を羽ばたかせたのだ。
 俺の足から逃れるように――


 その靴はどんな鳥よりも力強い羽ばたきで大空を飛んでいった。
 俺の三万が飛んでいった……




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