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#12【HSP】私が適応障害になったときの3つのサイン

もともとHSPの私は、適応障害と診断されたことがある。寛解した今、振り返ってみると、兆候があったにも関わらず見て見ぬ振りをしていた。ここでは、私の経験を踏まえて適応障害のサインを紹介し、この記事を見つけてくださった頑張っている皆様の体調を振り返る一助となれば、と思う。

1.周りの音が気になって、仕事に集中できない

当時の私は、営業部門の平社員だった。フロアはフリーアドレスではなく、固定席で、隣や正面に同僚がいるような環境だ。もともとHSPの私は、特に音に敏感で、誰かの話し声や工事の音がかなり気になる方だった。入社して3年目ということもあり、後輩の育成や通常の仕事量も増えていて、打ち合わせ、差し込みの依頼、お客様からの不満、関係者からの要望、周りからの助言、近づく同僚の足音と、私を取り巻く「音」は確実に増えていった。周りからの声の中には、「エースだから」「期待している」など、気遣ってくれるものもあった。でも、いつ、どんな「音」があるかわからない。叱責の「音」だったらどうしよう。「エース」と言われたのだから、それに見合う働きをしなければ。「音」がうるさいから集中できないなどと思うことすら罪だ。そんなことを考えながら、自分の目の前の資料作成に取り組めるほど、器用ではなかった。

気づけば、自分のやらなければならないことは一つも進まず、毎日残業。涼しい顔をして帰る同僚を見送って、自分の仕事に取り掛かるような、そんな毎日だった。当時の私は、どうして集中しないのか、どんな環境でもパフォーマンスを出せないと失格だ、とできない自分を責めることばかりしていた。もちろん、一時的な鼓舞の範囲であれば有効な手段かもしれないが、必要以上に自分を責めることは逆効果だ。

集中できない必要以上に自分を責めていないか

2.好き/得意だったことに興味が湧かない

私は料理が好きだ。人前で振る舞うほどではないが、好きこそものの上手なれ、といったことわざにあるように、自分ひとりを満足させるくらいには上手いほうだと思う。しかし、適応障害と診断される前後は、料理をすることで失敗をすることが増えた。なぜか。不安が止まらず、料理自体に全く集中できなかったのだ。そうやってできた手料理は美味しくもなく。それまで日々の活力だった「お弁当作り」にもやる気になれず。「お弁当作りができる」ということでなんとか日々の生活とバランスを取っていたように思う。それが、小さなきっかけでバランスが崩れてしまったのだ。

これまで、好きだったことで失敗が続いたら注意

3.会社への出勤前、退社後に涙が止まらない

本格的に自分の異常を自覚してきた段階で、この症状が出始めた。出社前や退社後に涙が止まらなくなったのだ。当時の気持ちは、不安と恐怖と絶望。目の前の業務で失敗しているわけではないのに、先行きに少し課題が出てきた、というくらいで不安が止まらず、解決に向けての手立てが見えなければ恐怖で、文字通り夜も眠れなくなった。いつまでこんな思いを続けるのか、という警告の声もあった。しかし、仕事に行かなければ同僚に迷惑をかけてしまう、常に後輩のお手本でいなければ、早く一人前にならなければ、他の人は涼しい顔して乗り越えられる程度の苦しみなのだ、こんなところで躓く私は会社にも家族にも見捨てられてしまう。業務に対する不安や恐怖の声が、せっかく心が絞り出していた警告の声をかき消してしまっていた。

涙は、身体が警告している大きなサインである。これが出始めた時点で、有給休暇をとる、精神科に行くなどの対処をとるべきだ。当時の私は、このサインすら軽視して働き続けた結果、自席に座るだけでも涙が出てくるようになっていた。

振り返ってみると、1年目のときの仕事の失敗経験をフラッシュバックしていたり、当時の恋人との関係がうまくいっていなかったこと、家族に相談しても一時的な弱音と判断されて「もう少し頑張れ」と言われたことなど、様々な事情が重なっていたように思う。きっかけは仕事だっただけで、バランスを崩した要因はいくつもあったのだ。

涙は身体が出してくれた貴重なサイン。どうか見逃さないで。

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