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映画に奥行きをあたえる、ある映画館のこと

先日訪れたミニシアターのことについて書きます。

北九州の台所、旦過市場からほど近くにある小倉昭和館。戦前から存在し、現在3代目の館長が切り盛りをしています。この映画館では、数ヶ月前に上映された2作品を組み合わせて、1回1200円で鑑賞できます。

私が鑑賞したのは次の2作品です。

『ギフト 僕がきみに残せるもの』

難病ALSを宣告された元アメリカン・フットボールのスター選手。やがて生まれてくる息子のために彼がはじめたこと。(チラシより引用)

生まれてきた息子にリバース(Rivers)と名付けます。その理由を語る場面が彼という存在を物語っているように感じました。「川は火の源流だと思うんだ。火を燃やすためには木がいる。木が育つためには川がいる。もし俺が火なら、君は川なんだ」と。父親として、我が子を心底愛していることが伝わってくる言葉です。ちなみに、フットボール選手としての功績を称える像が設置される際、そこには“Rebirth“(リバース)と刻印されていました。「復活」という意味。まったく別物の言葉で発音も異なりますが、‘Rivers Rebirth’と記憶に残っています。

『娘は戦場で生まれた』

“サマ“のためにーーーいまだ解決をみない未曾有の戦地シリア。死と隣り合わせの中で、母はカメラを回し続ける。愛する人々の生きた証を残すため、すべては娘(あなた)のために。いま全世界に伝えたい緊迫のドキュメンタリー!(チラシより引用)

激戦地アレッポの病院に担ぎ込まれる妊婦。懸命の処置をする医師。赤ん坊を取り上げるも産声がない。母親もぐったりとしている。医師は生まれてきたばかりの赤ん坊を叩いたり擦ったりしながら、体温を上げ呼吸を促そうとする。「がんばれ。がんばれ。頑張りなさい」と私も心の中で叫んでいました。思わず口に出ていたかもしれません。←すみません。それぐらいに助かってほしいと思いました。私はこの場面がとても印象に残っています。幸にして、この母子はともに命をとりとめました。

2作品とも状況も内容もまったく異なるドキュメンタリー。それでも観ているうちに、それぞれに共通していることを感じ取りました。

① 逆境に立ち向かう姿勢

『ギフト』では突如ALSという難病と診断され、人生が一転してしまいます。けれど、彼は決して諦めない。自分ができることをフォアキャスト(先々を見据えて考え行動する)とバックキャスト(ある目標地点から現在を振り返り、順序立て考え行動する)をしながら、取り組んでいきます。『娘は戦場で生まれた』では、シリアの中でもっとも激戦地と言われているアレッポにおいて必死に生き抜こうとします。この2作品には「生きることを諦めない」という強いメッセージが込められています。

② 生命という希望

どちらの作品にも登場するのが、赤ん坊です。新しい生命の誕生。エネルギーの息吹がそれぞれの映画に吹き込まれていくかのようです。絶対にあきらめないという気持ちを大人たちにあたえ、勇気づけてくれているかのようです。

③ 映像に残すことの意味

両方の映画がいまこの世に存在するのは、自分たちの記録を残し伝えたいという思いに尽きます。もし映像を撮ることを選ばなければ、私たちは何も受け取ることができなかったでしょう。ただその見せる対象者はそれぞれ異なり、次第に変化していきます。まず『ギフト』では、当初は生まれてくる息子のために映像を残しはじめますが、次第に全米で話題となり多くの国民の目に触れることで、ALSに対する世論が動き出します。逆に『娘は戦場で生まれた』では、SNSなどを駆使してシリアの現状を全世界に向けて発信し伝えようとします。しかし、ジャーナリストである母親は娘のために故郷アレッポの姿を残したいと思うようになるのです。そのことは“FOR SAMA“という英題を見ればよくわかります。

昭和館で鑑賞するたびに、他では味わえない映画体験をしているなと感じます。あるテーマを掲げて、受け手側にそれぞれの映画の奥行き感を持たせ考えてもらう試み。これは一重に映画を選んでいる館長の「選映眼」があってこそ成立すること。(選映眼とは、本であれば選書というように、映画を選ぶことを指し、そこに審美眼の眼を添えた私の造語)

数ヶ月前には『彼らは生きていた』『1917 命をかけた伝令』を組み合わせて上映していました。どちらも第一次世界大戦を舞台にイギリス軍側からの視点で製作されていますが、まったく質感の異なる作品となっています。この2作品を同時に上映するところに圧倒的な選映力を感じます。


この映画館が存在していることこそ、小倉の街にとって誇りだと思います。私には新幹線に乗ってでも足を運びたい場所のひとつです。







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