差別

 岡林信康に「手紙」という歌がある。
 
 実話に基づいて被差別部落出身の女性を歌っている曲で、彼女は、好きな人と結婚の約束をしたものの、その出自が彼氏の親に知られてしまうこととなる。その結果、彼氏が親から「あんな奴と結婚するのだったら、お前に店を継がせる訳にはいかない」と結婚に反対されてしまう。
 
 彼女は、自分と結婚することが彼の夢を奪うことになってしまうと思い、結局身を引くことにした(その後彼女は自殺した)。
 
 私は学生時代に初めてこの歌を聴いたとき、涙がこぼれた。
 
 人間の最も醜い行為は「差別」だと思う。
 
 競争社会の中にあって、能力で差を付けるのはやむを得ないと思う。しかし、その生まれや容姿など本人の努力では如何ともしがたいことで差別することは人間としてあるまじき行為だ。
 
 アメリカの人種差別問題はまだ解決していない。有色人種に対して優位にあるという思想は、白人の中に脈々と生き続けていると思う。
 
 その点、日本ではそのような差別はないと思いがちである。
 
 しかし、日本には「同調圧力」という差別を生む土壌がある。
 
 日本のムラ社会は、みんなで助け合いながら生きることを前提にしている。したがって、助け合いに加わらない異分子を排除するという思考が芽生えた。
 
 「村八分」とは、葬式と火事以外は一切付き合わないというムラの掟である。
 
 ムラの仲間の輪の中に入らないと差別されてしまうという慣行が同調圧力のエネルギーの元になっている。
 
 中学生の時、同級生にいじめられている女の子がいた。最初は彼女の名前が「蚤」を連想させたことでからかわれたのだが、それがだんだんエスカレートして、仲間外れにされてしまった。
 
 子どもは残酷だ。彼女は同級生から面と向かって「ノミ、ノミ」と叫ばれていた。その時、私はいじめる側には参加していなかったが、子供心に「いじめられる側でなくてよかった」と思った。
 
 彼女と口をきくと「蚤の仲間」と揶揄されてしまうことを恐れて彼女と話そうとはしなかった。できるだけ関わり合いになることを避けていた。結局、私も彼女を差別する側にいたのだ。
 
 彼女はクラスの中で完全に孤立し、その後学校に来なくなった。
 
 彼女の誰かに救いを求めるような目と諦めきった目が今でも夢の中に出てくる。なんであの時勇気を振り絞って声を掛けてあげられなかったんだろう。
 
 「部落に生まれたそのことのどこが悪い、何が違う(岡林信康作詞)」
………人間って悲しいね。

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