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オリンピックも高校野球もサーカスのピエロか。祝賀資本主義から学ぶタイミングの重要性。政治家が身を引くタイミングの考え方とは。

パリのオリンピックが終わった。
いろいろあったが、個人的には、セーヌ川の水質についての報道が多くなされたことが印象深い。

https://news.goo.ne.jp/article/thedigestweb/sports/thedigestweb-83979.html

今更、豊かになった国で、人類が、汚染された水について悩むことになるとは思ってもいなかった。
セーヌ川は大腸菌をはじめとした細菌濃度が基準値を超えたため、事前練習は2日続けて延期になったが、それでも大会組織委員会は水質が改善されたとして競技を“強行”したらしい。
米紙『New York Post』によれば、カナダ人選手のタイラー・ミスラウチュクがレース終了後に10回も嘔吐したという。トライアスロンやフルマラソンなど高強度の運動後、極度の疲労で体調不良を起こしたり吐き気を催すケースがあり、同紙も「ミスラウチュクの嘔吐の原因が、セーヌ川の水質によるものなのかははっきりしない」と言葉を濁している。
スペイン紙『Marca』によれば、トライアスロンに出場したスペイン人選手ミリアム・カシージャス氏(医師でもある)は、「アスリートへの配慮がなかった。主催者はセーヌ川が舞台というイメージを優先した」と非難。「もし出場者の健康を考えるなら、ここ(セーヌ川)ではなく、プランB(別の場所での開催)があったはずだ」と語った。さらに、「大会の準備期間は8年もあったのにね。私たちはサーカスのピエロのようなもの。アスリートとして、ひとりの医師として、選手たちはもっと声を挙げたほうがいい。これまでのトライアスロンでは、レースの途中やレース後に体調を崩し、何か月も抗生物質の投与を受けた選手がいる。それは、スポーツ選手としてキャリアを台無しにするような事態だ」と、パリ大会の運営に苦言を呈したそうだ。

サーカスのピエロ、とはなかなか過激なたとえだが、これを真っ向から否定できる人はなかなかいないのではないか。オリンピックは、聖なるスポーツ大会でもなく、放映権ビジネスであることは今更説明する事でもない。

https://www.shobi-u.ac.jp/pdf/mediacenter/kensho/91000058.pdf


同じような構造が、日本の高校野球にも重なって見える。
私が子どもと一緒に高校野球を見ていた時のこと。

「なんで選手の身長とか体重を言うの?個人情報じゃん。本人はいいって言っているのかな」と言う。

恥ずかしながら考えたことがなかった。
身長や体重を公表する事は妥当なのか。
TVでも新聞でも掲載されていると思う。
本人は同意しているのか。
さすがにここまで報道するあたり、本人の同意を書面でとっているのだろうと推察する(シリマセンケド)。
仮に同意を取っているにしても、ここまで多くの人が同意しているあたり、同意しないと出場できないのではないか(広がる妄想)
本当は嫌だと思っている高校生も反対できないのではないか。
これだけ多くの人がいるのに、一人の反対もない事項というのはちょっと考えにくい(やばい宗教団体だな)。そういうことを大会主催者や、それを報じているマスコミはどう考えているのだろう。

高校野球の在り方でいえば、身長体重の公表にとどまらない。

これだけ連日気温が高くなり、マスコミが「生命の危険だ!熱中症やばい!人も死んでいる。涼しいところで過ごしましょう!」と言っている中で、兵庫県という暑い地域で、日中に、屋外の屋根のないところで、野球をやり、それをたくさんの人が屋根のないところで観戦させられる、そしてそれを報道する。この構図、なんなの、、、、苦笑

サーカスのピエロじゃん

多くの人が知っているように、日本にはいくつもドーム球場がある。そこを使わないの is why?? 
ドームではない球場でやるにしても、早朝と夜間の開催という選択肢もあるように思う。そもそも夏にやる必然性もないのでは。もっと涼しい季節にやるという選択肢もある。

それらをすべて検討したけど、結局、相変わらず最高に暑いシーズンの最高に暑い日中に、屋根がないところでやることを選択したのか(頭大丈夫?)。

こんなことを考えているときに、ある朝日新聞の記事が目に留まった。
https://digital.asahi.com/articles/ASS8F1TBTS8FULLI00CM.html?ptoken=01J5B5YAPHTQA4WSEDK36Z5AM1

そこでは、斎藤幸平・東大准教授が、ジュールズ・ボイコフ氏(米国)が提唱している「祝賀資本主義」を紹介していた。これは一部の特権階級が、メガイベントに乗じて負の問題への注意をそらした上で、国民に負担を押しつけて利益を独占することを指しているらしい。

なるほど、興味深い。

私の中で「祝賀資本主義」とサーカスがつながった瞬間だ。

別に、高校野球をやることで、日本政府が都合の悪いことを隠しているんだ!とか陰謀論めいたことを主張するつもりはないが、人間の性質として、何かで盛り上がれば、他への注目は低下するだろう。

同じような構図は日本社会でも複数あるように思う。

例えば直近の例でいえば、岸田首相が次の総裁選には出ないことを表明したことで、マスコミは「次の総裁は誰だ!?」ばかりになっているが、実はこれとほぼ同時に、広瀬めぐみ議員が議員辞職を発表した。
これは実に絶妙なタイミングだなと思った。
翌日の新聞では、広瀬氏の扱いはかなり小さくなっていた(日経なんて最終面でした)。
もし仮にこれが別の日だったら、広瀬氏の扱いはもっと大きかっただろう。
広瀬氏は強制捜査が入った時点で、もはや議員としての仕事ができなくなったことは誰が見ても明白だった。それなのにすぐには議員辞職をしない、なぜだろう(そんなに金が欲しいのか??)と思っていた。違う、金じゃない。タイミングを計っていたのだろう。同じことをするにしても、タイミングはとても重要だなと改めて学んだ。

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