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「何者か」を捨てた

ある日「自分が何者か」ということと、こだわりを捨てた。
そうしたことで、心が穏やかになった。

多くの人は、自分が何者かであることで「安心」や「安住」を得ることだろう。

例えば、デザイナーであるとしよう。その前に、デザイナーを否定している文章でないことを言っておきたい。あくまで一例として取り上げたに過ぎず、プランナーでも起業家でも何でも良いのだ。

デザインの仕事をしている人やその実績がある人は、自分のことをデザイナーと名乗っているだろうし、名刺の肩書きにもそう記していることだろう。そうすることで、社会や団体の中での自分の居場所や立場が得られるだろうし、それは自分を保つ上で(その人にとっては)最も大切であり、誇りも持っていることだろう。一方で、同じデザイナーと面と向かった時、どちらが優れているか、どんな実績があるか、その規模は大きいかどうかなどの探り合いが起こることもあるだろう。そうなってしまうと、直ちに本来の目的から逸脱しはじめ、相手と比較して自分の方が優っていると思い始めたと同時に、相手に対する優越感と、人によっては相手へのマウントも無きにしも非ずで「この程度でデザイナー?」という疑問や嫌悪感も生まれてしまいかねない。優れていると感じた側は快楽に近い感情を持ってしまうかもしれないが、思われた側は、屈辱と自分への疑問も生まれてしまうかもしれない。

無形の場合、それがより顕著になることがある。ここで言う無形とは、視覚などの五感で確認できない、あるいは形として残る機会の少ない事(仕事)を言う。

そういった「何者か」を自分の意思ではなく、外的要因によって失うことほど、恐怖や悲しみ、場合によっては怒りや憎しみとなることはないだろう。


他人から自分が何者かを理解されない場合は、怪しさも抱かせてしまうことがあり、そう思われた自分自身に対する不安は大きくなってしまうことがある。これが、人生における不安に飛躍してしまうと、生きる自信さえ失う人もいるだろう。真っ当なことをしている場合は尚更だ。

そういったことを、今まで生きてきた時間の中で学び、感じたことで、自分の意思で「何者であるか」を捨てることができた。おかげで不安もストレスも感じなくなり、心穏やかに過ごすことができている。

何者であるかに固執する状態(パラノ)から、逃げる(スキゾ)ことができたことで自ら枷を外すことができ、穏やかに人生の時間を前に進めることができたことは、「何者か」であることよりも遥かに大切なものとなった。それはきっと、これからの人生の道標になっていくだろうと、少しずつだが感じている。


人それぞれであるが、自分に手が届きそうな多くのことは、自分次第で実現できる世の中になった。将来にわたって”今”に固執すると、下手をすれば自己防衛を核とする自己顕示欲を伴うこだわりが生まれ、実現できることを狭めた上、可能性を自ら捨てることにもなりうる。それを多くの人が気づいていないと感じている。そのこだわりが第三者に向けられたものであれば、その第三者にとってはその価値を感じないことが多々あるからだ。それだけならまだしも、独りよがりを失笑されておしまいとなる。それは自分が望むことではないはずだ。

自分が何者であるということの明言は、他人にとって重要ではないが、他人から認められる「それ」(何者か)こそ大切にすべきだろうと思う。一言で言うと、認められる、と言うことだ。それは自然と誇りに変わるものではなかろうか。


色々と書きはしたが、そもそもの話、他人を労わることができても、自分自身を労っているだろうか。多くの人はそれをさぼっていると常々感じている。ここまできて、綺麗な言葉を言うつもりは全くない。自分で自分にお疲れ様と言ってあげる、そんな些細なことすら否とするおかしな考えや感覚に気付いてないことから脱却させてあげることは、今一番すべきことではなかろうか。

固執することで負荷が生まれるなら、そこから解放してあげることは自分にしかできない。心豊かに、心穏やかに、心優しく生きていくことは、自分の大切な存在に対しても、とても大切なことなのだ。


余談ではあるが、最近、従弟が孤独死をした。
死んだ人間に鞭を打つつもりはないが、彼は自分が何者かであることに固執し続け、謙虚さを失ったと同時に自己顕示欲が増し、高みを目指さず、自分を大きく見せることにこだわり続け、その結果、家族や周りに何年も迷惑をかけ続けた挙句、多大なる負の遺産を残しこの世を去った。遺族にはこれから多くの困難が待っている。心配だが見守るしかない。

彼の兄は言った。
「もっと早くに死んで欲しかった」と。


「何者か」を捨てたことで、安心や安住を得た少数派かもしれないが、もし「何者か」によって自己暗示にかかってしまい、苦しく辛く、窮屈な思いをしている人が偶然にもこの文章を読んだ時、ほんの少しでも何かのきっかけになるといいなと思っている。

何者かを捨てた、ある男の他愛のない文章を最後まで読んでくれた方へ、心からの感謝を。

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