與那覇潤著「平成史 昨日の世界のすべて」


「平成史 昨日の世界のすべて」文藝春秋

平成の始まり

 平成元年3月に大学を卒業し、同年4月就職したわたしにとって、平成という時代は勤労者として生きてきた期間とほぼ重なる。平成の始まりは、 サラリーマン生活の始まりでもあった。
 そこにしか受からなかった滑り止めの私立大学に入学し、とりあえず留年せずに4年で卒業し、特に希望したわけでもない会社に就職した。と、書くと無気力に生きてきたと思われるかもしれないし、傍から見たらそういう人間に見えていたかもしれない。しかし、「何者にもなれない」自分自身の能力と、それでも「何者かになりたい」という漠然とした意欲の間に葛藤していた。過剰気味の自意識に実力が全くついていかないような、どこにでもいる平凡な若者だった。
 大学を卒業し毎月給料をもらえるようになって一番良かったことは、書籍購入に充てられる金額が、大幅に増えたことである。
 学生時代より、多くの本を読み、たくさん音楽を聴いた。結果的に労働はその原資を得るためのものに過ぎなかったが、それでも「仕事ができるようになりたい」という思いは常にあって、こうありたい自分と目の前にある現実の仕事の落差に幻滅して、転職した。
 いま、この記事を書こうとして平成元年の自分を思い出している。あの頃の青臭い意欲を考えると、幻滅の対象は目の前にある現実の仕事に対してではなく、何者にもなれない自分自身であったと分かるし、その頃すでに薄々気づいていたとも思う。
”なにもできない自分のことを ずっと嫌いになりかけていた”ーーー中島みゆきの「此処じゃない何処かへ」の一節をずっと抱き続けていたような生き方だったかもしれない。

歴史を知るということ

 歴史を専門としない者にとって、歴史を学ぶ意味はなんだろうか、という基本的かつ常に問われ続ける問題に関して考えている。
 與那覇さんは「歴史は終わった」と主張し、「歴史学者だったことがあるが今は評論家である」と自己規定している。そのことに関して私見を述べるほどの見識はないが、成長することや認識を改めることとは別次元で、人びとが昨日自ら言ったことを忘れたかのように正反対のことを主張したり、エビデンスや史料が大切なのは分かるが歴史学者がそこからなんら学ぶべきことを提示できず、ネット上で、特にツイッターという少ない文字数で「論争」しているさまを見れば、與那覇さんの主張を否定する材料はないように思える。
 仕事をするようになってから、一時期東海地区のある県に住んでいたことがある。そこで「三英傑」という言葉をよく耳にし、人間の性格を三英傑の誰に当てはまるかなどというネタをマスコミ上でみかけることがあった。また、アマチュアとして歴史に興味があると、戦国武将の誰が好きかとか、どの城が好きかといったような記号的な話ばかりが蔓延していた。あるいは、大東亜戦争に関して日本は正しかったという現在のネトウヨに繋がるような言説もあった。
 個人的にはそういう歴史の消費には辟易しており、長い間、歴史は興味の対象ではなかった。厳密に言うと、歴史に対する興味はあったのだが、世間一般に見受けられた歴史ファンのような、歴史をアイテム的に消費することに興味がなったのである。
 わたしは天邪鬼な人間で、ジャンルにかかわらずメインストリームには興味がない。ポピュラー音楽に対する興味が唯一、メインストリームに近い好みになることはあるが、それは結果論にすぎない話であって、メインストリーム物を追っているわけではない。読書に関しても、その本がベストセラーかどうかは、読むかどうかの判断基準には一切入っていない。
 世間の歴史ファンには、この與那覇さんの「平成史」は全くと言わないまでも、ほとんど響かないであろうと思う。いわゆる歴史ファンが消費しやすいキャラクターや記号もなく、定説が覆るような新事実も一切ない。感動の秘話もないし、陰謀の存在もない。
 それでもわたしは、歴史を知ることや考えることが、楽しくかつ有意義なことだと思っているし、與那覇さんの「平成史」にはその要素がしっかり詰まっていると思っている。

「昨日の世界のすべて」

 では與那覇さんの「平成史」には、何があるのか?
 ここで「昨日の世界のすべて」が書かれていると言い切ってしまえば、サブタイトルに偽りなしと言えるのだが、物事はさほど単純ではない。
 Googleで検索するときにキーワードを入力していると、そのキーワードに加えて「わかりやすく」というキーワード付きの検索候補が表示されることがしばしばある。人びとはわかりやすさを、あるいはわかりやすい説明を求めている。政治に対して「わかりやすい政治を」などというキャッチフレーズが繰り返し持ち出されることからも分かるように。
 しかし、政治はどうやったって分かりやすいものにはなりえない。多くの人びとの思惑や利害関係が絡む政治が、分かりやすいほうが却って危険だと思うべきである。
 また、わたしは大学で工学を専攻した理系人間であるが、例えば、相対性理論や量子力学を理解できる能力はないと思っている。真剣に学んだことすらないのだが、学ぼうともしないことも個人の能力の限界であり、相対性理論や量子力学をわかりやすく説明してもらうことを求めようとは思わない。仮に専門家にとっては分かりやすい説明だとしても、それを分かりやすいと思って受け止められる能力はないと思っている。
 歴史に関しても同様のことが言える。昭和という時代は、戦争と敗戦、そしてその後の高度経済成長という大きなストーリーが想定できる。しかし、その大きなストーリーでは掬い上げきれない様々な事象や人びとの営みがある。更に、なぜ戦争に突き進んだのか、なぜ戦争に負けたのか、という問いに対して答えることは、分かりやすい説明からは程遠いものになってしまう。
 それでもそのような大きなストーリーを描きやすい時代と比較すると、平成という時代は実に掴みにくい時代だと思う。私などはぼんやりと「停滞の時代」くらいに表現するしか思い浮かばない。しかし、すべてのことが停滞していたわけではないので、適切なキーワードであるとも言い難い。
 與那覇さんは「同時代史が描けない」と序文の冒頭で述べている。続けて「青天の下の濃霧だ」と。
 與那覇さんは、極めて優れた文学的・芸術的な感性と表現力の持ち主だと思う。與那覇さんの文章の魅力の一つがそこにある。
「歴史研究者として最後の著作である」というこの本は、與那覇さんの文学的感性によって平成という青天の下の濃霧のような時代が読み解かれ、同時代史として描き出されたものだ。歴史研究者を辞めるに相応しいと言うと非常に語弊があるが、歴史学者という立ち位置では表現できないであろう與那覇さんの優れた文学的感性が、とても際立った文章になっている。
 與那覇さんは「昨日の世界」をどのように見て、その「すべて」を記述できているかどうかを判断するのは、読み手側の作業であろうと思う。

同時代史を読むこと

 同時代史を読む営みは、端的に言えば我々はどこを通ってここにたどり着いたのか、そして我々は今どこにいるのかを考えることであると思う。そしてその営みはこれから進むべき道を見極める素地になる。
 與那覇さんは平成という時代を読み解くために、「二人の父の死」という道標を提示している。
 二人の父とは誰を指しており、そこからどのように同時代史が描かれるかに関しては、実際に読んでみていただければと思っている。ネタバレどうこう言う話ではなく、そこに「平成史 昨日の世界のすべて」を読む醍醐味があるはずだから。是非、この道標とともに、平成という時代を旅して、我々はどこから来たのか、どこにいるのか、どこに向かっているのか、道に迷ってはいないだろうか、道標が指し示す方向は正しいのだろうか、などと與那覇さんの道案内とともに平成の時代を巡る旅を楽しんでいただければと思う。少なくともわたしはそのように「平成史」を読んでいる。読み続けている。

「時代」を関数として解析する

 政治的な動きだけを追っていても、「時代」を読み解くことはできない。人びとの日々の営みは、ある面で政治の影響を色濃く受けるが、それは一面的なものである。「政治に興味がない」かどうかに関わらず、政治家やその近辺で仕事や活動をしている人ならいざしらず、仕事や生活が政治とは無関係に動いていることのほうがはるかに多いだろう。
「二人の父の死」も、政治に強い影響があった二人の人物の死を一つの変数としているだけで、それを基準に政治の流れを説いているのではない。
 そういう意味では與那覇さんの「平成史」は一種の思想史であると言えるかも知れない。具体的な思想家や言論人の著作や発言に言及しつつも、思想を学問として説くのではなく、文学、音楽、映画などの文化に表出される表現の、その背景にある思想を説いている。同じように政治の流れに関しても、人びとの思想が政治にどのように反映されたかを、そしてその結果としてどんな人物が政治家として表に出てきたかを読み解いている。
 ここで「時代」を「時間」を変数とする「関数」として捉えてみよう。数学的な厳密性を求めない、あくまで比喩としての話をする。
 既知の関数において一般的に、変数に任意の値を与えると、関数は得られた値を戻す。関数が未知の場合、与えた値と戻り値を手がかりとして関数の性質を読み解くのが解析である。この場合、「時代」関数は性質が未知の関数として定義できる。
 ここで、あるポピュラー音楽の楽曲を「戻り値」として見たとき、その値を戻したのは楽曲制作者である「人物」が関数であり、与えられた値は、時間と「思想」関数の戻り値に相当するだろう。
 ここで「時代」関数は、「思想」、「文化」、「社会現象」、「政治」など多数の関数が互いに関連しつつ変化していくことで作られる合成関数として捉えることができる。更にいうと、そのそれぞれの関数もまた、別の関数で構成される合成関数であり、合成関数としての思想や文化も、時代という関数からの返り値に影響を受けるというように、入れ子構造になっている。そして、すべての関数に共通している変数は時間であり、様々な関数から戻される値も、別の関数の変数に与えられる値として作用する。
 與那覇さんは、平成年間をいくつかの区間に区切って、連続する時間としてその区間の前に遡って、そのときどきの「時代」関数を、時代を構成する「思想」や「文化」などを中心として解析している。
 與那覇さんの文章の優れているところは、その作品や人物の選び方そのものであり、作品や人物の根底にある思想を解析していることであろう。読んでいると、平成という時代の姿が非常に有機的に立ち上がってくる感覚になる。

平成の終わり、歴史の終わり

 与那覇さんは「平成史」の本文をこのような文章で締めくくっている。
 さようなら、「通史」を描くことがありえた、日本で最後の時代。
 さぁ。あとはゆっくりと、本書で投げたボールの行方を見守ろうではありませんか。
「ボール投げ」の比喩はこの締めくくりの一文の少し前にある。
 未来ではなく、過去に向かってボールを投げてみる。現在でさえ青く濃い霧に覆われたいま、それは文字どおり闇に向かって球を抛る行為です。投げ手の誰も、その先に何があるのかは、わからない。多くの場合は闇に吸い込まれてゆくだけで、なにも戻っては来ない。
 それでもごく稀に、投げた球に汚れがついて帰ってくる。一見すると、それは自分の手元だけで白球を転がして戯れている、子どもの遊びと見分けがつきません。しかし実際には、誰よりも遠く強いボールを投げ、過去に起きたこと・かつて生きた人びとと互いに響きあえたことの、証明であり勲章である。
 前述した「平成史」の冒頭部分に対する答えとして、非常に優れたクロージングではないだろうか。
「平成史」から少し脱線する。
 わたしが興味を持って追い続けている歴史に関するキーワードは、大きく言って3つある。
「仏教」「モンゴル」「戦争(特に20世紀以降)」である。
 前述した通り、記号っぽい歴史の消費を好まない私でも、歴史に対する興味はずっとあった。モンゴルに旅行で行って、その後、青年海外協力隊で3年間モンゴルに滞在する機会も得て、素直に歴史を知りたいと思うようになった。モンゴルだからチンギスハーンだよね、ではないのは天邪鬼だからである。
 わたしがモンゴルにいたのは、民主化から数年あまりの、まだ経済的にも政治的にも、また社会も混乱していた。実は、滞在中に民主化運動の中心的人物の一人であり、モンゴルの国会である国家大会議の議員をしていたS.ゾリグ氏が惨殺される事件が起こった。
 無知な私はその事件で初めてゾリグ氏の存在を知り、民主化運動とは何だったのか興味を持つようになった。更に遡って、人民共和国だった時代や、人民革命、辛亥革命などにも興味を持つようになった。モンゴル民族は、現在のモンゴル国と中華人民共和国に多く住んでおり、いわば民族分断国家である。では、なぜ分断されることになったのか。清朝の時代から辛亥革命を経て、なぜロシア革命の影響を受けて社会主義革命に向かったのか。
 モンゴル滞在中「独立」という言葉を頻繁に耳にした。日本で日本の独立のことをこれほど頻繁に意識することがあっただろうか? そう思うと、モンゴル人に取って、民族国家として独立国であることの重要性がとても重いものであることに気がついた。人民共和国だった頃は、ソヴィエト連邦の「衛星国」とも呼ばれていたことから分かるように、独立国でありながら、傀儡国家ではないものの、ソヴィエト連邦政府の影響力を強く受ける状態であり、スターリンの時代にはモンゴルでもチョイバルサンによる大粛清があったりしたのである。
 そのようなことが気になりながらも、青年海外協力隊の活動中は、歴史の本を詠んだするるような時間はなかなか取れない。それでも、もともと興味があった仏教に関しては、少しずつながら本を読んだりしていたが、青年海外協力隊の任期はあっという間に終わってしまった。
 帰国後も歴史に対する興味は深まっていき、現在まで続いている。
 学問としての歴史学も、一般人が自分自身の過去の発言にすら責任を持たなくなったという意味でも、歴史は終わった、と言えるのかもしれない。しかし、歴史は重要であり、かつとても面白いものである。この「平成史」はわたしにとっては歴史に対する興味を深めてくれただけではなく、それこそ死ぬまで引き続き追い続けたいものになっている。

平成史の終わり

 与那覇さんは「平成史」のあとがきで、ホイジンガの文章を引用しつつ、以下のように述べている。長くなるが非常に印象的な部分なので引用しておこう。(「」内がホイジンガの引用文)
「ありうることなのだ。衰えゆくもの、すたれゆくもの、枯れゆくものにいつまでも目を奪われがちな人の著述には、ややもすれば濃すぎるほどに、死が、その影を落としている」
 (中略)
 私たちが過去に幾多の犠牲を払いつつ刻んできた体験から受けとれる遺産は、世界規模でみても、日本という単位に限っても、けっしてその程度の、卑小な露悪趣味に留まるものではないと思う。少なくとも、私としては日々その気持を確かめながら、本書を書いた。
 だから、偉大な歴史家に対して非礼な物言いになるが、先ほどのホイジンガの文章は一箇所だけ間違っている。「衰えゆくもの、すたれゆくもの、枯れゆくもの」に愛情を注ぐことが死につながるとは限らない。
 むしろそうした喪の作業こそか、新しい生と再出発の根拠になる基地をつくる。書き手と、なによりも読み手の心のなかに。そのように、私は信じている。
 
この文章に、与那覇さんのスタンスが集約されていると思う。そして、一個人として歴史を学び考えることの意義も記されている。
 それに対して、多くの歴史学者たちは「書き手と読み手の心のなかに、新しい生と再出発の根拠になる基地をつくる」ことを放棄してしまい、特に「読み手」である我々歴史学を専門としない一般人に対して、「私たちが過去に幾多の犠牲を払いつつ刻んできた体験から受けとれる遺産」を共有しようとしていない。
 そうでなければ、与那覇さんが歴史学者の肩書を放棄する必要などまったくなかったのだ。大学などの研究/教育機関に所属していなければ歴史を研究できないわけでもなく、日本ではいわゆる市井の学者が多く存在した。與那覇さんも大学の退職と同時に歴史学者の肩書を外したわけではなく、この「平成史」の出版に併せて歴史学者を辞めたということに深い意味があるだろう。

與那覇さんの著書との出会い

 わたしは決して與那覇潤さんのいい読者ではない。與那覇さんの本を手に取ったのも、ゲンロンカフェのトークイベントを見たことがきっかけだった。今までに読んだのは、「中国化する日本」「知性は死なない」「平成史」「過剰可視化社会」「心を病んだらいけないの」「歴史なき時代に」くらいで、しかも基本的にすべて後追いである。
 この拙文は、與那覇さんが登壇されるゲンロンカフェのトークイベントに向けて、自分自身の考えをまとめるためと、以前のゲンロンカフェのトークイベントで私が思わずコメントし、與那覇さんがそのコメントを拾ってくれたことに対する答えるためのものである。個人的にはそう位置づけている。
 2023年2月22日に以下のトークイベントが予定されており、わたしは現地で観覧する予定である。
梶谷懐×與那覇潤×辻田真佐憲「日本と世界は『中国化』したのか──制度、資本、権威主義」【『ゲンロン13』刊行記念】
「中国化」に関しては、與那覇さんのこれまた名著があり、わたしはこの本にも深い感銘を受けた。
中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史 (文春文庫)
「中国化する日本」に関しては、改めて記事にしようと思っている。
 そして、以前のゲンロンカフェのトークイベントとはこれである。
澤田克己×與那覇潤 司会=石戸諭「ナショナリズムに犠牲は必要か──記憶と国家、戦後の日韓論」
 ちなみにこのイベントは、
「犠牲者意識ナショナリズム――国境を超える「記憶」の戦争」林 志弦 (著), 澤田 克己 (翻訳)
という本の出版に合わせて企画されたものである。
 与那覇さんは自分のプレゼンの中で、「売れてないのでゲンロンカフェでイベントがあるたびに宣伝してます」と言って自著「平成史」から引用を使って議論を展開した。
 トークイベントの議論の中身とは無関係な事柄ではあるが、私は「『平成史』は名著なのに売れていないんですか?」とコメントした。「平成史は売れていない。そして平成史は名著である。2つの真実が含まれているコメントを拾わないわけにはいかない」と、与那覇さんは私のコメントを拾ったことで、笑いが起こった。与那覇さんの「平成史」が名著であると思っていることは嘘偽りのない本心であるし、与那覇さんにもコメントを拾っていただいた以上、わたしがまとまった文章を公表している場がこのnoteなので、こうして駄文を連ねている。

投げたボールの行方

 与那覇さんが「平成史」の中で投げたボールの行方は果たしてどうであろうか? 我々は今、あるいはこの先、ボールが返ってくるのを見つけ、そこにどんな汚れがついているのか見ることができるだろうか?
 わたしは與那覇さんが投げたボールをたまたま見つけ、極めて小さく、誰も見つけることができないほどのボールを一つ投げ返したつもりだ。
 果たして與那覇さんのもとに届くであろうか。届くとすれば、どんな汚れを纏っているだろうか。

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