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アートの楽しみ方

そもそも、アートとか美術とかデザインとか良くわからないし難しそうという先入観はありませんか?
贅沢品、教養が必要、高価なもの、権威のあるもの、資産などというイメージは真実でもあり幻想でもあります。
何が言いたいかというと、アートの捉え方に決まりはないということです。
今日は少しアートのハードルを下げてみます。

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■一人で出来る「アートの楽しみ方」※美術館での鑑賞を前提にしてます。
楽しみ方は二つ。
①直観で楽しむ
②考えて楽しむ

①直観で楽しむ
美術館に行ったら全ての作品をしっかり見ないと勿体ないと思うかもしれません。まずは気軽に散歩するような感じで1度回って見ると、 自然と惹かれてしまう作品に出合うことがあります。

僕の場合、写実画からは何か感じることはあまりありません。
※否定している訳じゃなく好みの問題です。

個人的には、歌川国芳や葛飾北斎、池田学、宇野亜喜良、バンクシーなどの作品を目にしたときに自然と体が吸い寄せられていきました。

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宇野亜喜良

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バンクシー

吸い寄せられていく感覚は冷静に考えてみると、日常生活のなかで結構ありませんか?魅力的な人、カフェ、景色など。

シンプルにその対象が芸術作品というだけのことです。そんな直観的な作品と出会うことが出来たら、純粋に一目ぼれのひとときを楽しみましょう。
「なんかいいなぁ」という感覚に本来は専門的な知識は必要なく、出会えたこと、言葉にならない感情を素直に楽しめばいいんです。
これが直観的に楽しむということです。

②考えて楽しむ
①で魅力的な出会いがなかったとしても、「考えて楽しむ」ということが出来ます。

まず、私たち日本人は義務教育課程で正解を導き出すことをすり込まれております。これが芸術鑑賞において、無意識に弊害になってしまいます。
対象の作品の価値、歴史など答えを探してしまうことに意識が向いてしまいます。
アー
トの醍醐味は自由な思考を働かせ、自分なりに解釈できることです。これと言った正解はありません。ある作品も、時代や人によって全く違う評価になるのです。
なので、作品に添えてある説明書きがある場合、意識的に見ないようにしてみましょう。これが考えるきっかけの第一歩です。

続いて意識する前提は「アートは何かしらの問題定義の要素がある」ということです。
目の前にある作品は、問題定義の手法(作品)に過ぎません。

この前提をもとに、自分なり仮説を立てて作品と対話をしてみるのが、「考えて楽しむ」ということです。

実際に有名な作品で私の場合の「考えて楽しむ」を実践してみます。
お題はピカソの「アヴィニョンの娘たち」

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この絵は何故こんな構図で描かれてるのだろう?
異質な構図は目を引くようにと作者側の意図があるかもしれない。しかしそれだけではないようななんとも言えない感覚だ。
もう少し深堀りすると物事を多面的に捉えているようにも見える。
人間の不自然な描写や可動域、写実がでは描けない見えていない部分を描いているのでないだろうか?
目の前にある問題と向き合うには、多角的に物事を捉え直す必要性があることをこの作品で訴えているではないか?
凄いこの作品!

というところです。他にもありますが長くなりすぎるのでこのあたりで切り上げます。
上述したように、作品の細部に目を凝らして自分なりの仮説をどんどん立てていくのが「考えて楽しむ」方法です。
見て楽しむというより「読んで楽しむ」という感覚の方が正しいかもしれません。アートは読みもの。
文章のない挿絵のみの絵本に、どんどん自分なりの物語を作っていく感じです。
歴史や教養があるともっと深く楽しめるのは事実ですが、アートの受け取り方は自由でいいんです。

■最後に
まずは身近にある美術館へ気軽に遊びに行ってみましょう。
思いもよらない感情との出逢いがあるかもしれません。それはやがて自分の人生をより豊かにする何かの源泉になるかもしれません。
そんな能力をアートは持っています。
最後の最後に個人的にオススメな美術館をご紹介します。

・岡田美術館→がっつりアートを楽しむ系
・チームラボ→最先端のアートを楽しむ系


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