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中国の政治的影響力増大をアメリカが作り出したという矛盾

中国は2000年代以降急速に経済成長し、世界経済にも利益をもたらしたが、一方で国際機関政治的影響力の増大も招いた。歴史的にアメリカは中国の政治的影響力増大に批判的であったがなぜこのようなことが起こったのだろうか? 

ニクソン政権以降アメリカと中国は友好的な関係を築き、アメリカはソ連と敵対関係にあった中国に技術的支援や軍事的支援を行ってきた。しかしソ連の弱体化と天安門事件によりアメリカは中国との関係を修正する必要に迫られたのだが、90年代になると徐々にアメリカの中国への政治的スタンスは超党派で変化するようになる。

ユーゴスラビアでの紛争が中国に対する譲歩の始まりであったとも言える。中国大使館を誤爆し、中国のジャーナリストが死亡したことで中国国内では反米感情が高まりつつあった。実際のところ大使館への攻撃は宣戦布告だととらえることもできる。そこで中国国民をなだめるために当時のクリントン政権は中国のWTO加盟に対してアメリカは反対しないという方針を発表したのだ。当時の中国はWTO加盟に前向きであったがアメリカの反対もあり加盟交渉は難航していた。逆に言うとアメリカがそのくらい譲歩が迫られるくらい当時の米中関係は危険な状態だったとも言えるだろう。

2000年代に入ると対テロ戦争が中国の政治的影響力増大を生み出した。多額の金を費やす戦争となったためアメリカは中国に国債を購入してもらうことで戦争費用を捻出するほかなかった。その見返りとして中国の国際機関での政治的影響力の増大に対して抵抗しないという方針をとった。そして世界金融危機の後のオバマ政権では国内の景気対策のため外交問題は後回しにされていたと言えるだろう。

中国の政治的影響力の増大が望ましいかどうかは議論の余地があるが、皮肉なことにそれを招いたのはアメリカの歪んだ外交政策であったことは間違いがない。アメリカの介入主義が結果としてアメリカにとって見れば高いコストを支払ったことに議論の余地はない。あるい特定の敵国に対抗するためにその敵国と不仲な国や組織に支援をする政策の一貫として中国への支援もされたが、結局はタリバンと同じようにアメリカは裏切られたことになる。アメリカの外交方針の抜本的な刷新がなければまた同じような問題にアメリカは直面し、アメリカは無限に敵国に対応するために無限に新しい敵国を作る必要に迫られるだろう。もちろんそのようないわゆる「迷惑系ユーチューバースタイル」をアメリカが望むなら話は変わるのが。

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