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【3.11から10年】被災地の"今"と"未来"について

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3.11からおよそ10年。福島県 大熊町へ2日間行って参りました。10年経過した今も、町中が放射線物質に汚染された廃棄物の「中間貯蔵施設」となっており、被害の大きさや災害を受けた方々の今の思いを強く感じました。

3.11から10年たった、"被災地の今"

この度、11/13 , 11/14の2日間、3.11で被害を受けた地域の1つである、福島県 大熊町を訪問しました。東日本大震災からおよそ10年。埼玉県で当時高校1年生だった僕は当時、友人宅へ避難して、東北地区の被害を受ける様子をテレビの前で見ながら、鳥肌が止まらなかったのを鮮明に覚えています。とはいえ被害の差は大きく、その後数年で話題になる機会こそ減りましたが、実際に現地訪問することで、被害の大きさを肌で感じました。

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津波被害では、岩手県をはじめ北部に焦点が行きがちですが、ここ福島県 大熊町も津波被害を受けた場所の1箇所です。災害時、行方不明になった娘を、立ち入り禁止区域へ身1つで入り探し続け、遺骨となって発見されたお話。卒業式当日に東日本大震災の被害を受け、当時の卒業式のまま放置されている、校舎、黒板。倒れたままのロッカーに半壊したパソコン室。当時画面越しで見ていた映像の中へタイムスリップしたような感覚になりました。

起業家として、貢献出来ることを増やしたい

会社設立から5年。自分で事業を立ち上げてから8年。「会社の器は経営者の器以上にならない」という金言を尊敬する先輩方から浴び続け、胸に深く刻んでいるのですが、起業家として挑戦し続けて来たことを生かし、更に次のステージへと進みたい。そんな思いを日々持ち続ける中で、今回、福島県 大熊町をフィールドにしたアイディアソンプログラムのメンターとしてお声掛け頂きました。なので思いつきで訪問したわけではなく、そもそも当時のままである被災場所については普段「立ち入り禁止区域」になっているので、通常は訪れることが出来ません。※今回はプログラム内のコンテンツとして特別許可を頂いているとのこと。

今回、事前ワーク→現地訪問→ブラッシュアップ→現地最終プレゼンテーション→事業化(優良アイディアのみ)という流れなのですが、僕自身も学生時代に実際に事業化まで行うインターンシッププログラムに参加し、サービス化→起業をしたこともあり、今度は応援する側として貢献したいという想いから、これまで全てお断りしてきた「メンター」を引き受けさせて頂く運びとなりました。貴重な機会を頂いた、おおくまはちどりプロジェクトの皆さまには感謝しております。※運営メンバーからも、とても強い熱を感じ、今後のプロジェクトの進行もとても楽しみです。

<詳細:イベントページはこちら>
第二回 おおくまハチドリプロジェクト〜東日本大震災から10年・大熊町の未来を創造するアイデアソンプログラム〜

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無いものではなく、あるものに目を向けよう

3.11ですべてが無に帰してしまった。そう思った人も決して少なくないと思います。現地視察を通じて強く感じました。10年たった今、過去に執着せず、未来をどうつくっていくか。そう本気で考えている大人たちがいます。そして何より、当日災害を受けた若者たちが、次の未来を創るために深夜まで&早朝からワークに取り組んでいく姿にとても感銘を受けました。「当時の思いを紡いでいく者」「防災ビジネスに注目する者」「現地にシンボルを創ろうとする者」どのアイディアも強い想いを感じ、本当に素晴らしい「志」を持つメンバーが集まっているなと強く感じました。

ないものではなく、あるものに目を向けることは、僕が会社経営5年弱して来た中で強く思っていることなのですが、大熊町の方やプロジェクト参加学生からも似たマインドを感じ、町もスタートアップマインドが持てたら、大きく変わって行くであろうという、被災を受けた地方だからこその大きな可能性を感じました。

今回、本プロジェクトに関わる方々の活躍のサポートはもちろんですが、僕としてもいずれは、こういった規模の社会課題の解決が出来るような力をつけて、いずれは僕自身も事業化・事業推進できる立場として貢献していきます。

来月の現地最終プレゼンテーションが楽しみです!

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