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どこまで行けば「合格」なのか

大学の時、卒業要件がいくつかあった。
第一に「単位がいくつ以上」というものがまずはあるんだけど、
その中に「評定平均がいくつ以上」というものがあった。


評定平均は成績の平均で、
確か4点満点で、各授業の評価がAだと4点、Bだと3点、Cだと2点、
Dが1点でEは落第(単位取れない)みたいな感じで
確かその当時の卒業要件は2点に届かないくらいだったと思う。
要は全部Cという評価を取れば無事卒業出来る、というものだ。

思う、というのも幸いにして
そのギリギリをせめぎ合って卒業したタイプではなく
ある程度真面目に、テスト前とかは人並みくらい勉強して
決して良い訳じゃなく、それでもギリギリという訳でもなく、
普通と言えるくらいの目立たない成績で卒業を迎えることが出来た。



卒業直前のその評価が出る時に、それについての話を友達としてた。
ある友達は結局卒業要件の点数のギリギリ上だったみたいで
あぶなーー!みたいに盛り上がってたんだけど
彼は言った。
「最低限の勉強で済ませて、それ以外の時間遊んだりバイトしたりしてたんだから、一番効率的な大学の楽しみ方でしょ?」


それを聞いて、びっくりした。
ああ、なるほど、そんな考え方もあったのか。
そしてそのあとすぐに、結構納得してしまった。

めちゃくちゃ頑張って主席を狙うならまだしも、
テスト前に嫌々頑張って勉強して
決して良くも悪くもない成績を取るくらいなら
ギリギリでクリアして、その時間を自分の好きなことに使った方が
確かにいい時間の使い方だったのかも知れない、
と、それまで何故かテスト前にはちゃんと勉強していたことをちょっと後悔したくらいに
その時の自分には発見だった。
(ここでは何のために大学行っているんだ!という話は置いておく)



大学を卒業してもそんな考え方は意外と色んな事に当てはまる気がしていて
今でも彼のその言葉をたまに思い出したりする。

例えば社会人になって会社に入って、
そこでは最低点も、明確な点数の基準もなかったりするけど、
仕事の質ということを考えてみる。


例えば残業せずに仕事をした時に80点くらいを取れるとするじゃない。
上司や得意先の人からまあまあの合格点をもらえるとする。
それでもやっぱりなんだか自分で納得いかなかったりして、
結局2時間くらい残業して頑張って完成度を上げようとする。
それでも多分結局85%くらいにしかならない。

それは目に見えない評価なのかもしれない。
80%でも85%でも正直あんまり変わらない気もする。
それでも仕事というものにおいてこの5%の差が大きくなる時も
絶対にあって、それが仕事というものなんだと思う。、
それでも例えばこの5%が見えなくて、評価にも繋がらなければ
残業せずに早く帰って、自分の好きなことに時間を使う方が
よっぽど人生が豊かになるのかもしれない。
働き方改革でよりその点にフォーカスされるような世の中になっている気がする。



仕事以外でもそう。
でも困ったことに大学と違って、
仕事やそれ意外のことには明確な点数のような基準がない。
どこまでやれば合格なのか、不合格なのか
それを決めるのは上司だったり同僚だったりするけど、
結局は自分自身の中の基準だったりするんだろうなあと思ったりする。

「ここまででいいか」と「まだまだやらなきゃ」の狭間の判断を
今までにどれくらいしてきたのか分からない。



ということで今インドネシアに来て約10か月が経った。
ボランティアってその基準がすごく難しいもので、
どこまでやったら合格なのか、OKなのかというものがない。


同期とか周りを見れば頑張っている人がたくさんいる。
そういう人達を見ていると、もっと頑張らないとだめだなあと思いつつも、
段々と今やっていることに慣れて来て、
あと2か月という制限時間がある中だと、
何となく「ここまででいいか」という諦めのような、怠慢のような
そんな気持ちが湧いてくるのが正直なところ。

もちろんやるべきことはやるけど、
今出来る範囲内のことをやって、
新しい方向に頑張ろうとしていない自分に気づいたときに、
そんな大学時代の友達を思い出して
ああ、彼はこんな気持ちだったのかなって思ったりした。


ただ、なんだか罪悪感を感じたりする。
自分に負けてる感じもしたりする。
なんだかちょっと気持ち悪いんだよなあ。


そんなことも思いつつも、良くも悪くも帰国まであと2か月。
気を抜かず、やり残しがないように頑張ります。

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