私のアカペラの原点(高校編 〜拗らせ〜)

岡田といいます。平成生まれです。

カメレ音楽隊というアカペラグループで演奏活動をしています。
このカメレ音楽隊というグループ、実績としてはそれなりにありまして

Vocal Asia Festival 2017:3rd Prize、Best Performance
World Contemporary A cappella Festival2018:1st Prize、Best Performance
Japan Acapella Movement 2023:本戦出場


といった感じで、国内外で活動しています。

よく、アカペラをやっていると「ハモネプとか出てたの?」と聞かれます。
そりゃアカペラをやっていればハモネプの一つや二つ出ています。当たり前じゃないですか(そんなことはありません)

左から2番目が私。Cグループに出場し85点でたしかブロック内では最下位。
武田鉄矢氏に「85点が妥当だよ」と言わしめた演奏でした。
(なお、優勝したのは「姉と僕」さん)


アカペラを本格的に始めたのは大学に入ってからなのでもう15年になります。
私は高校時代にコーラス部だったので、小編成などのアンサンブルには取り組んでいました。なので正味16年くらいかもしれません。


なんでアカペラを始めたのか?これは遡ること20年。
創世記のハモネプ(第1回〜第3回)がきっかけです。

私は生まれも育ちも愛知県岡崎市ですが、そこにある
・岡崎東高校
・岡崎高校
この2つの高校がハモネプに出場していたんですね。

岡崎高校はろくべー。岡崎東高校はZ☆MA
この前の大会でZ☆MAさんはハモネプ全国で準優勝していました。

私はこれをみてアカペラやりたいと思ったのでした。


でも今考えてみれば、歌でなくてもよかったのかもしれません。幼ながらに私は

「リードでもなく、ベースでもパーカスでもなく、コーラスというパートならあんまり目立たないし、歌が上手くなくてもテレビに出られる!!」

と思っていたのかもしれません。多分思っていました。

正直なところ、それがアカペラの原点です。

”目立ちたいけど目立ちたくない”



という変な欲求を持ちながらアカペラを始めたのです。

なお、今も若干そう思っている節はあります。
アカペラや合唱をやっていれば、そういった

”コーラスにおける歌唱力の匿名性と承認欲求”


みたいなものがないでしょうか?


話を先へ進めます。


高校生になり、とても強い部活に入りました。
ハモネプに出ていたろくべーが所属していた岡崎高校コーラス部です。
強い部活に入りたいという思いもありましたが
「ここならハモネプに出れるチャンスがあるかも!」の方が強かったです。

結果として、高校時代にはハモネプには出られませんでした。
ですが、同級生がハモネプに出場しました。

部活の同期は30人くらいで、そのうち6人がテレビに出ている(Bassは先輩、のちに50Fesを創設するクレイジーな人)
とても悔しかったことを覚えています。

私がメディアに出たところといえば、NHKの全国音楽コンクールと、学校へ行こう!のエアボ選手権くらいで、一番目指していたところには辿り着けませんでした。(エアボは歌唱力の匿名性の最たるものですね。)


しかしながら、この時期に運命的な出会いをします(妻ともこの時期に出会いましたが、それではありません。いやそれもですが)

RAG FAIRの存在を知りました



恥ずかしながら、ハモネプ創世記におけるRAGFAIRの存在は私にとっては薄く、先輩から借りたCD、BOOKOFFを回って見つけたライブDVDを見て、衝撃を受けます。

RAGFAIRの何に一番驚いたかといえば

アカペラは歌うだけではない



ということを体現していたところです。


それまでのアカペラ認識は、やはりゴスペラーズやトライトーンのようなハーモニーやボーカルを主とするスタイル。ハモネプもどちらかといえばそうですよね。


だけども、RAGFAIRはなんといいますか

アカペラを最終地点にしていないというか…


アカペラをツールとしてエンタメを作っていた。



とでもいえば良いのでしょうか?


なんにせよ、私の中のアカペラ観が大きく変わったのは間違いありません。

(これはRAGFAIRの作品の中でも最も私が好きなものの一つ「ドラクエ学園」)


M-1 2021決勝戦でナイツ塙がその大会で最高得点をつけたオズワルドに伝えた言葉で

「畳一畳あれば成立する究極の話芸」

というものがありますが、RAGFAIRでいえば、

「マイク一本あれば成立する究極の音芸」


みたいな感じでしょうか。



楽器や小道具なしでひとつの世界を作ることができる。
アカペラの最大の武器を、しっかりと武器として使いこなそうとしている



この部分がとても刺さったのです。

そこからはまあラグ三昧でした。

CD、DVDを舐め回すほどに見て聞きました
(RAGVからWAVE(武道館)、ラグ定食までカバーしました)

特技は、ラグのシングルのカップリング曲を違わず誦じることです。

ラグざんまいをしていて、もうひとつアカペラの、
いやアカペラではなく、1人のタレントに夢中になっていきます。

そうです。土屋礼央です。



最初はサングラスにファーを巻くというセンセーショナルかつ独自のスタイルでメディアに登場した彼ですが、私としては、多分苦手なジャンルの人間で、一発屋なのかなあという印象が強かったです。(鼠先輩と同じタイプかと思っていました。ぽぽぽぽぽ)

その後、彼はファーを捨て、サングラスはいつの間にか色が抜けていきました。


しかしながら、そこから私は彼の虜になっていったのです。


それがそう、彼の持つ

”マルチタレント力”



一度マイクを持てば喋りが止まらず、その引き出しの多さ、瞬発力、ウィット
MCをさせれば待ってました!とばかりに客が沸くカリスマ性。
(マイクを持って喋る方が盛り上がるのはレオさんとさだまさしくらい。さだまさしもライブに行くくらい好きですがそれはまた別の機会に)

メンバーからも絶大な信頼があったのでしょう。彼がMCの8割近くをしゃべり、残りはリーダーがしゃべります(あくまで感覚ですが)


そしてそれだけではありません。

タモリ倶楽部で引き出しの多さ・深さ・引き出す速さで頭角を表し
今ではキーラジオのレギュラーを数本持ち
書籍を複数本出版している。そして喋れる。
今では芸能界屈指のマルチタレントの1人でもあります。


歌手だけではなく、マルチに活躍できる才能



そこに憧れていくのです。

てかもう

土屋礼央になりたい


と思っている自分がいました。


ほとんどアカペラの話がなくなってしまいましたが、入り口はアカペラです。
それは間違いありません。


アカペラから入り、いかにタレントを磨いていくか


これが私の軸となっていったのです。
もちろん、今も土屋礼央になりたいという夢は持ち続けています。



アカペラグループではMCをしています。
ラジオのパーソナリティをしています。
司会業もたまにやっています。
本は出版していませんが、地域のライター業をしています。
(残念ながら鉄道には興味が持てなかった)



しっかりと、後ろに続くべく邁進をしているわけです。
まだ、土屋礼央になりたい気持ちはあります。




目立ちたくないのに目立ちたいからアカペラを始め

でも目立ちたいからアカペラ以外の部分を頑張っている



最近、よくわからなくなってきました。

私は何のためにアカペラをやっている(いた)のでしょうか?



acapelaなのか、accapellaなのか、accappellaなのか
いまだにわかっていません。てかアカペラがわかっていません。岡田でした。



次は『私のアカペラの原点(大学編 〜嫉妬〜)』をお届けいたします。



※この記事は、今度、地元の中学生向けにキャリア講話をする機会をいただき、改めて自分の人生を見つめ直していた際に、やはり『アカペラ』は切っても切り離せないものだなあと考え始め、棚卸しをする過程で文字に起こしたものになります。
誰のためとか、どこかへの主張とかそういうものではなく、単なる備忘録的なものなので、完全なる自己満足です。ブログなんてほとんどそうでしょうが。そう言う感じで読んでください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?