【小説】ネコが線路を横切った15
再び、喫茶店にて
「また、俺と暮らすか?」
マスターが真顔になって言った。
春海は、黙って首を横に振る。
なんとなく不満があるから家出した高校3年生の自分とは違う。
脚光を浴びた作家の藤村架奈でもない。
がむしゃらに働いた20代の女でもない。
娘と夫と3人で穏やかに暮らしている主婦でもない。
「あの時、家に帰ったのは、作家という夢をみつけたからなのか?」
「まあね」
そういうことにしておこう。
調理師免許をとって、西洋居酒屋に戻ってくるつもりだったとは、いいにくい。
「今日は、俺に会いに来てくれたんじゃないのか?」
「マスターに会いにきたっていうか」
春海は、うつむいてココアを飲む。
ソフトクリームをたっぷり乗せたココアは、冷めている。
あの頃は、冷めたココアかレモンスカッシュが好きだった。
甘いドリンクは、現実を忘れてでもしあわせな気持ちを連れてきてくれたから。
「そういえば、今は何してる?」
「マスター。あの頃と違って質問ぜめね」
「何年も話してないから」
「ちゃんと仕事して、ひとりで暮らしてる。かなり快適に」
「仕事って」
「新宿のファミレスで副店長してるの」
「へえ」
仕事が休みの今日、わざわざここまできた理由は。
やっぱり、なんとなくなのかもしれない、と、春海は思った。
次に、なんとなくではなくて何かを確かめたかったのではと思ったり、マスターに会いたかったのかな、ネコをもう一度見つけたかったのかも、と、思いがぐるぐるとめぐった。
その間に、ココアはまた冷めていく。
つづく
※この物語はフィクションです。
実在の場所や団体、個人とは関係ありません。
サポートしていただいた金額は、次の活動の準備や資料購入に使います。