【小説】ネコが線路を横切った18
喫茶店にて、西洋居酒屋の最後の思い出
「誤解してる」
「マユさんのこと?」
「マユさんは、姉貴だって言ったろう」
「マスターはそういうけど、マユさんはマスターとの間に、誰も近づけないくらいの空間を作ってたの」
マスターが黙った。
春海も、それ以上言えなかった。
西洋居酒屋SINで春海がカウンターに入って洗い物をしていた頃、突然大きなキャリーケースをころがして、マユがやってきた。
開店前で、店には誰もいなかった。
「真二。この子は?」
「春海ちゃん。ちょっと手伝ってもらってて」
「春海ちゃん。名字は」
「た、竹中です」
「成城学園の竹中さん?」
「え、そうです」
「家に連絡して迎えに来てもらう?」
「自分で帰れます」
「じゃ、夏休みが終わる前にね。真二を犯罪者にしないでよ」
「わかってます」
「あ、あたし、斎藤マユ」
そっか、ここには泊まれないな、とマユはぶつぶついいながら、荷物おかせてね、とレジ脇にキャリーケースを置いて出て行った。
「おねえさん、いたんだ」
「あ、いっしょには住んでないけど」
春海の脳裏には、マユの強烈な印象だけが残った。
春海がみてた『セブンティーン』誌にも、あんな美人のモデルはいなかった。
真紅の口紅があんなに似合う人を見たことがない。
Tシャツにパンツというシンプルな服装なのに、体にぴったりマッチしていて嫌味がない。
自信を持ってる女の人だった。
そしてなにより、マスターとマユが並んだ姿は、お似合いだったのだ。
思いたくないけれど、春海は思ってしまった。
負けた。
かなわない。
だめだ。
30年経っても、マユの印象を、春海は覚えている。
マユにできなくて自分にできることを、春海は模索していた。
だから、調理師免許をとって堂々とマスターのところに戻ってくるはずだった。
「また、ネコが出てくる話を書くのか」
ぽつん、と、マスターが言う。
ううん、と、春海は首を振った。
「今度は、完全にわたしが考えたキャラクターを作って、動いてもらう」
作家として小説が書けなくなったのは、事実を元に自分のいいようにアレンジしていたからだった。20代前半の春海には、経験が少ないことは作家声明には致命的だった。
だから作家を廃業した。
今度は、春海の分身としての主人公ではなく、主人公世界の人物として、人生を生きる。
ネタはある。
ファミレスで人間観察をしてきたのは、無駄にはしない。
「じゃあこれ、役立つかな」
マスターがさしだしたのは、かつて春海が書いたノートだった。
つづく
※この物語はフィクションです。
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