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【小説】三十字職人と僕(みそじしょくにんとぼく)1

入学式前日、言葉にする

 都心から西へ走る私鉄宿子(しゅくご)線のみどりケ丘(みどりがおか)駅前の北口には、駅前広場がある。
 真ん中に大きな木があり、まわりはタクシーの客待ちスペース。
 宿子線沿線に子供の頃から住んでいる僕=国江直輝(くにえなおき)は、木は見てきたけれど木の名前は知らないなあと思いながら、バスから降りた。
 降車専用のバス停から、広場ぜんたいを見渡す。
「そっち、行ったぞ~」
 こえのした方を見ると、坊さんみたいな頭のおっさんがこっちにくる。
 どういうわけか、僕の足元に、小さなグレーの毛色の猫がすり寄ってきた。
 しゃがみこんで、両手で抱き上げる。
 ふみゃあ。
 猫が口を開けた。
 けど、小さい。


「君、つかまえてくれたのか」
 坊さんみたいなおっさんが、僕のところに来た。
「このこ、おじさんの猫ですか?」
「さっきそこにいたから、家に連れて帰ろうかと思って」
 そこ、というのは広場の大きな木のことらしい。
 僕は、坊さんみたいなおっさんに、グレーの猫を渡した。
「ありがとう。君にお礼をしないとな。メシ行くか?」
「え。いや」
「若いのに遠慮するなよ。高校生か?」
「明日、高校の入学式で」
 メシ、って猫連れたまま駅ビルのグストでもいくつもりなのか、おっさんは。
「高校一年生か」
「はい」
 参考書でもかってやるか、とか、ぶつぶつと坊さんみたいなおっさんは言っている。
「あの、ひとつ聞いていいですか」
「おう」
「あの木は、なんて名前ですか?」
 広場の真ん中にある木を、僕は指さした。
「ひのき、じゃないな。クスノキかな、朝富市(あさとみし)だから」
「朝富市だからクスノキ?」
「朝富市の市の木、ってのがクスノキだからさ」
 そうなんだ、疑問がひとつ解決した。
「ありがとうございます」


 僕は、これで坊主みたいなおっさんも納得して帰ると思った。
 おっさんは、まだクスノキをみて立っている。
「クスノキって名前なんて、文字にしたらただの記号だからなあ」
「記号」
「木の名前なんて、人がかってにつけた記号だ。俺の松本広司(まつもとひろし)って名前も、他人と区別するための記号。君が高校一年生っていうのも、記号」
「記号って意味がないですか」
 それでも名前は大切だろうに、と思って聞いた。
「意味があるのは言葉だよ。言う、葉っぱの葉、で言葉」
「言葉」
「高校に行って何がしたい、将来何になりたい、どんな仕事がしたい、って言葉にしないと自分でも気がつかないよ」

「がっつり稼いで、母さんを楽にさせたい」

「がんばれよ、高校生」
 そういうと、坊主みたいなおっさん=松本広司さんは、手を振って猫といっしょに広場のむこう側に、行った。

つづく


※この物語はフィクションです。
実在の名称・団体・個人とは一切関係ありません。

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